大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和46年(わ)2114号 判決 1985年4月17日

《目 次》

被告人の表示等

主文

有罪判決の理由

罪となるべき事実

証拠の標目

法令の適用

一部無罪となる訴因

無罪判決の理由

無罪となる公訴事実の要旨

無罪の理由

説 明

はじめに

第一 事故発生に至る経過と事故の発生

一 施行計画と工事請負契約及び着工

二 四工区工事関係者

(一)鉄建建設関係

(二)交通局関係

(三)大阪ガス関係

三 工法と工事経過など

(一)工 法

(二)工程会議等による工程、工法の協議決定など

(三)工事経過等

四 埋設ガス導管の存在とその露出、懸吊の状況

(一)埋設ガス導管の敷設、配管の状況

(二)三〇〇ミリ中圧ガス導管等の露出懸吊の状況

五 本件事故の発生

(一)ガス噴出とその後の経過

(二)爆発及び被害の状況

第二 ガス噴出の直接原因

一 本件継手の構造

二 本件継手の所期の性能

三 ガス管の内圧

四 まとめ(ガス噴出のメカニズム)

第三 本件継手の締結力に欠陥をもたらした原因

一 初期性能の欠陥について

二 交通荷重による経年劣化について

三 地下鉄工事の影響の有無

(一)横断部付近地表の掘削、埋戻し

(二)横断部北角付近のすかし掘り

(三)中圧管に対する外力の作用

四 まとめ

第四 抜止め防護

一 抜止めの目的・性格と施工範囲及び施工時期並びに施工方法

二 抜止めの施工に関する本件当時の諸情況

(一)書物による教え

(二)ガス導管防護対策会議における調査結果等(東京地区における実情)

三 大阪市交通局の地下鉄工事における抜止め施工の実情

四 本件継手に対する抜止め施工の必要性等

(一)抜止め施工の必要性

(二)抜止め施工の時期

(三)工法上の過誤と本件事故との因果関係

第五 大阪市交通局の監督管理責任

第六 抜止め施工についての三者(交通局、鉄建建設及び大阪ガス)の関係と各責務

一 行政指導等

(一)市街地土木工事公衆災害防止対策要綱

(二)板橋ガス爆発事故を契機とする通産省の措置

(三)ガス導管防護対策会議報告書

二 交通局と大阪ガスとの間の計画策定

三 交通局と鉄建建設との間の契約内容

四 大阪ガスによる抜止め施工の要請

五 まとめ

(一)三者相互の関係等

(二)本件継手に対する抜止め施工についての三者それぞれの責務

1大阪ガス

2交通局

3鉄建建設

(三)むすび

第七 鉄建建設関係被告人及び交通局関係被告人の各刑事責任

はじめに

その一〔被告人らの経歴と業務〕

一 被告人溝手

二 被告人藤井

三 被告人三上

四 被告人高橋

五 被告人田中

六 被告人正木

七 被告人矢萩

八 被告人岡本

九 まとめ

その二〔予見可能性〕

はじめに

一 被告人ら各自の個別事情

(二)被告人溝手について

(二)被告人藤井について

(三)被告人三上について

(四)被告人高橋について

(五)被告人田中について

(六)被告人正木について

(七)被告人矢萩について

(八)被告人岡本について

二 被告人ら全員またはその一部に共通する事情

(一)本件継手の抜出しに至る具体的因果についての認識ないしその可能性

(二)工法上本件継手に抜止め施工が必要であることの認識ないしその可能性

三 まとめ

その三〔結果回避業務、過失等〕

その四〔検察官主張その余の過失について〕

その五〔過失と受傷との間の因果関係〕

第八 四月七日午後被告人上田の操縦するドーザーショベル(小型ブル)が本件三〇〇ミリ中圧ガス導管に接触してこれに衝撃を与え、本件継手の締結力を劣化させた事実の有無

第九 被告人福井のガスパトカーの火災と本件爆発の着火源

第十 有罪被告人に対する量刑について

判決裁判所

別表一 死亡者一覧表

別表二 受傷者一覧表

別紙一 起訴状記載の公訴事実

別紙二 地下鉄工事経過の詳細

一 試 掘

二 杭打設

三 路面覆工

四 掘削、ガス導管の懸吊など

五 昭和四五年四月初めから四月八日までの作業状況等

はじめに

(一)四月二日夜間(同日夜から翌三日朝まで)の中圧管横断部南角の懸吊等

(二)四月三日の状況

(三)四月四日夜間の作業とガス漏れ事故の発生

(四)四月六日昼間の懸吊作業

(五)四月七日昼間の作業と中間検査

(六)四月六日夜間及び四月七日夜間のガス導管横断部の懸吊作業

(七)四月八日の懸吊作業等

別紙三 昭和三七年当時の本件中圧管等横断部付近のガス導管敷設工事の状況

別紙四 抜止め施工の実例

別紙五 請負契約書等の抜すい

一 工事請負契約書

二 高速電気軌道地下工事標準仕様書(第一章総則)

別紙六 被告人溝手及び同藤井の両名が大阪ガスからの抜止め条件付承認文書の内容を知っていたか否かの検討

第一図 ガス導管敷設配管の状況

(その一)

(その二)

第二図 三〇〇ミリ中圧ガス導管横断部配管状況

第三図 五〇〇ミリ低圧ガス導管横断部配管状況

第四図 両ガス管横断部及びその付近の懸吊経過

第五図 水取器

第六図 ガス型鋳鉄管

第七図 鋼管(直管)

第八図 水取器接合図

第九図 横断部鋼管敷設作業状況

第一〇図 本文第八の二の参考図

会社員

溝手吉正

昭和三年一二月二〇日生

会社員

藤井俊造

昭和九年九月一六日生

会社員

三上年一

昭和一六年四月一日生

会社員

高橋久之

昭和一〇年九月一日生

会社員

田中淳

昭和一一年一月七日生

交通局嘱託

正木忠夫

大正一五年六月六日生

地方公務員

矢萩光孝

昭和一四年八月一日生

地方公務員

岡本安雄

昭和二一年三月一一日生

会社員

福井新司

昭和一九年一月一〇日生

下水工事請負業

上田金一

一九三四年七月二一日生

右の者らに対する各業務上過失致死傷被告事件について、当裁判所は検察官曽根正行出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

被告人溝手吉正を禁錮二年六月に、被告人藤井俊造を禁錮二年に、被告人矢萩光孝を禁錮一年六月に、被告人三上年一、同田中淳、同正木忠夫、同岡本安雄を各禁錮一年に、被告人高橋久之を禁錮一〇月に処する。

この裁判確定の日から、被告人溝手吉正、同藤井俊造、同正木忠夫に対し各四年間、被告人田中淳、同矢萩光孝に対し各三年間、被告人三上年一、同高橋久之、同岡本安雄に対し各二年間それぞれ右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人勝田頼春、同田中千尋、同烏野武司、同西端久禧雄、同入江玉治、同小森博人、同北村和美、同(第一、二回)福森康文、同西中利雄、同(第一、二回)中村弘、同飛田水義、同中村浅吉、同金平秀雄、同笹義昭、同川建誠次、同伊谷晃、同伊藤富雄、同高橋正雄、同中島顕、同二村治慶及び同牧紘一に支給したもの(ただし、証人北村和美については第四〇回公判期日の、同西中利雄については第四四回公判期日の、同(第一回)中村弘については第四六回公判期日の各出頭分を除く。)はこれを八分し、その一宛を被告人溝手吉正、同藤井俊造、同三上年一、同高橋久之、同田中淳、同正木忠夫、同矢萩光孝、同岡本安雄の各負担とし、証人奥村敏恵に支給したものはこれを五分し、その一宛を被告人溝手吉正、同藤井俊造、同三上年一、同高橋久之、同田中淳の各負担とし、証人三浦恒久、同清水英雄、同原一夫及び同白神稔に支給したものはこれを三分し、その一宛を被告人正木忠夫、同矢萩光孝、同岡本安雄の各負担とし、証人上中清丸に支給したものはこれを三分し、その一宛を被告人溝手吉正、同藤井俊造、同田中淳の各負担とし、証人鶴留学に支給したものは被告人溝手吉正の負担とする。

被告人福井新司及び同上田金一はいずれも無罪。

有罪判決の理由

被告人溝手吉正、同藤井俊造、同三上年一、同高橋久之、同田中淳、同正木忠夫、同矢萩光孝及び同岡本安雄(主文一、二、三項)関係

〔罪となるべき事実〕

一被告人らの業務

昭和四四年九月二九日鉄建建設株式会社(以下鉄建建設という。)が大阪市交通局長から施工を請負い、そのころ着工し、以後大阪市交通局の全面的な監督管理のもとに工事が進められてきた大阪市営高速電気軌道(地下鉄)二号線延長工事第四工区(同市大淀区天神橋筋六丁目から同区国分寺町間、延長三〇六メートル)の地下鉄建設工事につき、

(一)被告人溝手、同藤井、同三上、同高橋及び同田中は、いずれも土木建築工事の施工等を業とする右鉄建建設の従業員で、右地下鉄建設工事の施工を担当する同社大阪支店天六作業所に所属し、同作業所長である被告人溝手は、昭和四四年九月三〇日以降右第四工区建設工事の現場代理人として、大阪市交通局監督員の指揮監督の下に同工事の施工を掌理する業務に従事していたもの、被告人藤井は同日以降同工事の主任技術者兼現場監督として、被告人三上は同年一〇月一日以降、被告人高橋は昭和四五年四月一日以降それぞれ同工事の現場監督として、いずれも被告人溝手の指示を受け、下請業者の作業員らを指揮監督して同工事を施工する業務に従事していたもの、被告人田中は昭和四四年九月三〇日以降同工事の企画主任として同工事の施工に必要な仮設工事の企画、設計等の業務に従事していたものであり、

(二) 被告人正木、同矢萩及び同岡本は、いずれも大阪市技術吏員で、右第四工区の地下鉄建設工事の監督管理を担当する大阪市交通局高速鉄道建設本部建設部第二建設事務所第一係に所属し、被告人正木は同係長として、被告人矢萩は同工区担当の主任監督員として、被告人岡本は同工区担当の監督員として、それぞれ鉄建建設が行う同工事の施工を指揮監督する業務に従事していたものである。

二工事の進捗状況

右第四工区の地下鉄建設工事は、ほぼ東西に通じる市道梅田・都島線の道路に深さ約一九メートルの掘坑を掘り、その底に地下鉄のトンネル及び駅舎を構築してから埋め戻すという、いわゆるオープンカット工法で施工され、工区内の国分寺町交差点西詰以東第五工区境に至る延長約一一七メートルの路面に覆工板を敷きつめた地下において、掘削にともない、工区内を東西に並行する埋設物である口径三〇〇ミリメートル中圧ガス導管の露出懸吊作業が行われてきたが、同ガス導管には、国分寺町交差点東詰付近において、南北二個所で九〇度に曲折し、かつ、その北角から管長約一・五メートルにわたり約四五度の角度で立上るなど山型になつて他の埋設物を上越しする、長さ約七・五メートルの横断部があるところ、昭和四五年四月二日ころからは右横断部付近の露出懸吊作業に入り、同月六日中には右横断部北角から約二・七メートル東方に設けられた水取器(その東西両端に継手がある)も露出懸吊されてその東方からの同ガス導管が宙吊りとなるに至り、その後近日中に右北角等右水取器以西の横断部付近全体の同ガス導管が露出懸吊されることが予定されるようになつた。

三人の生命、身体に対する危害発生の危険の存在とその予見可能性

右三〇〇ミリ中圧ガス導管の横断部の埋設深度は、約四メートルにわたり管頂が路面下わずか五、六〇センチメートルときわめて浅く、このため管敷設後長年にわたる路面通行車両の繰り返し荷重で導管が受けた沈下、振動の影響により、あるいは前記水取器懸吊後に生じたもしくは生じるかもしれない地下鉄工事にともなう導管に対する外力の作用により、その他なんらかの原因によつて、横断部南角北寄りのスリーブ継手から北角を経て一本の鋼管になつている同ガス導管の北角東方第一番目の継手である前記水取器西側の継手(以下本件継手という)の締結力に欠陥が生じており、あるいは生じるかもしれない可能性があり、現に欠陥が生じており、あるいは生じるに至れば、そのまま掘削を進めて右横断部及びその前後の導管全体を露出宙吊りにさせるときは、その配管状況が前記のとおり特殊であることからして、付近の導管が前後、左右に容易に動き得るところとなり、これにともなつて、本件継手がガスの内圧に抗し切れずに抜出しを始め、大量の都市ガスが噴出するに至るおそれがあり、ガス噴出に至れば、そのガス自体により、あるいはその燃焼、爆発を招くことにより、一般公衆その他の人の生命、身体に対して危害を及ぼす危険があり、被告人らにおいてもこの危険を予見することができた。

四被告人らの業務上の注意義務及びこれに違反する過失行為

右のように、そのまま掘削を進めて横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体を露出宙吊りにさせるときは、本件継手が抜出しを始めてガスの噴出を招き、これにより人の生命、身体に危害を及ぼす危険があつたのであるから、

(一) 被告人溝手、同藤井、同三上及び同高橋は、それぞれ、横断部北角を掘削するなどして右横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体を露出宙吊りさせるに先立ち、本件継手に抜止め防護の措置を施工しなければならない前記業務上の注意義務があるのに、これを怠り、昭和四五年四月六日の昼の作業で前記水取器及びその西端の本件継手を露出させた後も、なんら右施工を行わないまま横断部等の掘削を進め、右施工のないまま、ついに同月八日午前一一時ころには最後に残されていた右北角を掘削して横断部及びその前後の同ガス導管の全体を露出宙吊りになるに至らしめ、

(二) 被告人田中は、横断部北角が掘削されるなどして右横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体が露出宙吊りになるのに先立ち、本件継手に対する抜止め防護の施工方法を企画設計して被告人藤井等工事の施工監督に従事する者に工法上適切な指示を与え、もつて右防護措置を施工させなければならない前記業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右企画設計、指示をなんら行わないまま放置して掘削が進められるままにまかせ、右施工監督従事者らをして、右(一)記載のとおり、右防護措置を施工しないまま掘削を進めてついに横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体を露出宙吊りにするに至らしめ、

(三) 被告人正木、同矢萩及び同岡本は、それぞれ前記監督を適正に行い、横断部北角が掘削されるなどして右横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体が露出宙吊りになるのに先立ち、被告人溝手以下の鉄建建設天六作業所職員に適切な指示を与えて本件継手に抜止め防護の措置を施工させなければならない前記業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右適切な指示をなんら与えることなく放置して掘削が進められるままにまかせ、右天六作業所職員らをして、右(一)、(二)記載のとおり、右防護措置を施工しないまま掘削を進めてついに横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体を露出宙吊りにするに至らしめた。

五死傷事故の発生

右のとおり、本件継手に抜止め防護措置の施工がなされないままに掘削が進められ、昭和四五年四月八日午前一一時ころには最後に残されていた横断部北角が掘削されて横断部及びその前後の三〇〇ミリ中圧ガス導管の全体が露出宙吊りになつたところから、同日午後五時二〇分ころ、その締結力に欠陥があり、ガス内圧に抗し切れなくなつていた本件継手が抜出しを始めて大量の都市ガスが噴出し、前記国分寺町交差点西詰以東の本件工区及びこれに続く第五工区の掘坑内に空気との混合気になつて充満するに至り、同日午後五時四五分ころ、何らかの着火源から引火して大爆発を起こし、右交差点東詰から東方約一七〇メートルにわたつて覆工板を飛散させるとともに周辺の住宅等の建物等に火災を発生させ、よつて、別表一死亡者一覧表記載のとおり、同表記載の七九名の者が同記載の各傷害を負つてこれにより死亡し、また別表二受傷者一覧表(ただし番号123を除く)記載のとおり、同表記載の三七九名の者が同記載の各傷害を受けた。

六まとめ

被告人らは、一記載の地下鉄建設工事につきそれぞれ同記載のとおりの業務に従事していたものであるが、右工事が二記載のとおり進捗し、三記載のとおり人の生命、身体に対する危害発生の危険があり、いずれもこれを予見することができたのであるから、それぞれ、四記載のとおりの業務上の注意義務があるのに、同記載のとおりこれを怠つた過失により、五記載のとおり、都市ガスが噴出して大爆発を起こすとともに火災を発生させるに至らしめ、よつて、同記載のとおり、七九名の者に傷害を負わせてこれらを死亡するに至らしめるとともに、三七九名の者に傷害を負わせたものである。

〔証拠の標目〕≪省略≫

〔法令の適用〕

被告人らそれぞれの別表一、二死亡者及び受傷者各一覧表記載の者らに対する判示各業務上過失致死傷の所為は、被害者ごとに、行為時においては刑法二一一条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に、裁判時においては刑法二一一条前段、右改正後の罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑を適用し、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い別表一死亡者一覧表番号61の被害者に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、いずれの被告人についても所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人らをそれぞれ主文一項の刑に処し、情状によりいずれの被告人についても刑法二五条一項を適用して主文二項のとおり右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により主文三項のとおり被告人らに負担させることとする。

〔一部無罪となる訴因〕

被告人らに対する本件各公訴事実中別表一受傷者一覧表番号123の安土利子に対する業務上過失傷害の点は、後記説明の中で触れるとおり犯罪の証明がないが、前記有罪となる各事実と科刑上一罪の関係にあたるものとして公訴を提起され、審理されてきたものであるから、主文で無罪を言渡すことはしない。

無罪判決の理由

被告人福井新司及び同上田金一

(主文四項)関係

〔無罪となる公訴事実の要旨〕

被告人福井及び同上田に対する本件各公訴事実の要旨は別紙一「起訴状記載の公訴事実」中同被告人らの関係部分のとおり(但し、負傷者の傷害の程度等については多少の異同がある。)である。

〔無罪の理由〕

右各公訴事実については、説明の中で触れるとおりいずれも犯罪の証明がないことに帰着するから、刑訴法三三六条により主文四項のとおり無罪を言渡す。

説   明

はじめに

当裁判所は、証拠調べの結果にもとづき、以下のとおり事実を認定し、かつ判断をして前記の有罪及び無罪の結論に到達したものである。

有罪となつた被告人らに対する本件公訴事実の要旨は別紙一「起訴状記載の公訴事実」のとおり(ただし、被害者の傷害の程度等については多少の異同がある。)であつて、それぞれの過失の内容は一部の被告人の場合を除き多岐にわたつているが、当裁判所は、本件継手部に抜止め防護の措置が施工されないまま横断部及びその前後(起訴状にいう曲管部)の三〇〇ミリ中圧ガス導管の露出、懸吊作業が進められたこと(それによる危険は、最後に残された横断部北角を掘削し、横断部及びその前後の管全体が宙吊りになつた時点で現実化するのであるから、右不施工のままそのような状態になるまで掘削が進められたこと)に関し、それぞれの当時の業務に対応した過失があつたと認められるのであつて、その余の諸点に関しては過失を認めない。また、被告人上田については、訴因にあるとおりドーザーショベルのバケットを右ガス導管に接触させ、その振動により本件継手部に衝撃を与えたとの事実につきその証明がないとするものであり、被告人福井については、同被告人が運転していたパトカーのエンジン始動によつて引火した炎が本件爆発の着火源であることにつきその証明がないとするものである。

なお、二号線四工区工事現場中国分寺町交差点以東の掘坑における位置関係を明示するにさいし、現場に架設された覆工桁の番号を用いることがあるが、覆工桁の番号は、同交差点東詰付近のものを一号桁とし、以下順次東方へ五工区境に至り、五工区境のものが五〇号桁となる。これら覆工桁の間隔は、七号桁と八号桁の間が一・四メートルであり、その余はすべて二・〇メートルである。

第一 事故発生に至る経過と事故の発生

一施行計画と工事請負契約及び着工

大阪市交通局(以下交通局という)は、運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会大阪部会の答申に基づいて、昭和三八年地下鉄整備の基本計画を策定し、そのころから積極的に地下鉄建設を推進するようになつた。本件地下鉄二号線延長工事(東梅田―守口間)も右の一環として計画実施されたもので、昭和四四年一一月二二日軌道法五条に基づき運輸、建設両大臣の認可を受け(同年七月七日申請)、同年一二月二日軌道法施行令五条、道路法三二条に基づき道路管理者に対する道路掘削についての道路占有許可(許可申請は同年八月二一日)を、また道路交通法七七条による道路使用については同年一〇月三〇日所轄警察署長の許可(同年八月二一日申請)を得ていた。交通局は、右地下鉄二号線延長工事のうち大阪市北区東梅田から同市都島区都島に至る間の約三キロメートルを第一期工事とし、その全区間を九つの工区に分けて東梅田から東方に向け順次第一ないし第九工区と定め、昭和四四年八月ころ各工区をそれぞれ地下鉄建設業者に入札させ、その結果第二建設事務所が所管する第一ないし第五工区については、株式会社大林組が第一工区、佐藤工業株式会社が第二工区、株式会社森本組が第三工区、鉄建建設が第四工区、株式会社青木建設が第五工区をそれぞれ担当することとなつた。

右第四工区の工事は、大阪市大淀区天神橋筋六丁目からその東方にあたる同区国分寺町まで三〇六メートルの区間(東方の守口を基点としたMLで六、六七四メートルから六、三六八メートルの区間。この区間は、ほぼ東西に走る市道梅田・都島線の一部であつて、道路両側には住宅、商店、事務所などが密集する交通頻繁な場所である。)において地下に天六停留場及び線路を構築するというもので、鉄建建設が請負金額一二億九二〇〇万円で落札し、昭和四四年九月二九日交通局長黒田泰輔と鉄建建設大阪支店長勝田頼春との間で工事請負契約が締結された。その契約書第一条には、請負人である鉄建建設は別冊仕様書及び図面に基づいて工事を完成しなければならないと定められているが、各工程における施工法の基本、材料の規格等について定めた各工区共通の高速電気軌道地下工事標準仕様書及び当該工区の特殊事情について定めた特記仕様書ならびに工事内訳明細書、並びに、仕様書記載の各工程での施工方法の参考図を示した地下工事標準施工参考図等はすでに右契約締結時までに交通局から鉄建建設に交付されていた。

そして、契約では同年九月三〇日に着工し昭和四七年五月三〇日に竣工すると定められていたが、契約の前からすでに工事に着手し、以後交通局の監督管理のもとに工事が進められてきた。

二四工区工事関係者

四工区工事の関係者は以下のとおりである。

(一) 鉄建建設関係

鉄建建設は、土木建築工事の施工等を目的とする業者で、本店を東京都千代田区ミサキ町二丁目五番三号に置き、大阪市大淀区天神橋筋六丁目五番地阪急ビル内に大阪支店を設けていた。本件四工区工事の施工は、昭和四二年五月に地下鉄六号線天六停留場新設工事(一五工区)及び地下線路工事(二二工区)を請負つた際に新設された天六作業所(大阪市北区吉山町四〇番地の六)が担当することになり、同作業所長の被告人溝手を本件四工区工事の現場代理人とし、そのもとに同作業所工事係主任兼四工区工事の主任技術者として被告人藤井を、現場監督(工事係々員)として被告人三上、同高橋(但し、同被告人高橋については昭和四五年四月一日以降)、田口千尋、西端久禧雄、烏野武司、吉川邦博、橋本謙二(同人は同年三月退職)を、また、四工区工事の企画主任(工務係主任)として被告人田中をそれぞれ配置し、交通局監督員の指揮監督を受けながら四工区工事の施工に当つていた。

鉄建建設は元請として工事現場には現場監督らを配置するだけで、各工種の作業はすべて下請業者に施工させていた。土工、大工等一般工事関係を錦城建設株式会社に、溶接関係を丸田組に、機械掘削関係を野口重機工業株式会社に、剰土搬出関係を東海運輸株式会社に、鋼杭建込工事関係をライト工業株式会社に、動力線や街路燈等の設置関係を株式会社山川工業所に、軌道撤去工事関係を土居組に下請させるなどしていたが、右錦城建設や野口重機等は土工、運転者あるいは重機等を提供するだけで、これら作業員等は常に鉄建建設現場監督らの指揮監督に服し、その指示どおり工事を施工すべきものとされ、その独自の判断により作業工程や工法を決定することは許されていなかつた。後記のとおり、作業工程、工法はすべて被告人溝手、同藤井らにおいて決定し、毎日の作業予定についても、毎日昼ころ被告人藤井、同三上らが決定した当日夜間及び翌日昼間の作業内容を、その日の夕方の打合わせ会で下請業者の世話役らに説明示達するなどしてその徹底をはかつていた。

(二) 交通局関係

交通局は、地下鉄工事の施工を監督するため、高速鉄道建設本部建設部に第一ないし第四の各建設事務所を設置し、その所属職員をして各所管区域内における地下鉄建設・改良工事の施行に関する業務に従事させていたが、地下鉄二号線延長工事のうち第一期工事については第一ないし第五工区が第二建設事務所(以下「二建」と略称する。)の、第六ないし第九工区が第三建設事務所の各所管とされていた。

二建は大阪市北区扇町五六番地に所在し、所長清水英雄のもとでその第一係(係長被告人正木)が第三ないし第五工区を、第二係(係長有留靖朗)が第一、第二工区を担当し、四工区工事については第一係長である被告人正木のもとに主任監督員として被告人矢萩、現場監督員として被告人岡本、橋本義郎及び比良山進が配置され、それぞれ上司の命を受けて工事施工の監督管理業務に当つていた。

(三) 大阪ガス関係

大阪ガス株式会社(本件当時は大阪瓦斯株式会社。以下大阪ガスという。)では、内径一〇〇ミリメートル以上のガス導管の維持管理は本管部管理課でこれを担当するものとされ、したがつて四工区工事現場に埋設されていた中圧管等のガス導管も同課の所管となつていた。同課維持係には専属の立会担当技能員一〇名が配置され、これら技能員は、第三者工事に際してガス導管に近接して工事が行われる場合あるいはガス導管を露出させる場合にガス導管の損傷やガス漏洩事故が発生するのを未然に防止するため、工事の立会、巡回に当つていたが、地下鉄工事関係については技能員栗川末雄の担当とされ、同人は直属の中井組南口班(責任者南口清文)三名を指揮しながら立会、巡回の業務を行つていた。四工区の工事現場へは栗川自身が三、四日に一回、南口班が栗川の指示により二日に一回程度巡回を行つていた。

三工法と工事経過など

(一) 工法

本件四工区工事は、道路表面から所定の深さまで掘削を進め、その掘坑の底部にトンネルを構築して再び埋め戻すという、いわゆるオープンカット(カットアンドカバー)工法によつていた。この主な工程は、①準備工(後に鋼杭打設などの際に埋設物に損傷を与えたりしないよう予め工区内の何か所かを試掘して地下埋設物の位置、深度を確認し、また、工事に伴つて車道を広げるために歩道切削を行つたり、旧市電の軌道を撤去したりなどするもの)、②杭打工(掘坑の両側に当る位置に土留杭(H型鋼)を、掘削溝の中央付近に中間支柱(H型鋼)をそれぞれ列状に一定間隔で打設するもの)、③路面覆工(②で打設された鋼杭の上部に溝型鋼(通称「チャンネル」という。)を水平に取り付けた後、その上に一定間隔で南北に覆工桁を架設し(なお同時に懸吊桁の架設を行う。)、さらにコンクリート製覆工板を敷きつめて、工事中における路上交通を確保するもの)、④掘削工(地面から地下へ所定の深さまで掘削を進めていくのであるが、掘削が深部へ進むにつれ土留杭間に土留板を入れて土砂の構内への流入を防ぐとともに、土留背面の土圧による倒壊を防止するためH型鋼で切梁、腹起し作業をしてこれを支える(支保工という)。なお掘削に伴つて露出する各種埋設物は懸吊桁を用いて懸吊する。)、⑤基礎工(排水管を入れ、捨てコンクリートを敷く。)、⑥構築工(掘削の完了した箇所に構造物を構築するもので、鉄筋、型枠、コンクリート打設、防水等の作業がある。)、⑦復旧工(埋戻し、埋設物防護復旧、鋼杭及び桁の撤去、路盤工、アスファルト舗装等を行うもの)などである。これらのうち⑤及び⑥は本体工事であるが、②、③、④などは仮設工事と呼ばれている。そして右工程のうち掘削及びこれにともなう埋設物(ガス導管)懸吊の段階で本件事故が発生した。

(二) 工程会議等による工程、工法の協議決定など

鉄建建設は、工事施行の順序方法及び工程については交通局の指揮監督に従い、工事請負契約書、地下工事標準仕様書、特記仕様書、地下工事標準施工参考図、工事内訳明細書及び添付図面等に準拠して遅滞なく正確に工事を施工すべきものとされ(地下工事標準仕様書第一章第三条)、一方交通局はその施工を監督すべき立場にあつたが(工事請負契約書七条等)、実際に工事を進行させるに当つては、工程会議、週間工程会議、打ち合わせ会等において具体的な工程や作業方法の協議決定がなされていた。すなわち、鉄建建設では本件四工区工事の落札が決まると直ぐに総合工程表を作成して二建に提出し、その承認を得ていたところ、毎月第一金曜日に二建事務所で開かれた工程会議には、鉄建建設側から被告人溝手、同藤井、同田中らが、二建側からは所長、被告人正木、同矢萩らがそれぞれ出席し、右総合工程表を基準にして前月の工事の進捗状態の報告とその月の工事工程の打ち合わせを行い、また作業上の問題点の解決方法を検討、協議するなどし、さらに露面覆工が行われていた期間中は毎週土曜日鉄建建設天六作業所において、二建側から被告人矢萩、同岡本の出席を求めたうえ、鉄建建設側から被告人藤井、同田中及び現場監督が出席し、右月間工程に基づき一週間の工程について協議し、それらで決定されたところに従つて工事が施工されていた。また、毎日の工程については、被告人藤井、同三上及び田口千尋が構内巡視等によつて工事の進捗状況を把握したうえ、それに基づいて毎日昼頃その日の夜間及び翌日昼間の作業予定を計画決定していたが、その内容は天六作業所内の黒板に掲記しておき、かつ毎日夕方同作業所に下請業者の世話役を集めて行われる打合せ会の席上において被告人藤井又は同三上らが説明指示することにより、具体的な作業の進行をはかつていた。一方二建監督員は、右のように決定された毎日の作業予定を記入した作業予定表の提出を受けることにより、当日夜及び翌日昼間の作業予定を事前に把握し、毎日昼夜を問わず工事現場を巡視するほか、鉄建建設から提出されるガス導管懸吊などの各種施工図面を検討、承認するなどの方法によつても、工事施工の監督を行つていた。そのほか、毎月第三火曜日には埋設物会議が二建事務所で開催され、二建側からは第一、第二係長、各工区主任のほか交通局建設部土木課係員が、鉄建建設側からは被告人藤井、同田中、同三上らがそれぞれ出席し、さらに埋設物企業者(大阪ガス、関西電力、電々公社、水道局など)の出席も求めて、埋設物及び架空線に関する取扱い、立会、作業上支障のある場合における埋設物企業者に対する要望事項等を議題として協議が行われていた。

(三) 工事経過等

試掘は契約締結前の昭和四四年九月二七日ころから開始され、同年一一月四日ころに完了した。この間の一〇月一九日には後記ガス導管の横断部の試掘も行われた。それ以後の工事は、工区内国分寺町交差点以西の吉山町付近(この場所は道路北側沿いの建物の立退きがすんでおらず、道路の拡幅が未了であつた。)を残し、同所より西側の阪急ビル前及び東側の同交差点西詰以東五工区境までの間の二か所に分けて進められた。本件事故の発生した同交差点西詰以東の区域(延長約一一七メートル)については、昭和四四年一一月二三日ころから土留杭及び中間支柱の鋼杭打設作業が行われ(昭和四五年一月一〇日ころから同月一三日ころにかけては右横断部の両バス導管の中間に中間支柱を打設する作業が行われた。)、引続き同年一月一一日ころから路面覆工の作業に入つて三月六日にはそれが完了し(この間の一月二五日から二月一一日にかけては右横断部付近の覆工が行われた)、二月二三日ころには、路面に敷きつめられた覆工板の下の掘削作業が開始され、三月一六日からはドーザーショベルBS三型(小型ブル)もこれに従事した。掘削は、掘坑上南端寄りに、五工区境から約三〇メートル西方に東端があるように設置されたホッパー(長さ六・二メートル、巾三・三メートル、地上の高さ約九メートル)の位置から先ず東へ、続いて西へ(その場合にも南が先)と進められ、本件事故の発生した四月八日には、五工区境から約九七メートル西方(国分寺町交差点東詰、一号桁付近)にまでその範囲が及んでいた。

これら工事経過の詳細は別紙二「地下鉄工事経過の詳細」に記載するとおりであつて、四月八日の時点では、国分寺町交差点以東の掘坑は、東に行くほど幅が狭く、かつ深く、一号桁付近で巾約一六メートル、深さ(覆工板下)最大二・五メートル、東端の五工区境で幅約一一メートル、深さ(同右)五〜六メートルに達し、東端ではそれより東方の五工区の掘坑(長さ約一二〇メートル、幅約一一メートル、深さ(同右)は東に行くほど浅く、最大五〜六メートル、最小一メートル)に接続し、坑内(覆工板下)の容積は、四工区で約四・五千立方メートル、五工区で約五・五千立方メートル、合計約一万立方メートルであり、これらの掘坑上には合わせて二、〇〇〇枚近くのコンクリート製覆工板(一枚につき長さ二メートル、幅〇・七五メートル、厚さ〇・二〇メートル、重さ三八〇キログラム)が敷きつめられていた。

四埋設ガス導管の存在とその露出、懸吊の状況

(一) 埋設ガス導管の敷設、配管の状況

国分寺町交差点以東の本件四工区工事現場には、大阪市水道局の六〇〇ミリ(外径七三センチメートルくらい)上水道管、関西電力の高圧線ダクト、電々公社の電話線ダクトのほかに、大阪ガスの都市ガス用五〇〇ミリ低圧及び三〇〇ミリ中圧の二本のガス導管が工区に並行してほぼ東西に埋設されていた。

この両ガス導管の敷設、配管の状況はほぼ第一図に示すとおりであつて、五工区境から中圧管が北側、低圧管が南側になつて(その間隔は二一号桁付近で約〇・七メートル(隙間としては〇・三メートル弱))西に伸び、中圧管は六号桁と七号桁の中間で、低圧管は五号桁と六号桁の中間でそれぞれ九〇度の角度で南に屈曲し、中圧管は東側、低圧管は西側となり、二・一(北角付近)ないし二・四(南角付近)メートルの間隔(隙間としては一・七ないし二・〇メートル程度)でいつたん南に伸び、中圧管の場合は約七・五メートル、低圧管の場合は約六・二メートルの各横断部を経て再びそれぞれが九〇度の角度で西に屈曲し、今度は低圧管が北側、中圧管が南側になつて(その間隔は五号桁付近で〇・六メートル弱(隙間としては〇・二メートル弱))西に伸び、中圧管の場合は南角から約一二・七メートル、低圧管の場合は南角から約九・三メートル西に伸びて一号桁付近に至つていた。

右各横断部では、両管とも北側から順に電々ダクト、関電ダクト、上水道管を上越しし、そのため両管とも山形になつて埋設深度が浅くなつているが、その各配管状況は、中圧管の場合は第二図に、低圧管の場合は第三図にそれぞれ示すとおりである。すなわち中圧管は、横断部北角で水平方向に九〇度屈曲するとともに約四五度の角度で立上り、管長約一・五ないし一・六メートルの立上り部分以南は水平になつて約四・一メートル進み、そこで管長約〇・六メートルにわたつて斜め下方に降下し、再び水平になつて約一・九メートル進んだ南角で水平方向九〇度の角度で西に屈曲していた。また低圧管は、横断部北角で水平方向に九〇度屈曲するとともに急角度で立上り、管長一メートル程度の立上り部分以南は水平になつて約二・一メートル進み、そこからは管長約三・六メートルわたり漸次斜め下方に降下して南角に至り、水平方向九〇度の角度で西に屈曲していた。

右のように両管とも横断部では山形になつて他の埋設物を上越ししているため、その埋設深度はいずれもきわめて浅く、地表面から管頂までの深さは、中圧管の場合、横断部北角以東では一〇五(北角直東)ないし一六六(二一号桁付近)センチメートル、南角以西では一〇八センチメートル(一号桁及び五号桁付近)であるのに対し、横断部ではその最浅部で五七センチメートルくらいに過ぎず、また低圧管の場合、横断部北角以東では一二七(北角直東)ないし一六三(九号桁付近)センチメートル、南角以西では八八(五号桁付近)ないし七六(一号桁付近)センチメートルであるのに対し、横断部ではその最浅部で一三センチメートルくらいに過ぎなかつた(以上の横断部での深度はいずれも嵩上げして覆工する以前のものである。)。

また、中圧管の場合、その横断部北角の東方約二・七メートルのところにその西端が位置するように鋳鉄製の水取器(管長六八センチメートル、重量二五〇キログラム。その東西両側に継手がある。)が設けられ、一方南角の西方数十センチメートルのところ及び南角の北方約一メートルのところにそれぞれ両端に継手のあるスリーブが設けられているが、右水取器の西側継手(本件継手)から右南角北方のスリーブ継手までの間は溶接で一体となつた一本の鋼管であり、水取器以東及び南角西方のスリーブ以西は、おおむね六メートルごとにガス型継手を持つ鋳鉄管であつた。低圧管の場合、その横断部北角の東方約五・三メートルのところにその西端が位置するように鋳鉄製の水取器(管長九四センチメートル、重量五七〇キログラム)が設けられ、一方南角の西方約一メートルのところにスリーブが設けられているが、右水取器の西側継手から右南角西方のスリーブ継手までの間は溶接で一体となつた一本の鋼管であり、低圧管のその余の部分は、前同様おおむね六メートルごとにガス型継手を持つ鋳鉄管であつた。

なお、中圧管横断部北角やや南の低圧管との交差部においては、中圧管立上り部分が上になり、低圧管が下になり、両者の密着していることが四月八日午前中までに確認されている。

(二) 三〇〇ミリ中圧ガス導管等の露出懸吊の状況

掘削が進むにつれて地中の各種埋設物が露出するようになり、中圧、低圧の両ガス導管については三月一四日ころから順次その懸吊が進められていつた。懸吊がすんだところではその付近の管下等の土砂が掘削除去されるので、懸吊が進むにつれて両管は順次坑内で宙吊りになつていつた。その進捗状況その他の作業の状況の詳細は別紙二「工事経過の詳細」(ことに横断部及びその付近での懸吊経過については第四図)記載のとおりであつて、三月末ころには五工区境から各横断部の二、三〇メートル東方まで懸吊、掘削が行われ、四月二日からは横断部及びその付近の懸吊にとりかかつた。かくして、四月六日の昼の作業で、低圧管は水取器西側継手の西方約二メートルのところ(第四図№33)まで、中圧管は水取器西側継手(本件継手)のすぐ西(北角から約二・五メートル東)のところ(同№28)まで懸吊され、同日夜の掘削作業を経て両水取器ともその東方の導管に引続き坑内で完全に露出宙吊りになつた。一方これに並行して各横断部南角以西及び以北の懸吊が順次進められていたので、中圧管の場合は、四月六日夜の作業を経て、南角の西方約九メートルのところ(同№41)から北角の南一メートル余(低圧管との交差部立上り部分のすぐ南)のところ(同№31)までが懸吊され、低圧管の場合は、四月七日夜の作業を経て、南角の西方約四メートルのところ(同№44)から北角の南〇・五〜〇・六メートル(立上り部分のすぐ南)のところ(同№37)までが懸吊された。

そして、右各懸吊にともないその管下付近の土砂が掘削除去されていき、事故発生当日四月八日朝の作業開始時の段階では、両管とも横断部北角付近を除いて坑内すべて(ただし西端のわずかの部分を除く)にわたつて宙吊りとなつており、同日は朝から残された右両管の北角付近の懸吊作業に入り、午前中に管下の土砂を除去し、引続き中圧管二か所(第四図の№29、30)及び低圧管三か所(同№34、35、36)の懸吊をしたので、管下の土砂を除去した午前一一時ごろには、両管とも四工区内から五工区内にかけ横断部を含む坑内全体(ただし四工区内については坑内西端のわずかの部分を除く)延長約二二〇メートルの管全体が露出宙吊りになるに至つた。

五本件事故の発生

(一) ガス噴出とその後の経過

前記のとおり、昭和四五年四月八日午前一一時ころには本件中圧ガス導管が、その屈曲した横断部を含め、四工区内西端付近から同工区坑内及びこれに続く五工区坑内にかけ全長約二二〇メートルにわたり宙吊りになつたところ、同日午後五時二〇分ころ、右中圧管横断部北角東方の第一継手である水取器西側の本件継手が抜出しを始め、突如大量の都市ガスが噴出し出した。噴出したガスの量は一時間当りにして二・五ないし三万立方メートル(常温、常圧下での量)という大量のもので、それは空気と混合しながら、噴出場所に近い西の方が濃度が高く、東の方が濃度が低く、かつ空気と比べて都市ガスの方が比重が小さいため、上層部ほど濃度が高く、下層部ほど濃度が低く、また同一地点では時間が経過するほど濃度がより高くなるという状態で混合気となり、坑内に充満して行つた。そして、その都市ガスないし混合気は、路面を覆つた覆工板中ところどころに設けられた換気用スクリーン舗板の換気孔や、覆工板の隙間などから、西方ほど激しく、東方に行くほど弱く、地上に噴出または漏出するようになつていつた。

ガスの噴出が始まつたころ、噴出箇所すぐ近くの五〇〇ミリ低圧管水取器付近では作業員渡辺司がガス管の土落とし(ケレン作業)をしていたが、ガス臭に気づいて右低圧管の水取器東側継手部に顔を近づけて臭いをかごうとしたところ、いきなりその前面西方からガスの噴き出す音とともに砂ぼこりを顔に浴び、みる間に付近一帯が砂煙りに包まれた。ガスはぼおつと音をたてて相当な勢いで噴き出しており、右渡辺を含む現場作業員らは身の危険を感じて直ちに構外に脱出し、その直後には現場からわずかの距離にある鉄建建設天六作業所に報告した。

これを受けた同作業所では大阪ガス本管部等に緊急連絡をし、また作業所員らが現場に急行して、構外に脱出した作業員らとともに、現場付近の通行人に避難を要請し、工事用の安全柵を使つて交通遮断の措置をとるなどした。一方、同日午後五時二二分ころ、右ガス漏出の現場付近を通り合わせた大阪ガス北営業所技能員西村一生から、同営業所の無線基地に対し、国分寺町交差点付近でガス漏れが発生している旨の無線連絡が入り、この無線連絡を受理した同営業所施設課保全係では、急拠緊急自動車、ガスパトロールカー、工作車、立会車等を出動させたが、おりから同営業所に仕事先から帰社してきた被告人福井もガスパトロールカー(ニッサンセドリックライトバン。北ガス二号)を運転して現場に急行した。

同被告人は、ガス漏れ箇所とみられる砂ぼこりの舞つている付近の南側をう回して東へ進み、ホッパー北西の道路北側に停車し、下車した後、ガス漏れ箇所の状況確認に行つたり、無線機で現場の状況を北営業所に連絡したりしていたが、そのころ現場に到着していた消防署員の一人から火気使用禁止の広報活動を要請されたので、北ガス二号に設置されている放送設備を使用して広報活動をしようと考え、先輩の修繕担当技能員清水義郎の誘導でホッパー西方約一八メートル付近までいつたん北ガス二号を後退させ、あらためて前進させようとした際、エンジンが停止したため、再びエンジンを始動させようとエンジンキーを作動させた(その時刻は午後五時三五分ころである。)ところ、同車後車輪付近に換気用のスクリーン舗板があつてそこからもガスが漏出していたことから、エンジンキーの作動にともなつて発生した電気火花が漏出滞留していたガスに引火し、ガスが炎上して北ガス二号はその炎に包まれた。この火災は、付近にいた鉄建建設天六作業所員等が他の車から持出すなどした消火器を使つて消火にあたり、いつたん鎮火したかに見えたが、その直後に再び炎が燃え上つた。二度目の炎上による火炎は北ガス二号を包んで高さ数メートルに達するほどになつていたが、すぐ近くに消防自動車が止まつており、署員が放水態勢をとつて待機していたのに、消火にあたるものは誰もいなかつた。やがてその火炎は、付近の覆工板の隙間や、ホッパーまでの中間にある他のスクリーン舗板の換気孔からの漏出ガスにも伝播して漸次付近に拡がつていつた。

(二) 爆発及び被害の状況

右のようにして北ガス二号での炎が約一〇分間炎上を続けた午後五時四五分ころ、なんらかの着火源によつて坑内に充満したガスに引火し、轟音とともに大爆発が起こり、国分寺町交差点東詰以東約一七〇メートルの間にわたつて路面の覆工板千数百枚のほとんど全部が吹き飛び、道路北側及び国分寺町交差点東南角の建物に延焼した。爆発時事故現場付近には、現場作業員らの避難誘導にもかかわらず、多数の見物人が北ガス二号の炎上を見に集つており、また通勤者の帰宅時間帯でもあつて、現場西方にあるターミナル駅に向かうバスが現場東方で何台も交通遮断に逢い、乗客ら多数がバスを降りて現場付近をターミナル駅に向かつて歩き出していたことから、主にこれらの人々に、また付近住民のほか現場作業員、大阪ガス・警察・消防関係者等に多数の被害者を出し、爆風で飛ばされたり、飛散した覆工板の下敷きになつたり、火炎、熱風、火災でやられるなどして、別表一死亡者一覧表記載のとおり七九名の者が死亡し、同二受傷者一覧表(ただし番号123を除く)記載のとおり三七九名の者が重軽傷を負うに至つた。なお建物の損害は、いずれも爆発区間中四工区沿いを中心に、現場北側で東西約七〇メートル、南北約一五メートル、広さ約六〇〇平方メートルの範囲に出火して二三、四棟が全焼、二、三棟が半焼したほか、国分寺町交差点南東側でも各一棟が全、半焼し、また、現場北側東西約三〇〇メートル、南北約七〇メートル、広さ約一四、〇〇〇平方メートルの範囲及び現場南側東西約三〇〇メートル、南北約六〇メートル、広さ約九、〇〇〇平方メートルの範囲で爆風による窓ガラス等の破壊が生じた。

第二 ガス噴出の直接原因

一本件継手の構造

ガス噴出をみた三〇〇ミリ中圧管水取器西側の本件継手は、第五図のとおりの規格、形状を有する鋳鉄製水取器の承け口(承け口の規格、形状は第六図中の承け口の部分のとおり。)に、第七図のとおりの規格、形状を持つ綱管を差し込み、第八図のとおり両者を接合したものである。すなわち、内径三四四・八ミリメートル、深さ九五ミリメートルの鋳鉄製承け口に、外径三一八・五ミリメートル(内径三〇四・七ミリメートル)の鋼管(重量一メートル当り五三キログラム)を差込み、両者の隙間のうち奥八〇ミリメートルの部分に、ヤーン及び鉛を奥から順次つめ込み(その作業は、雄管を承け口の奥まで差し込んでおいて、雄管の周囲にヤーンを押し込み(揚げ矢二枚を用いて雄管を承け口の上面につくくらいまで持ち上げ、雄管下部の隙間にヤーンをつめ込んだ後、揚げ矢を抜き取り、今度は雄管の上部にヤーンを詰め込む。)、クリップで蓋をして溶解した鉛を流し込み、それが冷えて凝結したところでセットと呼ばれる器具を用いハンマーでたたいて固める(これを「かしめる」と呼ぶ。)ものである、最後に承け口入口の奥一五ミリメートルのところから外部はほぼ同程度はみ出すようなゴムの輪をはめ、このゴム輪の外側に押し輪を当て、この押し輪と承け口外側先端の耳とをボルトで緊結してある。

この結合方法は、ガス型接合と呼ばれるもので、右押し輪があるため、一見すれば雄管の外側先端部にも耳があり、雌雄両管の耳同志をボルトで緊結してあるかのように見えないわけではないが、そうではなく、押輪と雄管とは離れており、主としてかしめられた鉛の摩擦力によって締結を保持するものである。

二本件継手の所期の性能

本件継手は、別紙三に記載するとおり、昭和三七年の移設工事に際し同年五月二五日に新設されたものであるが、この新設当時に有したその引抜抵抗力(引抜阻止力)の程度すなわちその初期性能については、今となってこれを明らかにすることは不可能である。

鋳鉄管同志のガス型接合継手においては、規格品である雄管の先端部外側の周囲に第六図に示されたヤーン止めの突起がついているため、継手を引抜く際はかしめられた鉛が押し輪ないしゴムの部分が破壊されるまで右突起とゴムの間に滞留することになる(そのほかにも管表面の状態が影響するように考えられる。)ので、その引抜抵抗力はきわめて大きいものであるが、本件継手のごとく雄管が鋼管の場合は、右のような突起がないため、引抜抵抗力がそれよりかなり劣ることが明らかである。しかし雄管が鋼管の場合においても、実験のための作業場で標準作業により接合された継手については、かなり高度の引抜抵抗力のあることが諸実験により明らかにされている。

すなわち①本件事故後捜査官からの依嘱を受けて鑑定(以下伊藤鑑定という)に従事した大阪大学工学部教授伊藤富雄が右のような供試体二個につき内圧を加えて行つた実験では鋼管が抜け出す際には約八ないし九トンの引抜抵抗力のあることが確認され、②大阪市が設置した臨時ガス爆発事故対策本部事故対策技術委員会のもとで事故原因の究明にあたつた交通局職員金山正吾らが同様の供試体六個につき、同一速度による抜出しを実現させながら行つた実験でも、引抜速度が毎分三ミリメートルの際に約五ないし八トンの引抜抵抗力のあることが確認され、③大阪ガス事故原因調査グループの福森康文らが同様の供試体七個につき内圧を加えて行った実験でも、約九ないし一二kg/cm2の内圧に耐え得るだけの引抜阻止力(管全体の引抜抵抗力に換算して約七ないし一〇トン)のあることが確認された。なお、供試体によつて数値に強弱があるが、これは、手作業としてのコーキング作業のばらつきや、管表面の状態が微妙な影響を与えるためと考えられる。

もとより、実験のための作業場で標準作業として行われたコーキングと、埋設現場という比較的劣悪な条件下で行われたコーキングとは、その出来具合が同じであるとはただちに言えず、両者の間に多少の差異があつてもけつしておかしくはないが、本件継手についても、右のような諸実験の結果にほぼ近い初期性能があるべきものとして接合が行われたとみることが可能である。

三ガス管の内圧

昭和四五年法律第一八号(同年四月一三日公布)による改正前のガス事業法(以下「旧ガス事業法」という。)の規定に基づく同法施行規則一九条三号によると、低圧管とはガス圧(「ゲージ圧力」といい、大気圧との差で示される。)一・〇kg/cm2未満のものをいい、高圧管とはガス圧一・〇kg/cm2以上のものをいうとされていたが、当時大阪ガスでは独自の分類方法に従つており、それによれば、低圧管は〇・一kg/cm2未満のもの、中圧管は〇・一kg/cm2以上三kg/cm2未満のもの、高圧管は三kg/cm2以上のものとなっていた。本件中圧管の場合、事故現場付近には大阪ガス此花工場及び西島工場からガスが送られてきており、ガス圧はおおむね〇・八ないし一・三kg/cm2程度であつたが、事故直前ころのガス圧は、事故現場付近の浮田町に設置されていた整圧器の自記圧力計チャート紙の記録により、ほぼ一・二七kg/cm2であつたと認められる。

なお、ガス噴出による影響が右記録にあらわれるのは数十秒後とされているが、ガス噴出が始まつた時刻に相当する午後五時二〇分ころから同二五分ころまでの間に、右内圧は一・二七kg/cm2から〇・八ないし〇・七kg/cm2に急激に低下し、しばらくその状態が続いた後、ガス爆発に相当する時刻以後である同五〇分ころ〇・七kg/cm2から〇・四kg/cm2に再び低下したことが記録されており、この記録等にもとづき中圧管の導管網解柝を行つた結果、前記のごとき噴出量が推定されたものである。

四まとめ(ガス噴出のメカニズム)

本件継手は、本来であれば二に記載した程度の締結力を持つものとして接合されたはずのものであるところ、本件事故発生時においては、約、一・二七kg/cm2(ゲージ圧)程度の内圧(その管全体に働く抜出力は約一・〇一トン()である。)にすら耐えられない引抜抵抗力しか有しなかったわけで、その締結力に重大な欠陥のあつたことが明白でる。一般に継手の締結力にこのような欠陥があつても、他に抜出しを阻止する力が働くとき、すなわち、管が土中に埋設されたままであつたり、管が掘削にともない露出懸吊されて宙吊りになつた場合でも、曲管部がなく直管ばかりで接続され、その両端が土で固定されているようなときは、抜出しは起こらないが、曲管部またはその近くに継手があり、その曲管部等が露出懸吊された場合には、曲管部付近の管の移動が簡単に起こりうることから、その継手はガスの内圧のみでも抜出しを始めることになるのである。

ところで、事故当日である四月八日午前一一時ころまでに横断部北角の管下の土砂を除去し、引続き該所の懸吊を行つた段階以後本件事故発生時まで数時間の間に、付近の本件中圧ガス導管にとくに取上げるべき外力が作用した事実は認められない。また、右段階以後の同日午後三時半ころから四時過ぎころにかけ、大阪ガスの地下鉄工事立会等担当の技能員栗川末雄が下請けの株式会社中井組南口班の責任者南口清文をともなつて現場巡回のため入坑し、右南口をして本件水取器の状況を詳さに点検させた際にも本件継手には外観上なんらの異常も認められなかつた。

してみれば、事故当日の横断部北角の管下の土砂の除去及びこれに続く該所の懸吊の段階で、外観上異常は認められなかつたけれども、その実すでに本件継手にはその締結力がガス内圧に耐えられないほどに低下しているという重大な欠陥があり、右のように北角の管下の土砂が除去されるまでは北角が土砂に支えられていて右欠陥が露呈することはなかつたが、管下の土砂が除去され、このため横断部及びその前後の屈曲した部分を含む中圧管の全体が抗内で宙吊りとなり、横断部付近の管がきわめて容易に水平方向に動き得ることになつたところから、右締結力の欠陥が外部に露呈し、しかしそれでもしばらくの間は均衡を保つていたが、微小な振動の影響(その程度は均衡を破るだけのごく僅かなもので足り、継手の劣化をさらに促進させるようなものである必要はない。)を受けるなどして、数時間後に抜け出しを始めついに大量のガス噴出をみるに至つたものである。

もつとも、五〇〇ミリ低圧管もその後の爆発、燃焼の影響を受け、水取器西側の継手で鋼管が水取器の承け口から離脱するに至つているところ、事故後の現場検証に際し、右水取器南下の坑底から溶融した鉛の固り若干が発見されたが、中圧管の本件継手部の下付近ではそのようなものはみつからなかつた。この点を取り上げ、弁護人からは本件継手には鉛コーキングがなされていなかつた疑いがあるかのように主張されている。しかし、両水取器付近の抗北壁の土砂は、土留板が焼失したことなどのため広範囲にわたつて崩落しており、坑内がこの崩落土砂で埋没した程度は、南側の低圧管水取器付近よりも北側の中圧管水取器付近の方が高かつたのであるから、仮に中圧管の本件継手部から溶融した鉛が坑底に落下したとしても、その発見は困難であつたと考えられるばかりでなく、中圧管と低圧管とではガスの内圧に顕著な差があり(低圧管の場合はゲージ圧で中圧管の一〇〇分の一程度に過ぎなかつた)、低圧管の溶融した鉛はそのまま坑底に落下し得ても、中圧管の溶融した鉛は噴出するガスのため飛散してしまつたと考えることができる。したがつて、右の点から本件継手に鉛コーキングがされていなかつたと疑うことはできない。昭和三七年五月の本件継手の接合作業にさいし、鉛を流し入れたりかしめたりしないでゴムをはめ、押し輪をつけたというようなことはとうてい考えられず、あくまで、本件継手は鉛でかしめられていたが、なんらかの原因でその締結力に欠陥を生じていたとみるのが相当である。

また事故後の検証によれば、本件継手に差し込まれていた鋼管は、継手から完全に離脱したうえ横断部北角もろとも五五センチメートルも西方に移動していたが、このように大きく移動したことには爆発の影響もあると考えられるところである。一方、地下鉄工事に際しては随所で多数のガス漏れが発生しているが、これらはいずれも、継手が抜け出して生じたものではなく、継手内部に微細な隙間(ガスの通り道)ができて発生するものである。そこで、本件のガス噴出についても、継手が抜け出して生じたものではなく、たとえ抜出しがあつてもそれはごく僅かなもので、継手内部に隙間ができ気密性が失われてガスが漏出したものである(したがつて、後記の抜止めでは防止することができない。)との主張が弁護人からなされている。しかし、①前記のごとき内圧の底下をともなう前記のごとき大量のガスが激しく噴出していること②二に掲げた各実験の結果によれば、鋼管がある程度抜け出しただけでは水漏れが生じないが、抜出し量がある限度を超えるとその後は引抜抵抗力が急激に低下し、僅かの力で抜出しが進行するとともに水漏れの生じることが確認されていること、③事故後の検証に際し、抜け出た中圧管鋼管の管端から約八センチメートルの部位にパッキングの焼け跡とみられるようなものが管周についているのが認められたが、これは、低圧管の鋼管に同じように認められたものがたしかにゴムの焼け跡であるのとは異なり、ゴムの装着痕に過ぎない(福森証人は公判中にも検察庁で保管されている三〇〇ミリ管によつてこのことを確認している。)ことなどからすれば、本件ガス噴出は前記のとおり鋼管が水取器の承け口から抜け出して生じたものであり、その際鋼管は承け口から少なくともほぼ完全に離脱し、大きな開口部を作つたものであることが明らかと考えられる。

第三 本件継手の締結力に欠陥をもたらした原因

本件継手の締結力に何故前記のような重大な欠陥が生じていたのかについては、その原因となる事実の存否そのものないしはその寄与度を明らかにすることはきわめて困難である。しかし、可能性の範囲にある事柄として次の三点を指摘することができる。その一は初期性能の欠陥であり、その二は交通荷重による経年劣化であり、その三は地下鉄工事の影響である。そこでこれらの諸点について以下順次検討することにする。

一初期性能の欠陥について

昭和三十七年五月のガス導管横断部の敷設工事及びこれに際して行われた本件継手の接合作業の時、ないしは、右工事の際の諸条件に起因してこれに引続く比較的早期の段階で、本件継手の締結力が所期されたところよりもかなり程度が低いという欠陥の生じた場合を初期性能の欠陥と呼ぶならば、本件締結力に初期性能の欠陥のあつた可能性も考えられ、その存在を否定することはできない。

すなわち、昭和三七年五月の右工事の施工状況の詳細は別紙三記載のとおりであるが、

1 本件継手の接合作業が行われた同月二五日には、夜間短時間の間に、時間の制約を受けながら、低圧中圧両管の当夜の配管場所の掘削、それに合わせて切断溶接された両管の敷設、低圧管水取器との接合、その後に中圧管本件継手の接合、さらに埋戻しという他の日にはない大量の作業が行われているうえ、本件継手の接合作業は、管端から約二・七メートルのところに約一・五メートルの立上がり部分(その重量は約八八キログラム)がある鋼管を水取器の承け口に差し込んで行うというかなり特殊なもので、揚げ矢を用いてセンターを合わせるのにいくらかでも支障を生じなかつたか疑問なしとしない。もともと鉛コーキングによる締結力には、前記したとおり管表面の状態や人間の手で行われるコーキング作業によるばらつきで強弱を生じるものであり、右のような時間的制約のもとに困難な作業条件のあつたことを考えると、本件継手のコーキングは熟練工によつて行われたものではあるが、作業が粗雑に流れたとはいえないまでも、当初から継手に所期の強度を持たせることができなかつたのではないかとの疑いを払拭することはできない。

2 しかも、当時の敷設作業に際しては管下やその周囲の土砂がかなり広く深く掘削されたことがうかがえるうえ、五月二五日の右配管後同月末ころの工事終了時までの間に何度も掘返しと埋戻しとがくり返され、この間地上交通による度重なる荷重を受けているのであるから、いつたん位置を決めて敷設された管の部分が次の作業時まで、あるいは工事完了までに変位をきたしていた疑いが持たれ、このことは当然本件継手の締結力に劣化を与える可能性がある。

3 さらに、昭和三七年五月末ころの工事完了後も長い間地面は本舗装されておらず、しかも埋設深度のきわめて浅い低圧管についてはこの間防護工のないまま放置されていたのであつて、工事完了後も度重なる地上交通による荷重、振動の影響を受け、比較的早期の段階で本件継手の締結力の劣化が促進された疑いを持つことができる。

右2、3の点に関して注目すべきは、中圧管(上位)と低圧管(下位)とがその交差部で密着するに至つている事実である。この密着状態は、本件事故発生当日四月八日の午後三時半ころから午後四時過ぎころにかけて現場を巡回した大阪ガスの技能員栗川により確認されているが、同人によれば、その際導管のジュウトにピッチを塗つた部分を観察したが、すれたような跡は発見しなかつた、というのである。その前の同日午前中に横断部北角の管周囲の土砂を除去する段階でも作業員らによつて確認されているが、作業に従事した中村浅吉によれば、アスファルト塗料が両方いつしよに塗つたような感じでひつついており、塗料がくいこんでいない状況から、埋設当時からくつついていたように判断された、というのである。さらに遡れば、鉄建建設現場監督の西端は、昭和四四年一〇月一九日に両管の交差部等を試掘した際に、両管がいかにも接着していると判断し得る状況を観察している。このようにみてくると、鉄建建設による地下鉄工事中に両管が接着するに至つたとは考えがたく、別紙三のとおり昭和三七年五月二五日に両管の交差部に入れた枕木を同月二八日に抜去していること、その他当時の工事の施工状況からすれば、両管はその後同月末ころの工事完了時ころまでに、あるいはこれに引続く比較的短期の間に接着してしまつたのではないかとの疑を十分に持つことができる。

当初低圧管との交差部で一〇ないし一五センチメートルの間隔を置くように中圧管を敷設し、その後その北角以東の部分が動かずに右交差部で両管が接着したとすれば(両管の交差部は中圧管立上り部分の中央より北角寄りと認められるが、捩り角度がより小さくなるよう右中央部で交差していたとして計算してみても)、右北角部分に最大一一度程度の捩りを与えることになる。鋼管であるためこの捩り角がすべてそのまま本件継手部に伝達されるとは限らないが、少くともこの捩りモーメントはきわめて大きなものと言える。伊藤鑑定に際しての実験では鋳鉄管と鋼管とを新しく接合した供試体を用い二度二三分までの捩りを与えても管内の空気は継手外に漏れなかつたというのであり、大阪ガスの事故原因調査グループによる継手実験でも、右のような供試体四個につき捩り角度二・六度ないし五・五度の変位を与えても、継手は八ないし一一kg/cm2の内圧に耐え、捩りの継手性能に与える影響はほとんど無視できるというのである(しかしその性能は二割程度低下するとみてよいように思われる。)が、いずれも約一一度というような大きな捩り角を与えた場合の実験はなされていない。ことに両実験とも、こうした捩り角ないしは捩りモーメントを与えた上で塑性沈下または振動(弾性沈下)に相応する曲げまたはくり返し曲げを与える実験は行つていない。もし右各実験が行われていたら、かなりの性能低下をもたらす結果が出たのではないかと疑い得るところである。

また、両管が接着するに至るまでの変位がそのまま中圧管北角の沈下になつて現われたとすれば、その沈下量は最大約一〇・六センチメートルである。やはり鋼管であるとともに土砂の支持力もあるため、右沈下がそのまま本件継手部に下曲げ角度となつて現われるとは言いがたいが、仮にそのまま直線的な曲げとなつて現われるとすれば、これによる下曲げ角度は二度一五分くらいである。そして大阪ガスの継手実験では前同様の供試体六個につき一・五度、二度または四度の下曲げ角度を与えた場合、継手の性能は二分の一程度に低下することが確認されている。

以上で検討したところによれば、本件継手の性能(引抜抵抗力の程度)が、昭和三七年五月の新設当時ないしはこれに引続く比較的短期間のうちに所期されたところよりもかなり低いものになつていたという、前記のごとき意味での初期性能の欠陥の可能性はある程度高いものと考えられ(なお、政府派遣技術調査団の一員として本件事故現場の調査に加わつた奥村敏恵(当時東京大学教授)の証言も、試論的な見解としてほぼ同旨のことを述べている。)、この可能性を否定することはけつしてできない。しかし、それはあくまで可能性にとどまり、そのような欠陥があつたとまでは断定するに至らず、その程度を定量化することも不可能である。

二交通荷重による経年劣化について

昭和三七年五月に本件横断部の鋼管が敷設されてからも、数年間は地上は本舗装されておらず、本舗装後も、現場は大阪市北の繁華街梅田、天六方面から東方の都島本通交差点さらには国道一号線に通じる幹線道路であつて、昭和四五年二月の覆工当時まで、横断部の地上を多数の自動車が通過した。大阪ガスの事故原因調査グループが埋設実験を行う前提として調査したところによれば、昭和三七年六月ないし昭和四五年四月の約八年間に積載物のある大型車両が横断部の浅い部分を通過した回数は約八〇万回と推定されるというのである。また、中圧管の横断部の最浅深度は、地表面から管頂まで五〜六〇センチメートル、低圧管のそれは一〇〜二〇センチメートルに過ぎず、本舗装の前後を問わずいずれも交通荷重の影響をきわめて受けやすい状態にあり、中圧管については移設工事完了のころから、低圧管については本舗装されたころから各その横断部に別紙三に記載したとおりの防護工が設けられていたが、これらは、交通荷重をある程度分散させる効果はあつても、管全体に働くその影響をそれほど緩和するものではなかつた。

こうした交通荷重は、各導管に対して振動(弾性沈下)ばかりでなく、管下の土砂が敷設にあたり乱されているところから、また各横断部の北角以東の部分については埋設深度が深く、交通荷重の影響を直接には受けにくいところから、横断部を中心とする不等沈下(塑性沈下)をもたらし、横断部から一本の鋼管となつたその第一継手である本件継手に対しては、右振動はくり返し曲げとして作用し、右塑性沈下は恒常的な下曲げ角度となつて現われ、いずれも本件継手の性能(締結力の強度すなわち引抜抵抗力の大きさ)に悪影響を及ぼすことになるのである。この交通荷重による経年劣化の存在は、伊藤鑑定及び前記金山正吾の実験結果説明書がともに指摘するところであり、前記奥村証言も、本件継手の初期性能にある程度の欠陥があつたとの前提のもとでは、右の点を否定するものではないと理解される。

大阪ガスの事故原因調査グループは、右のような交通荷重による塑性沈下及び振動(弾性沈下)が本件継手の締結力に与える劣化の程度を把握する目的のもとに、まず埋設実験を行い、これによつて、横断部管下に枕木を置いた場合の中圧管の塑性沈下量は一〇ないし一四ミリメートルにとどまり、弾性沈下量は一・一ないし一・三ミリメートルにとどまるとの結果を得、この各沈下量が北角にもそのまま現われ、かつ北角における沈下が管の直線的な傾斜になつて本件継手部に曲げ角度を生じさせるとの想定のもとに、右曲げ角度の大きさを計算し、計算上得られるこの曲げ角度は、塑性沈下の場合が〇・二一度ないし〇・三度であり、弾性沈下の場合が〇・〇二三度ないし〇・〇二八度であるとしたうえ、継手実験に移り、①供試体九個につき、その継手部に〇・五度の固定された下向き曲げ角度を与え、これにさらに〇・〇三度の下方向のみのくり返し曲げを三、〇〇〇回ないし一〇〇万回まで加える実験、②供試体九個につき、その継手部に一度の固定された下向き曲げ角度を与え、これにさらに〇・〇五度の下方向のみのくり返し曲げを三、〇〇〇回ないし一〇〇万回まで加える実験及び③供試体七個につき、その継手部に一・五度の固定された下向き曲げ角度を与え、これにさらに〇・一度の下方向のみのくり返し曲げを三、〇〇〇回ないし一〇万回加える実験をそれぞれ行い、①の実験では継手はなお五〜一〇㎏/cm2の内圧に、②の実験では継手はなお五〜八㎏/cm2の内圧に、③の実験では継手はなお五〜七㎏/cm2の内圧に耐えることができたとし(しかし、所期の初期性能に比し、①の実験では三割程度、②の実験では三割五分程度、③の実験では四割程度の性能低下を生じるものと読みとることができる。)このことから、本件中圧管の交通荷重による塑性沈下及び振動(弾性沈下)にともなう本件継手の性能劣化の程度は、そのガス内圧(一・二七㎏/cm2)に比し、なお数倍の安全率を保持させる程度のものにとどまる、と結論づけている。

大阪ガスの事故原因調査グループによる右各実験は、埋設実験に際し管下地盤を調整するにあたつてK値を現場付近の測定値よりもやわらかめにとり、しかも、わずかではあるが転圧をゆるめにかけて調整していること、管を敷設し、管頂付近まで投入した土砂を胴締めするやり方も通常行われている方法より粗雑なものとしていること、防護工は設けていないこと、埋設されたガス管の上を走らせた車両は「T20」相当のトラックで、法令上の規制に照らし過酷な荷重といえること、沈下量を曲げ角度に換算するにあたり、管の鋼性や土の支持力を無視し、横断部の管の沈下がそのまま北角に現われ、かつ北角に現われた沈下がそのまま直線的に本件継手部に曲げ角度となつて現われるものと想定していること等の諸点で、かなり良心的に行われているものと評価することができる。

しかし、右各実験は以下の諸点において条件の設定に疑問がある。

1 管下に置いた枕木の高さ九センチメートルに相当する部分にある埋戻し砂が圧縮沈下する範囲でしか管の塑性沈下が起こらないとしていること

埋設実験は、管下に置かれた枕木が掘削により乱されていない旧地盤の上に載せられたものと想定して行われているが、別紙三で検討したとおり、昭和三七年五月のガス導管敷設工事に際しては、管下の土砂がより深く乱され、枕木を置いた下の地盤についてもこの点は同じであつたとうかがわれる。この点を配慮して埋設実験の条件を変えておれば、管の塑性沈下の量はもつと大きなものになつたはずである。

2 一で検討した初期性能の欠陥が存在する可能性を無視していること

継手の初期性能がもともと劣つていたとすれば、同じ下曲げ角度と同じくり返し曲げを与えた場合に保持される抜出抵抗力は、所期の初期性能を有するものと比較して劣つたものになるということは当然考えられるところである。

また、昭和三七年五月の敷設工事完了の時点ころにおいて本件継手にある程度大きな下曲げまたは捩りないしは捩りモーメソトの生じていた疑いのあることはすでに述べたとおりであるが、右下曲げに交通荷重による塑性沈下が加わればそれだけ曲げ角度は大きくなるところ、曲げ角度(固定)が大きいほど継手の劣化の大であることは同調査グループによる他の継手実験の結果からも明らかであり、くり返し曲げを与える場合にも、固定の曲げ角度が大きいほど劣化の程度の大きくなることも右継手実験の結果から容易に観取し得るところである。さらには、大なり小なり捩り角(固定)を与えたうえ、これに下曲げ角度(固定)やくり返し曲げを与える実験は行われていないが、もしその実験がなされておれば、捩り角のない場合と比較してより大きな性能劣化の結果が出たであろうと推認することも容易である。

3 五〇〇ミリ低圧管横断部に対する交通荷重の影響を無視していること

一で述べたように、昭和三七年五月の管敷設工事の経過中またはこれに引続く比較的早期の段階で中圧管が低圧管に接着してしまつた可能性が考えられる。この場合、低圧管の交通荷重による塑性沈下及び振動(弾性沈下)が偏圧を招き、あるいは右接着点を通じて中圧管にも伝達され、本件継手の性能劣化をより大きく促進することが考えられる(伊藤鑑定でもほぼ同様の指摘がなされている。)。低圧管は中圧管に比較して外径、肉(ママ)圧、重量がともに大であり(第七図参照)、これらの諸点からは交通荷重により受ける影響は比較的小さいかのようであるが、一方低圧管は中圧管に比較して埋設深度がきわめて浅く、そのうえ長期間防護工もなかつたのであるから、この点から交通荷重による影響をより大きく受ける条件を備えていた。

以上で検討したところによれば、昭和三七年五月の本件継手新設後両ガス導管の横断部地上を長年にわたつて通過した多数の車両による交通荷重が右継手の性能低下に与えた影響は無視することができないと考えられる。このうち管敷設工事当初のものについてはすでに初期性能の欠陥の中に含ませて論じたとおりであるが、右欠陥の有無にかかわらず、その後の分だけでも、交通荷重による継手性能の経年劣化の存在は確実なところとみることができる。しかしその劣化の程度を定量的に確定することは不可能である。

三地下鉄工事の影響の有無

鉄建建設が行つた地下鉄工事中の諸作業につき、それが本件継手の締結力に与えた影響の有無等について検討する。

(一) 横断部付近地表の掘削、埋戻しすでに第一の三の(三)及び別紙二で検討したとおり、鉄建建設は地下鉄工事施工の一環として昭和四四年一〇月一九日ころ以後昭和四五年二月一一日の両ガス導管横断部付近の覆工作業完了までの間に、試掘、両管横断部中間位置における中間杭打設及び覆工作業のため右横断部付近を掘削しては埋め戻し、ことに覆工作業に際しては中圧管及び低圧管に設けられていた各防護工を撤去したりしているのである。この間における地上交通は従前と変りなく、その単位台数あたりの荷重が管及び本件継手の性能に与える影響は、右のように掘削、埋戻し及び防護工の撤去がなされているため、それ以前と比較してより大きなものになつたと考えることができる。

その影響の程度を定量化することはこれまた不可能であるが比較的短期間とはいえ、そのような工事経過を経ることなしに覆工が行われた場合と比べ、本件継手の性能劣化をより大きくした可能性がある。

(二) 横断部北角付近のすかし掘り

本件事故当日四月八日の午前中に中圧、低圧両管の横断部北角付近の管下の土砂を未懸吊のまま一気に除去したことによる影響の有無について検討する。当時すでに、中圧管については、その北角から一メートル余(第四図№31)以南及び約二・五メートル(同№28)以東が、低圧管については、その北角から〇・五〜〇・六メートル(同№37)以南及び三メートル余(同№33)以東がそれぞれ懸吊ずみであり、これら懸吊ずみの部分については各導管の高さがそれ以上下らないよう懸吊ボルトで固定されていたから、①右のようなすかし掘りによつて両管とも四メートル近くにわたつて未懸吊のまま宙吊りになつたこと、②両管ともその間で水平方向九〇度に屈曲しており、屈曲部分が突き出た形になつた(ただし屈曲部分はいずれも懸吊ずみのところから近い。)こと、③しかも、いずれもその間に立ち上り部分があつて重量が集中している(ただし、立ち上り部分はいずれも懸吊ずみのところに接している。)ことを考慮に入れても、右すかし掘りをしたからといつて、必ずしも両管の位置(上下関係)に変位を生じるとは限らないと考えられる。

もつとも、当日北角付近の懸吊作業等に従事した笹義昭は、同日午後中圧管横断部北角から二番目くらいの懸吊ボルト(同№32)がゆるんでいるのを確認し、それを他の作業員が締め直したのを目撃している。この事実からすれば、右すかし掘りにともなつて中圧管の北角が若干沈下し、これにともない、北角から最初の懸吊部(同№31)を支点にして、右二番目の懸吊付近の中圧管が若干持ち上つたのではないかと一応推理してみることもできるようである。しかし、一で述べたような、当日夕方近くになつての大阪ガス技能員栗川による両管接着部の観察結果からすれば、中圧管の立ち上り部分が右接着部をずれ落ちて沈下した事実はなかつたように考えられる。沈下があつたとすれば、中圧管とこれを載せている低圧管とが一体になつて沈下したものといわなければならないが、中圧管のその余の懸吊ボルトについてはもちろんのこと低圧管の付近の懸吊ボルト一切について、それらの北角付近が沈下したことを示すようなゆるみを生じていた形跡は証拠上認められない。中圧管の立上り部分が低圧管と接着しながら上下方向に回転して沈下したということも一応考えられないではないが、その場合でも、今まで接着していた部分が右回転にともなつて若干露出することになるから、右栗川においてその異常に気付き得たように思われるし、右のような形で沈下すれば、立上り部分の上端の位置は少し高くなるから、北角から二番目の懸吊ボルトではなく、北角から最初の懸吊ボルトにゆるみが生じるはずである。また、右のようなすかし掘りをしたこと自体にともなつて、前記奥村証言が述べるようなクリープ現象が生じ、これにより本件継手の性能に悪影響を及ぼしたのではないかということについても、これを確証する手だてはない。

してみれば、北角付近をすかし掘りしたことは、工法として非難に値するのは当然であり、また付近の管の懸吊状態ひいては本件継手の性能にまつたく影響がなかつたとまでは言い切れないが、右影響が現実にあつたと証拠上認めることはできない。

なお、伊藤鑑定は「四月八日に北角付近ですかし掘りをしたことも本件継手の性能劣化を促進させた一つの要因として考えられる。」というのであるが、右のすかし掘りによつて北角付近の中圧管が沈下した事実がなければ右論法は成り立たないところ、右事実の存否そのものについては伊藤鑑定自身なんらこれを解明しているわけではないから右伊藤鑑定を根拠にして、北角付近のすかし掘りが本件継手の性能を劣化させたとすることのできないのは当然である。

(三) 中圧管に対する外力の作用

第一の四の(二)及び別紙二で検討したとおり、四月六日昼の作業で本件三〇〇ミリ中圧管水取器の直近西側以東の懸吊が完了し、これにともなつて同日夜ころからは右水取器付近以西の管下等の土砂の掘削が進められ、同夜中には水取器西側の本件継手も坑内で露出、宙吊り状態になつたが、同月七日にもさらに西方に向って掘削は進められており、右のように本件継手が露出、宙吊りになつたころ以後右水取器付近の中圧管に外力が作用し、管に動揺を与えれば、その動揺は右継手に悪影響を及ぼし、その締結力を劣化させることが考えられる。

このような外力を与える可能性のあるものとして、右の土砂掘削に用いられた小型ブルのバケットの接触や、その掘削に際しての土砂崩落の影響などを想定することができる。その一つとして、被告人上田は四月七日午後二時ころから二時三〇分ころまでの間に水取器から約六メートル東方付近で小型ブルのバケットを中圧管に接触させ、管に振動を与えたとして起訴されているが、この点は後に詳しく判断するとおりそのような事実があつたとは認められない。しかし他にも小型ブルによる掘削作業が行われている(ただし、当時被告人上田は夜間作業に従事しておらず、夜間作業は、同被告人と昼夜交替で勤務していた秦和夫の担当であつた。)のであるから、この間に小型ブルのバケットが管に接触したりした事実がまつたくなかつたとは言い切れない。

外力が水取器等本件継手部に直接作用したときのことはいうまでもないが、継手から離れたところの管に作用した場合でも、これによる振動が本件継手部にくり返し曲げとなつて現われ、継手の締結力を劣化させる可能性があるのである。大阪ガスの前記のグループによる継手実験の結果によれば、一度以上四度以下という大きな曲げを継手に加えた場合、片側方向だけにこれを一回ないし数回くり返すよりも、両側方向にそれぞれ一回ないし数回加えた方が締結力の劣化の程度が大きく、両側に各一・五度の曲げを五回程くり返しただけで一・五㎏/cm2くらいの内圧にしか耐えられない程度に性能が低下する場合もあることが確認されている。そしてブルのバケットが管に接触してこれを振動させ、あるいは土砂の崩落が影響して管を振動させたような場合は、右のごとき両振幅曲げをくり返すのと同じこととなり、その時の振幅の大きさと継手部に伝達される曲げ角度の大きさいかんによつては、継手の性能を大きく損うことになる。そこでもし、一及び二で検討した初期性能の欠陥及び交通荷重による経年劣化の存否ないし程度が小さかつたものとすれば、こうした工事中の外力の作用があつたのではないかということをどうしても想定せざるを得ないことになる。

しかし、右のような想定もあくまで可能性の範囲にとどまり、現実にそのような外力の作用があつた事実を認めるべき証拠はない。

四まとめ

本件継手の締結力に欠陥をもたらした原因としては、①前記のごとき意味での初期性能の欠陥、②管敷設後長年にわたり横断部に働いた交通荷重による経年劣化及び③地下鉄工事の影響の諸点が想定されるところ、右、①が存在した可能性はかなり程度の高いものとみられるが、十分にこれを断定するには至らず、またその程度を量的に把握することは不可能である。②の経年劣化は、①の有無にかかわらずその存在が肯定されるが、そのうち初期のものについては①の中に、地下鉄工事開始後のものについては③の中にそれぞれ取り入れて検討したとおりである。初期のものについては、初期であるだけに影響が大きかつたように考えられ、地下鉄工事開始後のものについては、すでに長年にわたる交通荷重により管の沈下量が固定するに至つていた疑いもあるが、あらためて地表の掘削、埋戻しなどが行われているだけに、それ以前に比較し、振動等の面で管及び継手に与える単位台数あたりの影響の程度をより大きなものにした可能性があると考えられる。しかしこれらの影響の程度を量的に把握することはこれまた不可能である。③のうち三の(二)検討した横断部北角のすかし掘りの点は、それが現実に継手の性能に影響を与えた事実は証拠上認められず、三の(三)で検討した水取器懸吊後の管に対する外力作用の点も、現実にそのような事実があつたとは証拠上認められない。しかし右最後の点は、そのような事実のあつた可能性は残り、その想定が可能な状況にあつた点において後に述べるように抜止め施工義務に関して意味を持つことになる。

第四 抜止め防護

一抜止めの目的・性格と施工範囲及び施工時期並びに施工方法

抜止めは、ガス導管の曲管部(ベンド)やT字部等の異形管が地下鉄工事等によつて露出される場合に、その曲管部等のガス型または印ろう(籠)型(接合方法は鉛コーキングによるガス型とほぼ同様であるが、原則として押輪を取付ける構造になつていない点に差異がある)継手にその抜出しを防止するため施工される防護方法である。工事中掘坑内に露出するガス導管が直管のみで構成され、その両端が土砂で固定されているときは、たとえ継手の締結力が内圧以下に低下していたとしても、通常の吊防護さえ施しておけば、継手の前後の管が動いて抜け出すような事態は起りえないが、曲管部やT字部においては、懸吊されている管はもともと前後左右に動きやすく、支持力を欠くことにより継手の前後の管が抜出し方向にも容易に動き得るところから、もしその引抜抵抗力が内圧以下に低下していると、継手は内圧に抗しきれずに抜出しを始めることになり、ガス漏出に至る危険が大きい。そこで曲管部等については右のような防護方法を講じる必要が生じるのである。

継手の引抜抵抗力をガス内圧に抗しきれないほどに低下させる原因としては、管敷設時における施工方法の影響、埋設中における路面荷重、不等沈下等のほか、埋設中または露出後の第三者工事施工に際して加わる外力等が考えられるが、このような原因の存在は必ずしも顕在的なものではなく、まして締結力低下の程度などは外部的に確認のしようがないものである。ガス導管を懸吊露出する時点ですでに継手の締結力がガス内圧に耐えられないほど低いものになつている可能性もないわけではなく、また管露出後においては、いつどのような過誤によつて継手や付近の管に外力が作用することになるか予測がつかない。そこで、継手の性能を低下させる原因が現実にあつたか否か、その程度はどうか、将来どのような経過で外力が作用するかなどの知見、予測の有無にかかわりなく、曲管部、T字部等構造的に抜け出す可能性のある継手について、その防護に万全を期する見地から抜止めの施工が要求されることになるのである。

このように抜止めは、ガス導管が露出されることにともなう防護方法(養生)の一種であつて、とくに曲管部等の継手に対して施工されるものであるが、継手の現実の欠陥の有無や将来欠陥が生じることの具体的予測を不問にし、万一の危険に備える目的のもとに、配管そのものの構造的な抜出し可能性に着眼して施工される一種の予防措置(危険防止措置、安全対策)としての性格を持つものである。したがつて、曲管部等のどの範囲の継手に抜止めを施工すべきかは、右のような抜止めの施工目的及びその必要性に照らし、現場の具体的な配管状況に応じて合理的、合目的的に検討し、かつ次に述べるような施行方法とのかねあいのなかで決められるべきものである。また、右のような抜止めの性格や施工目的からすれば、曲管部及びその付近のガス導管の周囲が完全に掘削され露出されるより前に、言いかえれば懸吊作業と同時にまたはそれに先立つてその施工をしなければならないのが本来である。

抜止めの方法としては、要は継手部が抜け出すのを防止するという目的にかなうものであればそれでよく、現場の具体的状況に応じた施工方法を採用すべきである。継手自体を補強するやり方としては、継手の両外側の管に鉄バンドを巻いて締めつけ、これらの鉄バンドをアングル、ボルト等で溶接、連結するのが一般的な工法であるが、さらにこれらの鋼材をアングル、ボルト等を用いて付近の土留杭等に連結して固定する方法が併用される場合もあり、曲り角そのものと継手とが離れているような場合には、継手そのものを補強しなくても、鉄バンド、アングル、ボルト等を用いて、曲り角を土留杭等と連結、固定するだけで抜止めの目的を達することができる。

二抜止めの施工に関する本件当時の諸情況

本件地下鉄工事当時までの大阪市における交通局発注の地下鉄工事における抜止め施工の実情は、項を改めて検討するが、他にも以下に述べるような諸情況があり、全国的な視野からみて、曲管部等ガス導管の異形管に対する抜止めは工法として普及していたものと認められる。

(一) 書物による教え

株式会社山海堂が最新土木施工法講座の第一三巻として昭和三六年六月一五日に初版発行をした「地下鉄道施工法」(清水雄吉、中島誠也共著)は、各種埋設物の処理に関し、「防護中の埋設物に対する損傷、故障による被害はなかなか大きい。すなわち、ガス漏洩による火災、人身事故または水道管、下水管の漏水による土砂崩壊など悪質の事故を誘発することがある。防護中の埋設物はその状態を常に点検し、異状あれば直ちに補修処理することが肝要である。また防護管路の構造を十分理解して防護工を施すことが事故防止の第一歩である。」(一四二頁)としたうえ、「大口径の水道管、ガス管などの曲折部や分岐部を吊り下げるときは偏圧により移動しそのジョイントから漏水、漏気を生ずることがある。移動防止のための手当が必要である」(一四五頁)として、ガス導管曲管部には、移動防止等の抜止めを施行することが重要であることを指摘し、屈曲部防護についての図面(ガス管の継手の両側に鉄バンドを巻き、アングルで緊結した補強措置を図示したもの)及び写真を例示している。

被告人藤井は、地下鉄工事に従事するようになつた昭和三九年ころ、この書籍を購入して読んだ事実があり、また、大阪ガス本管部管理課維持係の技能員として昭和四二年二月ころまで地下鉄工事の立会担当をしていた中村弘は、その当時交通局職員の宇都宮昭治からこの書籍を借り受けて読んだ事実があるなど、右書籍は、地下鉄工事旋行(ママ)に関する指導書としてある程度一般的なものであつたと認めることができる。

(二) ガス導管防護対策会議における調査結果等(東京地区における実情)

後記のとおり昭和四四年三月二〇日東京都板橋区で発生したいわゆる板橋ガス爆発事故を契機にして通産省公益事業局に設けられたガス導管防護対策会議は、導管工事分科会でガス導管防護の現状について調査し、その結果が同対策会議の報告書(同年一二月二五日付)にまとめられた。右調査に際しては、他工事施工に際してのガス導管防護の現状につき、各地のガス事業者から資料を提出させているが、その資料(一部)の内容は以下のとおりである。

1 大阪ガスから提出された資料(昭和四四年五月付)では、「ガス導管の防護方法について」の項で、「地下鉄工事現場における現行のガス導管の防護方法は懸吊ならびに支持工法によつている。」とし、資料7として地下工事施工参考図(埋設物復旧施工参考図)及び資料8として埋設物懸吊参考図(下水管、ガス管、水道管)を掲げているが、右懸吊参考図では、直管部の枕懸吊の図が示されているだけで、曲管部等異形管継手部に対する特別の図面はなんら示されていない。

2 しかし、東京瓦斯株式会社から提出された「他工事に起因する事故の発生の防止対策」と題する資料(同年五月七日の分科会議で説明対象とされたもの)によれば、「ガス導管防護の社内基準の概要」として、「2掘坑内のガス施設の防護」の項で、「(1)吊防護掘坑内の露出ガス施設の吊防護は別に定める工法基準により行うものとし……」とするほか、「(2)異形管継手部等の防護 異形管継手部等は別に定める基準により防護を行なう。」、「(3)吊防護および継手部の点検 吊防護および継手部の点検は、原則として毎月二回以上行なう。」などとされ、社内基準で異形管継手部等の防護を独立させて取上げていることが明らかにされている。

3 また、日本瓦斯協会から提出された「他工事施工中のガス導管防護について」と題する資料(同年八月一二日の分科会議で審議対象とされたもの)によれば、「I掘坑内のガス施設の防護」中「1吊防護」の項において、「掘坑内の露出ガス導管の防護は、次の基準により行ない、振動が直接伝わらないようまたたるまないよう堅固に防護する。」としたうえ、「(1)工法基準」に続き「(2)その他の防護基準」において、「異形管継手部等は第七〜第一一図及び第二〜第六表の基準により防護を行なう。」とし、第七ないし第九図で、ベンド部の継手及びチーズ(T字)部の継手につき、各継手の両外側の管周やベンド管の中央部を鉄バンドで締め、これをアングルあるいはチャンネル鋼で結びつける抜止め措置の方法を図示している。

そして同対策会議は、前記報告書で、他工事に際してのガス導管の防護方法の現状につき、「防護方法としては、用地に余裕がある場合にはガス管を他工事による影響のない場所に移設するが、種々の理由により移設ができない場合には、他工事施工中は吊防護、埋めもどしに際しては受防護、掘削坑外であつても他工事による影響がある場合には段堀覆工またはガス導管が鋳鉄管であればより延性のある鋼管への変更等の方法を行つている。またこれらの防護方法の設計施工に当つては、他工事企業者の仕様書に基づいて他工事企業者とガス事業者との両者間で協議のうえ決定している。」としたうえ、「現在他工事施工の際行なわれているガス導管の防護方法は次のとおりである。」とし、その「(ロ)吊防護」の項で「掘さく坑内にガス導管が露出した場合には、たるみを生じたり、または接手が抜けたりしないよう第四図及び第五図のように吊防護及び第六図のように接手防護を行なつている。」と述べ、第四図及び第五図では直管部についてのワイヤーロープまたは受桁を用いての吊防護の方法を示し、第六図で、チーズ部及びベンド部についての抜止め措置の方法(3の場合とほぼ同じもの)を示している。

一方、帝都高速度交通営団(甲)と東京瓦斯株式会社(乙)は、昭和三六年一一月一日付で「帝都高速度交通営団の施工する工事に伴うガス導管防護工事に関する協定」を結んでいるが、その協定書中「2防護工事」の項には「(1)防護は原則として甲が行うが、技術上乙が必要と認めたものは乙が施工する。ただし、付帯するガス導管工事は乙が施工する。」(移設、仮設、バルブ設置、かしめ直し、供給管引直し等のガス導管工事は乙が施工することになつている。)、「(3)防護は別表(1)の標準工法により行ない、その他特殊の場合は、甲乙協議のうえ施行する。」とされているところ、株式会社大林組に勤務する白神稔が東京へ出張して見学するなどした際に貰つて来た帝都高速度交通営団作成の水平曲管、分岐管防護標準図二葉(同営団が埋設物防護並びに復旧に関する標準図として昭和四一年二月に作成したもの)には、ガス導管と水道管に共通するものとしてではあるが、継手の補強(継手の両外側に鋼板を巻いてアングル又はチャンネルで溶接、緊結したもの)と曲管部の固定(曲管部を土留杭、中間杭等ヘボルトで連結固定したもの)とを併用する方法が明示されていることが認められる。

以上を総合すれば、地下鉄工事量の多い東京地区においては、それが「抜止め」という呼称で呼ばれていたか否かは別として、ガス導管直管部に対する単なる懸吊防護以外に、曲管部等異形管継手部に対する抜止め防護措置が施工される実情にあり、ことにガス事業者においてはその旨を社内基準で定めており、また、少なくとも右帝都高速度交通営団が起業者になつている地下鉄工事では、起業者が、ガス事業者と協議のうえ、曲管部継手の防護(抜止め)についての標準的な施工図を予め作成しておき、これにのつとつて右施工が行われるようにしていたことが認められる。

また前記対策会議の報告書は、通産省の手により、建設省道路局、土木工業協会、全国の地下鉄工事起業者及び日本瓦斯協会等に発送されているが、そこにまとめられているガス導管曲管部等の接手防護についての現状は、東京地区におけるものとは限定されていないのであつて、少なくともその時点における継手防護のあるべき姿を全国的に公にした点において有意義なものといわなければならない。

三大阪市交通局の地下鉄工事における抜止め施工の実情

まず水道管の場合について大阪市交通局の地下鉄工事における従前の実情をみておくことにする。水道管については、埋設物企業者である大阪市水道局がかねてからその曲管部防護についての標準的な施工参考図を用意し、これにのつとつて曲管部に対する防護措置を施工するよう要請してきており、地下鉄建設工事の工区内に水道管の曲管部が存在するときは、これを掘り出す前に、工区担当の建設事務所、工事施工業者及び水道局の三者がその具体的な施工方法などを予め十分に協議し、これにもとづいて施工業者が施工図を作成し、建設事務所に提出してその承認を得たうえ、作業に必要な部分掘削をしながら曲管部防護の措置(その方法は、ガス導管につき一で述べたのとほぼ同じことで、継手の補強と固定装置とが併用されている。)を施工し、その後初めて付近の管全体を露出、宙吊りにするという手順、方法がすでに早くから確立されていた。

ガス導管の曲管部等については、右に述べた水道管の場合や、二の(二)で検討した東京地区における事例のごとき場合とは異なり、埋設物企業者である大阪ガスにおいても、また起業者である交通局においても、標準的な施工図をあらかじめ作成したり、抜止め防護の施工を概括的に要請するというようなことはやつていなかつた。もつとも、大阪ガスでは、従前から他工事に伴う事故の発生を防止するため、本管部管理課維持係の技能員をして他工事現場の巡回立会に従事させ、他工事に際してのガス導管防護に必要な事項の指導等に当らせ、とくに地下鉄建設工事関係については、昭和三八年六月以降中村弘をその専任の立会担当者とし、昭和四一年ころからは右中村の後任に栗川末雄をあて(ただし、昭和四三年八月ころまでは右中村とペアを組んでいた。)て立会巡回業務に当らせてきた。そして、右中村は、昭和四〇年四月ころ、それまでの地下鉄工事立会担当者としての経験をもとに、立会要請の時期、連絡方法や杭抜き工事に際しての注意事項を書面にまとめ、上司の決裁を得たうえ、大阪ガス本管部管理課長名義、交通局高速軌道建設事務所宛の「立会及び杭抜き工事に関するご依頼」と題する文書(昭和四〇年四月一日付)にし、その写し一〇部程度を、同年六月ころ、維持係長西中利雄とともに交通局土木課に持参し、高橋土木課長及び原一夫工事係長に手渡し、さらに、交通局側が下部に流すということであつたので、宛先を空白にした同じ内容の文書(同年一〇月一日付)を右原係長のもとに届け、その後栗川が地下鉄工事の立会担当者になつてからも、同じ文書を建設事務所に配付するなどしていたが、その文書の中では、「一、立会」に関し、第六項で「抜止金具、振止金具、取付受台、仮本態吊設置については立会の上施工のこと」と記載されていた。このように大阪ガスは、地下鉄建設工事にともなうガス導管に対する抜止め防護の施工は、その工事を行う企業者側において自発的になすべきであるとの認識・理解のもとに、これを前提として、その施工については大阪ガスに立会を求められたいということを右企業者側に要請してきてはいたが、右文書も、立会と杭抜き工事に関し全般にわたつて種々の要望を行つたもので、とくに抜止め施工の問題をとり上げたというものではなく、立会要請をなすべき工事の一つとして抜止め金具の取付けを例記していたものにすぎず、他に大阪ガスが交通局等地下鉄工事の企業者側に対し、抜止め防護の施工をとくに取上げてこれを一般的に要請したようなことはなく、また、大阪ガス側がいちいち現場で要請しなくても、必要な抜止め防護の施工が企業者側において必然的に自発的に行われるという態勢も確立されていなかつた。

しかし、地下鉄工事の専従立会担当者であつた大阪ガスの右中村及び栗川は、その業務を遂行するにあたり、個々の工事現場において、必要に応じ、ガス導管の曲管部等に抜止め防護の施工をするよう個別的に施工業者等企業者側に要請し、またその指導に当つてきており、施工業者は、この要請にもとづき、あるいは自発的に、大阪ガスや建設事務所と協議して施工図を作成のうえ、あるいは自ら施工方法を設計するなどして、曲管部等の継手に抜止め防護を施工してきた。このようにして、大阪市発注の地下鉄工事においてもガス導管曲管部に対する抜止めは工法として普及してきており、管端末のカップ(またはプラグ)に対する防護として施工されたものを除外しても、曲管部またはT字部の継手に施工されたことが証拠上明らかな事例として別紙四記載のもの(その施工時期は昭和三八年末ころから、本件二号線四工区と同時に施工されていた二号線二工区における昭和四五年三月までに及ぶ。)を指摘することができる。

右のように曲管部等の継手に抜止めが施工された事例は数多くあるが、反面その施工がなかつたように認められるものも多数ある。しかし、ガスの内圧が継手に抜出し作用として働く力の大きさは、内圧に比例するとともに管の外径の二乗に比例し、また曲管部の曲り角度が大きいほど構造的に抜出しが生じ易いところ、傾向として、抜止め施工が認められない事例では、低圧、小口径、曲り角度の小さいものが多いのに対し、抜止めが施工されている事例では、中圧、大口径、曲り角度の大きいものが多く、中圧管であることが証拠上はつきりしているものについてみると、その口径はいずれも三〇〇ミリ以上であるが、少なくとも曲り角度が九〇度であれば、その大部分に抜止めが施工されていることが認められる。

なお、右の施工例をみるに、別紙四番号4のうちの一か所を除けば、その他の場合(同番号7の場合も、管交換後の新規継手に施工されているから、これに含まれる。)は、いずれもガス漏れや抜出しなどの危険が現実に発生する前に、また継手の締結力の欠陥の有無やその具体的原因などがわからないままに施工されており、しかし施工の時期については、同番号5及び8の場合のごとく、できるだけ懸吊と同時に施工するよう慎重な手順を踏んでいる例もみられるが、概して、水道管の場合のようには理想的に行われていなかつたと認められる。

四本件継手に対する抜止め施工の必要性等

(一) 抜止め施工の必要性

本件四工区内に敷設されていた三〇〇ミリ中圧ガス導管の横断部付近における特殊な配管状況はすでに第一の四の(一)で述べたとおりである。すなわち、掘坑内をこれと並行して東西に長距離にわたつて露出、懸吊された導管がその途中で二度にわたり水平方向に直角に曲り、しかも上下方向に立上つたり、下つたりして複雑に屈曲した長さ約七・五メートルの横断部を形成していた。このような特殊な配管状況からすれば、横断部北角東方の第一継手にあたる本件継手が配管構造上きわめて容易に抜出し得るものであることは何人でもたやすく理解することができる。すでに一ないし三で検討した抜止め施工に関する諸般の事情に照らせば、口径三〇〇ミリの中圧管の本件継手は、右のような特殊の配管状況だけからしても、交通局の地下鉄建設工事における従前の抜止め施工例のどの事例(ただし、別紙四の番号10のごとく、曲管部そのものが数個の短管で出来ている場合を除く。)にも増して抜止め施工が強く要求されるものであり、当然その施工がなされなければならなかつたものである。さらに、同ガス導管の横断部における埋設深度が並行する五〇〇ミリ低圧管ともどもきわめて浅く、埋設中に地上交通荷重による影響を受けやすいことも一見して明らかであり、(なお、地下鉄工事開始後も横断部付近の地表を掘削したり埋め戻したりし、この間に防護工の撤去もしている。)、そのことが本件継手の締結力に悪影響を与えていることを推量し得る状況にあつたことを併せ考慮すれば、本件継手に対する抜止め施工の必要性はいつそう高まるものといわなければならない。。

なお、後に詳述するように、大阪ガスは昭和四五年四月四日、本件工区内のガス導管を露出懸吊する条件として、中圧管ベンド及びT字部に抜止めを施工するよう二建に対し文書で要請し、その要請のあつたことは即日二建から鉄建建設天六作業所に通知された。大阪ガスの右要請は、工区内の中圧管ベンド、T字部の継手につき一般的に抜止め施工を要求したもので、とくに本件継手の特殊性に着目してなされたものではないと考える余地もあるが、本件工区にこれを当てはめれば、中圧管のベンドといえば本件中圧管の横断部南北の各曲り角を指すことが明らかであり、その配管状況から合理的、合目的的にみて本件継手が右要請にいう「ベンド」の継手に該当することも容易に理解されるところである。結局において本件継手に抜止め施工を要求した点で、右要請はきわめて正鵠を得たものであるが、たとえ中圧管のベンド一般につき要請したものであつたとしても、交通局及び鉄建建設の他工事企業者側においてこの要請を真剣に受取めるべきは当然のことであつて、この点からも本件継手には抜止めが施工されなければならなかつたといえるのである。

(二)抜止め施工の時期

以上のとおり本件継手には当然抜止めが施工されなければならず、これを施工しないまま放置するようなことは工法として許されるところではないが、一で述べたごとき抜止め施工の目的・性格からすれば、横断部北角が土砂に固定されている段階で、すなわち、最後に残された右北角の土砂を除去し、横断部付近の管全体を露出、宙吊りにする前にその施工をしなければならない。なぜなら、なんらかの原因で本件継手にすでに欠陥が生じており、あるいは欠陥が生じれば、右のように北角の固定を失わせることによつて付近の管が容易に動き得るところとなり、継手の抜出しが始まりかねないからである。

右の抜止め施工の目的・性格に関する大阪ガス関係者の供述内容をみるに、本件当時本管部管理課維持係長であつた中西昭は、その検察官に対する供述調書中で、「抜止めは、どのようなことからジョイントがはずれるかもわからないので、危険防止のため行う。」(昭和四五年四月一四日付調書)、「地中ではガス導管は周囲の土圧で固定されているが、露出されるとそれがなくなる。ガス導管は埋設されている間に上からの振動や地盤の圧密、沈下等により接合部の鉛がゆるむことがある。鉛がゆるんでいると、ガス内圧だけでガス導管が抜けてしまうことは理論的にはありえても実際上殆んど考えられないが、完全に締結されておれば抜け出さない程度の外力が加わつただけで抜け出してくることがあるので、そのような外力が加わつてもなお接合部が抜けないように抜出し防止措置を施工する。」(昭和四六年六月一五日付調書)、「抜止めは、ガス管が地中に埋設されている間に地上からの振動などによりジョイント部で鉛がゆるんでいることがありうるうえ、地下鉄工事のように長期間長い範囲にわたつて露出させる場合には、外から衝撃が加えられたり、振動が伝わる等外力によつて、ことに内圧の強く働らくベンド・T字部等のジョイント部で抜け出そうとする力が働くため、これを防止するために施工する。」(同月二八日付検察官調書)などと述べているが、福森康文、入江玉治そのほかの関係者らは、一様に、継手の締結力が他工事以前の埋設中に内圧に耐えられないほど劣化してしまうことはありえないとし、抜止め措置は、管露出後等における他工事の過程で外力の影響を受けるかもしれないことを慮り、もつぱら、これにより締結力が内圧に耐えられないほど劣化することに備えて施工するものである旨供述している。しかし、継手の締結力が他工事以前の埋設中に内圧に耐えられないほど劣化している(そのような欠陥を生じている)可能性はないとする右前提自体なんら合理性がない(げんに本件継手については第三で述べたとおりその可能性が肯定される。)ばかりではなく、右前提を認めることは本件事故の発生につき部分的にも大阪ガスとしての責任を認めることに相通じ、その関係者としてそのような供述はなし難く、むしろもつぱら他工事に原因があつたとしたい立場にあつた事情を考えると、大阪ガスの関係者が真実そのように考えていたのかどうかが疑問視されるところである。右関係者らの一様の供述を正当なものとしてこれに左袒することはできない。また、地下鉄工事による外力の影響という観点からみても、すでに第三の三の(三)及び四で述べたとおり、四月六日昼の作業で本件水取器前後の懸吊作業を完了した後、四月八日午前中の作業で横断部北角の土砂を除去するまでの間に、小型ブルによる掘削作業にともない本件継手の締結力に悪影響を及ぼす外力が付近の管に作用した可能性もあるのであるから、やはり右北角の土砂を除去するまでに本件継手に対する抜止めを施工すべきであつたことに変りはないのである。

なお、三で検討したとおり交通局の地下鉄工事現場における従前の抜止め施工例では、その施工時期につき理想どおりに行われていない事例が多い。曲管部継手部の懸吊に先立ちあるいはこれと並行して、曲管部及びその付近を露出・宙吊りにすることなく抜止め防護の施工を完了することには作業上いささかの困難をともなうことにもなる(しかし水道管についてはそのような困難を克服して作業が行われていた。)ので、まさかという安易な考えも働いて右のような事例が多くなつていたように理解されるのであるが、しかしそのようなやり方は、抜止めの施工の目的・性格に反する不適正なものというよりほかがない。ことに本件継手は、曲管部の曲り角そのものになく、曲り角(横断部北角)から数メートル離れているのであるから、水取器(及び本件継手)を露出・宙吊りにさせておいても右曲り角さえ土砂に固定させておけば現実に抜出す危険はなく、四月六日以降の時点において、北角の土砂の掘削をしばらく差し置き、この間に本件継手に後記のような抜止めを施工することはきわめて容易であつた。すなわち、本件継手については、これに対する抜止め施工を曲管部曲り角の露出・懸吊より遅らせなければならないような事由はなにもなかつたのである。

もつとも、被告人正木らの弁護人からは「本件継手に抜止めが施工されるまで北角の土を掘らないでおく場合の方が、降雨などで土砂が崩れ、ガス管が懸吊されていないまま何メートルもの間宙に浮くわけで、かえつて重大な危険につながるおそれが大きかつた。」との主張があるので、検討する。本来埋設物の懸吊作業は掘削法面の法肩の位置よりも数メートルは先行するのが安全な作業というべきところ、この観点からするとき本件四工区の掘削作業は通常より掘削が進み過ぎていたきらいがあり、四月初めころからの横断部付近の掘削状況も掘削が進み過ぎて土砂くずれによる宙吊りの危険が感じられるような状態になつたので、被告人正木、同矢萩らにおいて懸吊作業を先行するようにとくに指示を与えていたことが認められる。しかし、土砂くずれによつてガス管が未懸吊のまま宙吊りされることによる危険を回避するためには、まず、懸吊作業を行うべきことは当然であるとしても、そうだからといつて北角の土砂を管が露出するまで掘削除去する必然性はなかつたというべきである。すなわち、右のような危険を避けるためには、四月六日以降の時点で水取器以西の管下の掘削を中止し、懸吊作業(もちろんそのために必要な限度内で部分掘削は行うことになるが)だけを先行させればよいのであつて、その間に本件継手に抜止めを施工することは十分可能である。右施工が完了するまで北角の土砂の掘削、除去をしばらくまつということと、土砂くずれの危険を虞つて懸吊を先行させるということとは矛盾しないから、弁護人の右主張は理由がない。

(三) 工法上の過誤と本件事故との因果関係

ところで本件継手に対する抜止め措置の方法であるが、基本的には、水取器両側の各継手の外側の管をそれぞれ鉄バンド等で緊帯し、その鉄バンド等をアングルまたはチャンネル鋼等で直接あるいは水取器の凸部を利用して結ぶとともに、これらをアングルまたはチャンネル鋼を用いて付近の土留杭あるいは覆工桁との間で固定する方法をとれば、現場の配管状況に応じた抜止め防護の目的を十分達することができるはずであり、すでに検討してぎた抜止め施工の実情などからして右の方法はたやすく想到し得るところである。その設計は容易であり、その施工の容易であることもすでに述べた。

抜止め施工の必要性が高く、当然これをなすべきであるのに、右のように容易な設計施工をしないまま水取器露出後も掘削を進め、残された横断部北角の土砂を除去して曲管部付近の管全体を露出・宙吊りにさせたことは、明らかに工法上の過誤であり、この過誤がなく、事前に右設計施工をしておれば、本件継手が抜出すことは防がれ、本件事故に至らなかつたことが明らかである。

第五 大阪市交通局の監督管理責任

交通局は、第一の二の(二)で述べたとおり、地下鉄建設・改良工事を施行(ママ)するためその高速鉄道建設本部建設部に第一ないし第四の各建設事務所を設け、うち本件二号線第一期延長工事の第一ないし第五区を所管する二建には所長以下二四名(事務職員を除く)の職員を置き、第三ないし第五工区はその第一係の担当とし、本件四工区については、係長(被告人正木)のもとに主任監督員一名(被告人矢萩)及び監署員三名(被告人岡本ほか二名)を配置してこれに専従させていた。そして、発注者(起業者)である交通局は、右担当職員らを使つて本件四工区の地下鉄建設工事の施行(ママ)を管理し、それが本体工事であると仮設工事であるとを問わず、工事施工の細部に至るまで広汎かつ強力に監督管理してきたものである。このことは、交通局と鉄建建設との間の工事請負契約書及びその付属文書である地下工事標準仕様書の内容と実際に行われてきたこととを併せ見れば明らかであつて、右仕様書中には「本工事は請負者の責任施行とする。」との一文が一応置かれてはいるけれども、ここにいう責任施行の意味がふつう一般に用いられているものに比べて大きく後退したものになつてしまつていることは否定の仕様がない。

すなわち、請負契約書及び地下工事標準仕様書(第一章総則)には別紙五のごとき条項が定められているが、これらによれば、①請負人である鉄建建設は、主任技術者及び現場監督を選定配置するにあたつて交通局側の承認を得なければならず、交通局側は、鉄建建設の現場代理人はもとより、右主任技術者、現場監督その他の使用人、労務者ならびに下請負人を不適当と認めるときはその退場、更送(ママ)を求めることができ、②鉄建建設はその現場事務所等を設置するに際しても交通局側と協議しなければならず、③鉄建建設が安全管理者等を選任するについても交通局側の承認を必要とし④鉄建建設は、本件工事につき事前に交通局の作成した設計図どおり工事を完成させなければならないのは当然であるが、そこに至るまでの仮設工事等についても、あらかじめ交通局が作成した詳細な仕様書、図面に従つて施行しなければならず、その施行すべき工事内容について契約上疑義等のあるときとか、仕様書、図面などに施工方法等が明示されておらずあるいは明示されていても一義的でないようなときには、交通局側と協議し、あるいはその解釈に従い、また交通局側の承認と指示のもとに施工することが義務づけられ、その場合、交通局の監督員が作成した具体的な施工図もしくは鉄建建設が作成し右監督員の検査・承認を得た施工図に従うことが必要であり、⑤施行にともなう道路占用、掘削、地下埋設工作物の処理等に必要な関係先との手続は交通局側が行うが、一方鉄建建設は、工事開始に先立ち埋設物等につき詳細な調査を行つてその結果を交通局側に報告し、⑥工事施行にあたつては、鉄建建設は、まず契約当初に工事全体の工事費内訳明細書及び総合工程表を作成して交通局側の調査、調整、承認を受け、以後一か月ごとに毎月の予定工程表を交通局側に提出して承認を受けるとともに実施工程表によつてその実績を報告し、さらに毎日の予定表を届けるとともに労務者の就労状況を毎日報告し、⑦工事に使用する材料は、交通局から支給、貸与されるものを除き、すべて事前に交通局監督員の検査、試験に合格したものでなければならず、⑧鉄建建設の現場代理人主任技術者その他の者が実際に工事を施行(ママ)し、また個々の工程を実施するに際しては、以上のほかにも、常に交通局側ことにその監督員等の指揮監督、指揮指示に従わなければならず、⑨遅れた工事の進捗をはかるのにも鉄建建設は交通局側の指示に従い、また、災害防止等のための臨機の指(ママ)置についても鉄建建設は事前に交通局監督員の意見を聴き、あるいはその求めに従つて実施することが必要であり、⑩なお、鉄建建設は各工程にわたる写真をとり、これを整理して交通局に提出しなければならないなどされていることが明らかである。

さらに、右仕様書によれば、仮設工事等の工程につき、①鋼杭、鋼支柱・鋼矢板・連続土留杭(後二者は本件では使用されなかつたようであるが)の打込・建込、土留工、路面覆工、支保工及び工事施工に関する一切の保安措置の各施工については、いずれも鉄建建設が事前に詳細な施工計画書を作成して二建所長の承認を得なければならず、②掘削の順序及び深度並びに湧水処理については各区画ごとに鉄建建設と二建所長とが協議して決定し、③鋼杭・鋼支柱・鋼矢板・連続土留杭の撤去はその箇所、方法及び時期につき鉄建建設は事前に二建所長の承認を得なければならず、④標準施工参考図に示されている埋設物の懸吊防護及びその復旧についても鉄建建設は二建所長の指示により施工することなどとされ、各工程の施工に際して注意すべき事項を詳細に規定しているのである。

また、実際に行われてきたことをみても、第一の三及び四(別紙二)でも詳しく触れたとおり、毎月一回二建が主催して月間工程会議を開き、実施工程表に基づく前月分の工事の進捗状況の報告、予定工程表に基づく当月分の工事工程の打ち合わせ、作業上の問題点についての協議、検討等を行ない、また毎月一回二建が主催して埋設物会議を開き、各種埋設物の保安業務等についての協議を行うこととするなど、埋設物企業体と鉄建建設との間の連絡調整に二建は積極的な役割を果し、他にも、路面覆工の期間中だけであつたが、鉄建建設天六作業所において週間工程会議が行なわれたのには、二建側から矢萩主任監督員及び岡本監督員が参加して一週間の工程の順序、方法について打合わせを行ない、さらに日々の工事予定については、毎日午後鉄建建設の企画係員に作業予定表を二建事務所まで持参、提出させ、これに基づき二建側は当日の夜間作業及び翌日の昼間作業の内容を把握し、一方施工計画等についての各種承認願は、岡本監督員が受付けてその内容を検討し、矢萩主任監督員、正木係長の順に決裁して(この間に必要な修正等を命ずる。)、清水所長名義で承認するという手続をとつていたが、本件事故までに試掘計画承認願、鋼杭・鋼支柱建込施工計画承認願、路面覆工桁及び懸叩桁架設計画承認願、路面覆工施工計画承認願、掘削計画承認願、ガス管等各種埋設物についての懸吊計画承認願等が提出され、そのつど右のとおり承認手続を経由し、なお、工事現場での立会、監督については、正木係長は週に一回程度現場を巡回して工事の進捗状況を把握するとともに必要な監督をなし、矢萩主任監督員及び岡本監督員はその余の工区担当の監督員ともどもそれぞれ毎日一回は現場に赴いて監督に当るという方法をとり、また右矢萩以下の者らにおいて工事監督日誌を作成することによりその監督状況を記録しかつこれを引継ぐなどして、二建側は前記のごとき監督管理の業務を遂行していた。

以上のように本件地下鉄建設工事は交通局による管理のもとで施行され、交通局側は、本件工事であると各種仮設工事であるとを問わず、全工程の細部に至るまでのその施工を監督管理してきたものであるが、工事は施工にともなう災害を防止し、工事関係者ばかりでなく一般公衆に危害を及ぼさないよう公共の安全を確保しながら細心の注意をもつて施工されなければならないのはいうまでもないところであつて、それは施工者である鉄建建設の本来の責務であるとともに、たとえ仮設工事の段階におけるものであつても、交通局側の監督管理は右のような施工にともなう災害防止の点にまで及んでいた。このことは以上で検討した契約の内容のほか、実際に行われてきたことからみてもすでに明らかと考えられるが、その根拠としてなお次の諸点をつけ加えることができる。

1本件工事は、人家等の密集した都心の幹線道路に大規模な掘坑を掘り、深さ約一九メートルの坑底に地下鉄用の本体工事を施工しようとするものである。その工程中鋼杭・鋼支柱建込、覆工、土留工、掘削工、掘削にともなう各種埋設物の懸吊、支保工、復旧埋戻し等仮設工事のいかなる段階をとらえても、その設計施工が一歩間違えば公共の危険を招き、都市の機能を阻害し、あるいは公衆の生命、財産までをも損う甚大な都市災害をひき起す危険があるのである。仮設工事は、契約において完成引渡の目的とされている本件の工事の施工完成を容易にならしめるための補助手段に過ぎないばかりでなく、工事にともなつて生じかねない右のような危険を防ぐための、それ自体災害防止対策としての性質を併せ持つものであり、同時にその設計施工に瑕疵があれば直接に危険を招きかねないのであるから、その設計施工はこのような観点からも慎重、適正に行われることが要求されるのである。すなわち、仮設工事が適正に行われるようこれを監督管理するということ自体がすでに公共の安全を確保し、災害を防止するという役目を持つているのである。

2中央建設業審議会が昭和三七年八月七日労働、建設両大臣に対して提出された「建設業における労働安全衛生ならびに第三者に及ぼす安全確保の推進に関する建議書」にもとづき、昭和三九年一〇月建設省は「市街地土木工事公衆災害防止対策要綱」を策定した。この要綱は、「最近、市街地の建設工事現場において工事施工に伴う事故が相次いで発生し、その結果工事関係者以外の者に危害を及ぼし、あるいは公共の施設・工作物に損害を与える等の不祥事態を招き、社会的な問題となつてきているが、これらの事故の発生は、建設工事の増大に伴つてさらに増加することが予想され、人命の尊重、経済的損失の防止等の見地から看過できないものがある。」との認識に立ち、「これらの事故の発生を防止し、もつて建設工事の適正な施工を確保するため」との観点から策定されたものである。そして建設省は、同月一日付で、建設業者に対しては建設業法四〇条の二(現行四一条二項)の勧告権に基づき建設次官の通達を発し建設業者団体を通じてその実施を指導する一方、「これらの事故の発生の防止については、ひとり施工者側の努力のみによつて成果が得られるものではなく、工事を発注する場合における計画、設計のさいの安全施工に関する配慮、公衆災害防止上の措置に必要とする経費の積算、又は当初予期していなかつた事態の発生した場合における設計の適正な変更等発注者側の理解と協力を得なければならない問題も多いので、本要綱の趣旨を尊重し、今後工事の発注にあたつては本要綱の定めるところにより応分の措置を講じられたい。」として、建設省関係公共事業発注者に対してその実施に協力を求めてきた。

その対策要綱は、第一章総則において、「この要綱は、他の法令その他の定めるもののほか、市街地で施工する土木工事について公衆の生命、身体及び財産に関する危害及び迷惑(公衆災害)を防止するために必要な計画、設計及び施工の基準を示すことを目的とし、市街地において施工する土木工事に適用する。」としたうえ、「土木工事の計画、設計及び施工にあたつては、公衆災害の防止を十分に考慮しなければならない。」「起業者は、この要綱に基づいて必要となる措置をできるだけ具体的に明示し、その経費を積算して設計金額のなかに計上しなければならず、また土木工事の工期を決めるにあたつては、この要綱に規定されている事項が十分に守られるように配慮しなければならない。」とするなど、市街地土木工事における起業者の責務をうたい、引続き、作業場、交通対策、埋設物、土留工、覆工、掘削工事現場における湧水等の処理、埋戻し、仮設構造物等々につき起業者あるいは施工者において保安上講じなければならない諸方策を具体的に細かく明示している。

本件請負契約をみても、右対策要綱の以上の趣旨が随所に盛り込まれていることが明らかであつて、契約自体にそのような趣旨が盛り込まれ、それに応じた予算が投入されている以上、契約の履行が適正に確保されるよう施工を監督管理するといえば、その程度にはいろいろあるにしても、自然に、右のような公衆災害防止の観点からもこれを行うことにならざるを得ない。

3本件工事は、都市再開発のため、普通地方公共団体である大阪市自身が起業者となり、その経営する公営事業の一環として、当該普通地方公共団体の市街地の幹線道路において施行するものである。その工事内容からして、安全対策に過誤があれば、たちまちにして都市の機能を損い、あるいは住民等多数の者の生命、財産にも危害を及ぼしかねない危険をはらむものである。住民の利益を守る立場にある普通地方公共団体が、多額の税金を投入して、仮設工事の細部に至るまで施工を監督管理しながら、「その監督管理はもつぱら契約で完成引渡の目的とされた本体工事の適正な履行確保のみに向けて財務的見地から行われるもので、施工にともなう公共の安全確保には関知しない。工事の安全確保はもつぱら施工者である鉄建建設の責務である。」とする議論は、たやすくは理解しがたいところである。むしろ、大阪市は、地下鉄建設工事の右のような特殊性にかんがみ、自らの選択によつて、工事の施行を自らの管理のもとに置き、その全工程を公共の安全確保の点にわたるまで広汎、強力に監督管理することとし、これに当たらせるべく前記のごとき多数の人員をその専従者等として投入することにしたものと理解するのが自然である。

4実際に行われてきたことを見ても、交通局の監督員が作業の安全、災害防止という観点からもその監督権限を行使してきたことは明らかであり、例えば、被告人正木、同矢萩、同岡本やその他の監督員がガス管の懸吊間隔の問題で再三指示を行なつたり、掘削が進み過ぎて土砂崩れの影響で埋設物が未懸吊のまま宙吊りになるのを懸念して懸吊を急ぐように言つたり、ボルトの締結不完全な箇所につきボルトの締め直しを指示したりなどしているほか、中間検査時における検査官も安全確保にかかわる事項を含めこと細かな指示を与えていることが認められる。

交通局は、昭和三八年四月ころから地下鉄建設工事の請負契約の内容を改訂し、それまでは発注者の直営的、指揮命令的色彩並びに請負者の片務的色彩がきわめて濃厚であつたものを改め、注文者による指揮命令的色彩を稀薄化するとともに、請負者の自主性を尊重するようにして今回のような契約内容のものに至つていることが認められるが、それでもなお以上のとおり交通局側が工事の施行を管理し、施行にともなう公衆災害を防止し公共の安全を確保するという観点からも、工事が適正に施工されるよう、仮設工事を含む全工程を監督管理していた事実は明らかといわなければならない。地方自治法二三四条の二第一項の規定や、前記のとおり本件仕様書中に「本工事は請負者の責任施工とする。」との一文があることを根拠にして右事実を否定することはとうていできない。

なお、工事の施工にともなう安全対策のうち、ことに工区内に敷設されているガス導管の防護に関しては、起業者である交通局側はさらに重要な役割を担つていたのであつて、この点は次に検討するとおりである。

第六 抜止め施工についての三者(交通局、鉄建建設及び大阪ガス)の関係と各責務

ガス導管の本件継手に工法として抜止め防護の措置を施工すべきであつたことはすでに述べたとおりであるが、この施工に関する、地下鉄工事起業者である交通局、その施工者である鉄建建設及び埋設物所有者(ガス事業者)である大阪ガスの三者の関係と各責任について検討することとなる。

一行政指導等

(一) 市街地土木工事公衆災害防止対策要綱

昭和三九年一〇月建設省によつて策定され、これに基づき行政指導が行われてきた前記「市街地土木工事公衆災害防止対策要綱」は一四章九六条から成つており、その「第五章埋設物」では、「第三一(保安上の事前措置) 起業者は、土木工事の設計にあたつては、工事現場、工事用の通路及び工事現場に近接した地域にある重要な埋設物について、その埋設物の位置、規格、構造及び老朽度を調査し、その結果及びその埋設物の保安のために必要な措置を設計書、仕様書等に記載する等施工者に明示しなければならない。」、「第三二 (立会)起業者は、第三一(保安上の事前措置)の調査にあたつては、その埋設物の所有者に立会を求めなければならない。」、「第三三(保安上の措置」) 1起業者は、埋設物に近接して土木工事を施工する場合には、あらかじめその埋設物の所有者と工事施工の各段階における保安上必要な措置、立会の有無及びその依頼手続並びに緊急時の連絡先及び方法等を協議決定するものとする。2起業者は、前項の規定により決定された事項を直ちに施工者に通知しなければならない。3施工者は、前項の規定により通知を受けた事項を遵守しなければならない。」、「第三六(露出した埋設物の維持等) 1施工者は、工事中埋設物が露出した場合においては、第三三(保安上の措置)の規定に基づく協議によつて定められた方法によつてその埋設物を維持し、工事中の損傷を防止するために万全を期するとともに、特に危険な埋設物又は重要な埋設物等については、常に点検を行う等の措置をあわせて行わなければならない。2露出した埋設物が既に破損していた場合においては、施工者は直ちに起業者及びその埋設物所有者に連絡し、起業者より所有者の責任において完全な修理等の措置を行うことを求めなければならない。3露出した埋設物が、埋戻しののちにおいて破損するおそれのある場合においては、起業者は、その埋設物の所有者に適切な措置を求める等工事終了後の事故防止についても十分注意しなければならない。」などと規定されていた。なお、被告人正木は昭和四〇年ころ地下鉄二号線東梅田―空心町間の工事に従事していた当時、右要綱についてのパンフレット、解説書(建設省計画局建設業課編の「公衆災害防止の手びき」)類を施工業者から譲り受け、一〇〇部ほど印刷して半分を業者に配布し、残りを二建の職員に配布していた。

(二) 板橋ガス爆発事故を契機とする通産省の措置

昭和四四年三月二〇日東京都板橋区内において、東京都営地下鉄建設工事にともない受け防護をして埋戻し復旧されていたガス導管が折損し、漏出した都市ガスが付近の民家に流入して爆発し、五名が死亡し三名が負傷するという事故が発生した。この事故を契機にして通産省はまず次のような措置を講じた。

1 通産省公益事業局長は、同年四月一日付の「ガス導管の他工事に起因する事故の防止について」と題する書面により、大阪ガス等のガス事業者に対し、①地下鉄工事があつた道路に埋設されている導管について、ただちに漏えい検査を実施し、その結果を報告すること、②地下鉄工事等他の事業者の工事の際の導管の防護方法、導管の防護が確実に実施されるための工事現場における立合いの方法および他の事業者との明確な責任分担の方法について、現行の方法を再検討し、その改善策を報告すること、③右②の再検討に際しては、他工事に起因する導管の事故の発生の防止に関し、他工事業者との間で相互の協力方法について協議することを指示し、また大阪市交通局長に対しても、同日付で、ガス事業者に対して右のような指示をしたので、同局長においても、ガス事業者との連絡を密にし、ガス導管の事故の発生を防止するよう協力するとともに、工事の実施者を充分に監督するよう措置されたい旨通知した。

2 同年四月七日、都市ガス事業に関する事故の根絶を期するため、ガス事業に関する保安の抜本的強化策について省議決定をし、この省議決定においては、当面の緊急の課題である他工事施工の際のガス導管の防護及びガス導管を共同溝に収容する際の技術的諸問題について早急に結論を得るよう検討すべきことがうたわれていたことから、これを受けて、同月一六日同省公益事業局に、道路及び土木に関する学識経験者、建設省等の関係行政機関、地下鉄起業者、土木工業協会、大阪ガスその他ガス・水道・電力の地下埋設物企業体等の代表者で構成されるガス導管防護対策会議が設置された。ガス導管防護対策会議は、四月一六日に第一回の全体会議を開催して、導管防護工事分科会及び共同溝分科会の二分科会の設置並びにそれぞれの分科会での審議事項を決め、その後導管防護工事分科会は七回開催され、ガス事業者、他工事企業者等関係者から保安上の措置の現状について聴取するなどして調査するとともに、これに基づき今後の対策について検討した。

(三) ガス導管防護対策会議報告書

右(二)の2のガス導管防護対策会議・導管防護工事分科会の調査、検討の結果は昭和四四年一二月二五日付の同対策会議報告書にまとめられ、通産省に報告されたが、この報告書は、まず、近時の都市化現象と既成都市の再関発のもとで施行される他工事に際してのガス導管保安確保の重要性等を指摘したうえ、他工事の際のガス導管防護に関し、以下のようにあるべき姿を述べ、他工事企業者(この報告書では、起業者と施工業者とを他工事企業者と総称しているものと理解される。)及びガス事業者の責務を宜明した。

1 ガス導管の防護方法

他工事施工に際しては、ガス導管の保安に関して、従来にもまして、十分なる措置を講ずるよう配慮すべきであり、特にガス導管が掘さく坑内に露出し、または掘さく坑外でも掘さく坑に近接している場合であつて、工事施工中または埋めもどし後において、悪影響を受けるおそれがある場合には、事故防止の見地から、そのガス導管に適切な防護方法を講ずる必要がある。この場合、まず、ガス導管が他工事による影響を受けない場所に移設すること(共同溝に収容する場合も含む。)を検討すべきである。なお、移設にあたつては、その都市の道路計画、地下埋設物の占用計画等を考慮し、長期的な展望のもとに行なうことが必要である。しかしながら、ガス導管の移設は、道路及び地下埋設物の状況、ガスの供給確保等の理由により、現実には困難な場合があると考えられるので、このような場合には、他工事施工に起因するガス導管の事故防止のため、工事中ガス導管にたわみが生ずる可能性がある場合には吊防護、埋めもどし後に路面が沈下しガス導管に異常荷重がかかる可能性がある場合には受防護または鋳鉄管をより大きな変形に耐える鋼管に変更する等の防護を行うことが必要である。

2 ガス導管の維持管理

他工事施工に際して、他工事企業者は、工事の工程、工法を決める際及び実際に作業を行う際には、ガス導管の保安の確保を図るため、ガス導管の維持管理の方法について、事前に、ガス事業者と十分協議することが必要である。

さらに、ガス事業者は、他工事が施工される際には、随時、見回りを行うとともに、試掘、掘削、埋めもどし、吊防護、受防護等ガス導管に直接影響する工事が行われる際には、立会いを行うべきである。(後略)

ガス導管の維持管理の主要な事項については次のとおりである。

(1) 連絡協議

(前略)他工事施工に際して、他工事企業者およびガス事業者は、工事前さらには工事中にガス導管の防護、維持管理等について、十分連絡協議を行うことが必要である。

(2) 掘さくおよび埋めもどし

他工事企業者は、掘さくおよび埋めもどしに際しては、建設省通達の「市街地土木工事公衆災害防止対策要綱」及び工事仕様書を厳守して、慎重に施工することが必要である。また他工事企業者は、末端の工事現場の施工者まで、これらの要綱及び工事仕様書に従つて工事が行われるよう十分な監督体制をとることが必要である。

(3) 立会いおよび見回り

他工事企業者は、道路上工事を施工するに際しては、建設業法等の関係法令の規定を遵守するとともに、ガス事業者と協議した協定事項及び工事仕様書に従つて工事施工を行い、ガス導管の保安の確保について、万全の措置をとるべき責任を有している。

他方ガス事業者は、公共の安全を確保するようにガス導管を維持管理すべき責任を有しているので、他工事企業者がガス導管に関連する工事を行う際には、これに積極的に協力し、保安の措置が確実に実施されているかどうかを確認するための立会いおよび見回りを行うことが必要である。立会いは、ガス導管の保安上重要な工事が施工される段階において、ガス事業者が他工事企業者とその日時、チェック事項についてあらかじめ協議したところに従つて行うものであり、見回りは、他工事施工中ガス事業者が自主的に随時、ガス導管の維持管理責任遂行のための日常業務の一環として行うものである。

このように立会いおよび見回りは、他工事施工の際のガス導管の事故の発生を未然に防止するためには、極めて重要な意義をもつものであるので、他工事企業者およびガス事業者はこれらの効果を十分に発揮しうる実施体制を整備することが必要である。特に立会いに際しては、工事に対して直接の指示監督権のある他工事企業者の工事監督者も同時に立会い、ガス事業者の立会者の指示が工事現場の施工者にも十分徹底するような措置を講ずべきである。なお、近時、交通事情の悪化等により工事が夜間でしかも限られた時間内に施工することを余儀なくされ、また予期しない地下埋設物等の障害がある等のため、必ずしもあらかじめ協定したとおりの工事の施工を行い難い場合が多くなつている実情にある。このような場合にも他工事企業者は、工事の工程、工法の変更等について、事前にガス事業者と協議して施工すべきであるが、やむを得ずガス事業者の立会いおよび見回りの際に現場において協議する必要が生じた場合は、これを迅速に処理し得るようガス事業者の社内体制の整備を図るとともに、立会いおよび見回りを行う者の技術の向上を図ることが必要である。

この報告書の以上のような内容は、すくなくとも地下鉄建設のごとき大規模な他工事に関するかぎり、工事施工にともなうガス導管防護に関し、これまでにない新たな提言をしたというものではなく、すでに行われている実情に立脚したうえ、これを規範的にあるべき姿として整理し、その徹底を説いたものと理解することができるのである。

そして、通産省は、この報告書を添付した依頼文書により、建設省道路局長に対し報告書にもられた事項の具体的実施を依頼し、土木工業協会に対しては、報告書にもられた事項にもとづきガス導管事故対策の強力な推進を図るよう同協会会員に対する周知徹底方を依頼し、また地下鉄工事起業者に対しては、ガス導管の事故防止のための措置を講じ、これを強力に推進するよう依頼し、日本ガス協会に対しては、ガス導管に関する事故防止のための対策を講ずるよう会員に対する周知徹底方を依頼した。

なお、昭和四五年二月ころ、大阪地方通産局の係官は右報告書の写を交通局三浦土木課長に届け、交通局では、これを参考資料として土木課内の係長以上の役職者の供覧に回した後、同年四月初めころ二建に回付していたところ、二建ではまず被告人正木が同月六、七日ころまでには目を通し、次いで有留第二係長の供覧に回していた。

二交通局と大阪ガスとの間の計画策定

一の(二)の1の通産省からの指示または通知を受けた大阪ガス及び交通局は、昭和四四年四月七日、五月一四日、六月一九日の三回にわたつて(六月一九日は水道局、電々公社等他の埋設物企業体も加えて)各担当者による協議を重ね、相互の了解点に達したところを、交通局において「地下鉄工事にともなう埋設物保安業務」と題する一覧表にまとめた。そして交通局は、「高速鉄道建設工事における埋設物保安業務の計画策定について(依頼)」と題し、「このたび高速鉄道建設工事における既設埋設物の保安に関する相互関連業務について、起業者である当局と埋設物関係企業体各位とは相互に充分なる協力のもとに、建設工事に起因する既設埋設物の今後の事故発生防止に万全を期すため、別紙のとおり計画策定しました。この計画策定にもとづき、建設工事における既設埋設物の保安業務について当局は責任をもつて、今後共これをおし進めますので、埋設物関係企業体各位におかれましては、公共工事としての重要性を考慮されて当局の建設工事における既設埋設物の事故防止のための責任業務遂行に対し今後ともますます積極的なるご協力を預けますようお願いいたします。」と記載した文書に右一覧表(以下計画策定という。)を添付したうえ、大阪市交通局長名義で各埋設物企業体宛に発送した。大阪ガスに対しては同年八月二〇日付で大阪ガス社長宛に右文書が発送されたが、これに対し大阪ガスは、同年九月一〇日付の営業部長名の文書で主旨に従い協力する旨を回答した。

右計画策定によれば、

1防護方法の協議に関し、

①交通局は埋設物位置確認図(杭線記入)を作成配付する。

②大阪ガスは防護方法(養生、移設、バルブ切込等)の協議をする。

③交通局は個々の養生並びに移設の実施依頼書を発行する。

④大阪ガスは養生工法、支障移設、施工時期の検討並びに実施設計、施行をする。

2懸すいに関し、

①交通局は施工時期を連絡し、立会について協議し、部分掘さく(狸掘り)をして懸すいする。

②大阪ガスは自主的に立会い、懸すい状態を確認し、漏洩調査を行う。

③交通局は交通局係員によつて懸すい状況の検査をし、特に重要なものについて沈下曲り等の測定を行う。

などとされている。

従前の地下鉄建設工事にともなうガス導管防護施工の実情等及び右計画策定に至る協議の経過に照らして判断すれば、右のような定めの趣旨は、

地下鉄建設工事にともなうガス導管の防護については、交通局が作成した埋設物位置確認図(杭線記入)に基づき、交通局と大阪ガスが事前に協議を行い、協議の結果支障移設、管種の変更、継手の改良、バルブ切込(直管部の一部を切り取つてバルブをセットすること)等をすることに決まれば、これらはガス導管そのものに変更を加えるものであるから、交通局は大阪ガスに対して実施依頼書を発行し大阪ガスにおいてその施工時期を検討し、設計、施工をしてこれを実施するが、ガス導管の露出にともなう懸吊防護(吊り防護、またこれにともなつて必要とされる抜止め防護)及び埋戻し復旧にともなう受防護等については、ガス導管そのものに変更を加えるものではないから、交通局は、右事前に協議されたところに従つて、従前どおり工事請負業者をして施工させ、その際交通局は、大阪ガスに対して施工時期を予め連絡するとともに、その立会を要請すべきかどうかについて大阪ガス本管部管理課管理係の担当者に事前に協議を申し出て、その協議に従つて現に立会を要請し、一方大阪ガスは、右要請に応じて立会うほか、自主的にも立会を行つてガス事業者の立場から適切な助言指導をする。

というものであつたと理解することができる。なお、計画策定に至る協議(ことに前記六月一九日)に際しては、抜止め防護についての事前協議を公文書で取交わしてするかどうかが話題になり、大阪ガス側は、ガス導管露出にともなう防護についての協議がすべて公文書でなされるのは結構なことで、望ましいことであるが、必ずしも公文書による必要はなく、現場サイドで口頭でやつてもらつてもよいとの態度を示していたことが認められる。

交通局二建の第一係長である被告人正木は、右六月一九日の協議会に出席することなど計画策定の成立に関与したが、同年九月第二係長の有留靖朗とともに部下職員を集めて計画策定(一覧表)のコピーを配付し、説明会を行つた。そして、従前は施工業者からガス導管についての懸吊計画承認願(施工図添付)を提出させていなかつたが、昭和四五年二月ころ、右正木及び有留の両係長が相談したうえ、以後は施工業者からこれを提出させるとともに、大阪ガスとの協議をより確実に行う趣旨のもとに、その施工図を大阪ガスに送付してその承認を求めるという方針を決めた。このように決めたことは、前記対策要綱や右計画策定の内容に照らし適切妥当であつたと評価することができる。

三交通局と鉄建建設との間の契約内容

交通局と鉄建建設との間の本件請負契約(請負契約書及び地下工事標準仕様書)には、ガス導管の防護等施工上の安全確保に関し、次のような規定がおかれている。

1 鉄建建設は工事開始に先立ち埋設物、架空線等について詳細な試掘調査を実施し、報告書を作成して甲に提出すること。また工事施行中はこれら架空線および埋設物ならびに道路付属物等を損傷しないよう注意し常に保護補修を怠つてはならない。(標準仕様書第一章総則第一五条)

2 本工事区域内にある各種地下埋設物の附近は特に注意し、二建所長ならびに所轄官公署および会社係員の指示に従い些少の損傷も与えないよう掘さくするとともに、埋設物の保護懸吊が完成後でなければその下部の掘さくに着手してはならない。(同第九章掘さく第七条)

埋設物懸吊に伴う維持補強防護工に必要な費用は鉄建建設の負担とする。但しバンド締めは除く。(同章第九条4号)

3 埋設物の懸吊防護は標準施工図に示してあるが、施工に当つては時期および方法について、二建所長ならびに所轄官公署および会社係員の指示により些少の損傷も与えないよう施工すること。また掘さくに際しても特別の注意を払い、若し埋設物に異常を発見したときは速かに二建所長に報告し適切な処置を講じなければならない。(同第一七章埋設物懸吊防護および復旧第一条)

4 本工事は交通の輻そうしている道路上で、民家に接近しているから作業に当つては事故を起さぬよう充分注意し、万一鉄建建設の過失により民家または公共施設および車馬に損害を与えた場合はすべて鉄建建設の費用により復旧または弁償しなければならない。(同第二章費用負担についての細則第七条)

5 以上のほかに、別紙五の一に掲げた工事請負契約書第一七条

四大阪ガスによる抜止め施工の要請

昭和四五年三月二三日ころ鉄建建設天六作業所から再提出されたガス管懸吊計画承認願に対し、同月二六日ころ二建所長名義で承認がなされたが、同日ころ、二建の監督員である被告人岡本は、ガス管の懸吊方法につき大阪ガスの協議を求める趣旨で、鉄建建設から提出されていた施工図(右ガス管懸吊計画承認願に添付され、二建が承認した施工図面と同一のもの)四部のそれぞれに表紙をつけて「ガス管の懸吊について(依頼)」と題する文書を作成し、順次主任監督員である被告人矢萩、係長である同正木及び二建所長の決裁を得たうえ、そのうち三部を同所長名義で大阪ガス本管部管理課長宛に送付したところ、同課管理係の小森博人は、右文書の表紙上部に「別図仕様で承認する。(300φ中圧管ベンド、T字部には抜止を施工する事。)」と記載したうえ、同係長を通して管理課長入江玉治の決裁に回した。そうして入江課長は右原案どおり抜止め条件を付して施工図のとおりガス導管の懸吊をすることを承認することとし、右抜止め条件の文言の下に昭和四五年三月三〇日付で大阪ガス管理課長入江玉治と記名、押印して大阪ガスから二建所長宛の承認書とした。この抜止め条件付の承認書は、地下鉄工事立会担当の維持係技能員栗川末雄が、同年四月四日午前一一時ころ四工区工事現場で他工区の分とともに被告人岡本に交付したが、同被告人は同日午前一一時三〇分ころこれを二建事務所に持ち帰り、被告人矢萩に大阪ガスからの承認書である旨を告げて手渡し、同被告人も中圧管ベンド部に抜止め施工の条件が付されたことを知り、その際鉄建建設に知らせておくよう被告人岡本に指示した。そこで被告人岡本は、同日午後二時ころ、鉄建建設天六作業所企画係員上中清丸が毎日の作業予定表を二建に持参してきた際、同人に右抜止め条件付承認書を示してこれを写して帰るように指示し、上中は、被告人岡本から与えられた、二建所長から大阪ガス本管部管理課長宛の前記依頼文書の控えの表紙上部に、大阪ガスが付した条件付承認文書の文言をそのままに鉛筆書きで写しとつたうえ、天六作業所に持ち帰り、その後席に戻つた企画主任の被告人田中に対し、右いきさつを告げてこれを渡し、被告人田中もその内容を了知するに至つた(さらに所長である被告人溝手、工事主任である同藤井においても、同日夕方被告人田中から右抜止め条件付承認書の写を示されてその内容を了知するところとなつたが、この点はのちに詳細に判断するとおりである。)。

五まとめ

(一) 三者相互の関係等

以上を総合すれば、地下鉄建設工事の施行にともなうガス導管の防護については、①起業者である交通局(各建設事務所)は埋設物企業体(ガス事業者)である大阪ガスにその施工方法等を書面または口頭で協議し、請負業者(施工者)に対してその協議結果を通知し、かつ、これに指示を与え、請負業者をして、請負契約中の標準施工参考図に準拠するばかりでなく、右協議の結果に従つて施工するよう十分監督しなければならず、②請負業者(施工者)は、自ら工事を施工するものとして施工にともなう安全確保を自らの手で実現しなければならず、したがつて所要の抜止め防護などは自発的に施工しなければならないが、交通局(建設事務所)から右協議結果の通知を受けたときは、その指示に従い、標準施工参考図に準拠するばかりでなく、右協議結果にのつとつてこれを施工実現しなければならないのであり、また具体的な施工に際しては大阪ガスの現地における指示(指導助言)に従うべきであり、③一方大阪ガスは、交通局(各建設事務所)からの協議に応じ、適切な防護方法を提唱するばかりでなく、自らも常に工事現場の立会、巡回等を実践し、現地の具体的状況に応じて、工事施工者に対しガス導管防護の見地からの適切な指示(指導助言)を与えなければならないという三者相互関係が成り立つていたといわなければならない。そのことは、少なくとも本件二号線四工区の工事施工(ことに掘削及びこれにともなうガス導管懸吊作業)の段階ですでに明らかになつていたといえるのである。

そして、前記のとおり二建所長名義で大阪ガス本管部管理課長あてに依頼文書を送付したことは、本件工区におけるガス導管の露出にともなう防護方法につき同所長が大阪ガスに対し文書によつて協議を求めたことに該当し、これに対し同管理課長が前記のとおり承認文書を二建に交付して回答したことは、右協議の内容として、ガス導管の露出に際しては懸吊防護の一方法として本件三〇〇ミリ中圧管のベンド部に抜止めを施工することを要請したことにあたり、二建の担当者が上中に右承認文書を写して帰らせたことは、二建から鉄建建設天六作業所に右協議内容を通知するとともに、そのとおり施工することを指示したものにほかならないと解すべきである。

してみれば、抜止めの工法を具体的にどのようにするかについてはなお三者間における協議、折衝にまたなければならないとしても、鉄建建設(天六作業所)は本件三〇〇ミリ中圧管ベンド部に懸吊防護の一方法として現実に抜止めを施工する責務を有し、交通局(二建)は、鉄建建設を監督して、現実に右抜止めを施工させなければならない責務を有したものである。なお、本件継手が大阪ガスの右要請にいう「ベンド」の継手に該当すると理解されること、及び、抜止めの趣旨、目的からして、ベンド(北角)を露出宙吊りにする前にこれを施工しなければならないことはすでに述べたとおりである。したがつて、中圧管横断部北角の管下の土砂を除去し、本件継手を含む付近のガス導管の全体を露出宙吊りにする前に本件継手に抜止めを施工することによつてこそはじめて右大阪ガスの要請に応えることができるといわなければならない。

(二) 本件継手に対する抜止め施工についての三者それぞれの責務

もともと本件継手に抜止め防護の措置を講じることは工法として当然に必要であり、これを放置して横断部付近の掘削を進め、その付近の中圧ガス導管の全体を露出宙吊りにさせるごときは工法上の過誤であることはすでに述べたとおりであるが、この抜止め施工に関する三者それぞれの責務をさらに詳しく述べれば以下のとおりである。。

1大阪ガス

本件事故後これを契機にして次々に行われたガス事業法施行規則の改正、ガス工作物の技術上の基準を定める省令及び同基準の細目を定める告示の各制定並びに道路法施行令及び同法施行規則の各改正の結果、ガス事業者がガス工作物を維持する上において守らなければならない保安上(技術上)の基準のひとつとして、抜出し防止措置及び固定措置が新たに定められたり、その構造図が示されたりするとともに、ガス事業者以外の者の掘削により露出することとなつたガス管に対する防護の措置として、抜出し防止措置はガス事業者が、また固定措置は工事施行者が実施することと定められ、また昭和四五年一二月二〇日付で大阪市と大阪ガスの間に締結された「ガス供給施設保安に関する協定」においても、防護方法のうち、吊り防護、受防護及び固定措置については起業者である大阪市において施工するが、それ以外の防護措置(押輪、抜出し防止措置、伸縮継手及び緊急しや断装置)についてはガス事業者である大阪ガスにおいて施工するものとされ、その場合、起業者が行う防護工事の工法については、ガス事業者がガス工作物の技術上の基準を定める省令及び同省令に基づく告示の規定するところに従つて定める標準防護工法あるいは標準防護工法によれない場合にはそのつどガス事業者が決定する工法に拠るものとし、起業者は工法の決定に必要な資料を提出するものと定められているが、本件当時においては、抜出し防止措置についても上述してきたとおり起業者である交通局ないしは請負業者である施工業者において施工される実情にあつたものであり、(一)で述べたような三者の相互関係における大阪ガスの立場はこのような実情を前提とするものである。

しかしながら、本件当時においても、大阪ガスは、自己が営むガス事業のためガス導管を敷設し、所有し、これを維持、管理していたものであるから、一般公衆に対する関係では、ガス導管の安全を確保し、公共の危険の発生を防止しなければならない最終的な責任を有していたものであり(ちなみに、本件当時のガス事業法もその二八条一項において「ガス事業者は、ガス工作物を通商産業令で定める保安上の基準に適合するよう維持しなければならない。」としていた。)、ただ、第三者が施行(ママ)する他工事によつて導管が露出される場合であるから、事実上受身の立場に立たされることになつていただけのことに過ぎない。また、大阪ガスはガス事業の専門家として、ガス導管が露出された場合の個々の具体的な危険やこれに対する適切な防護の方法をもつともよく知ることのできる立場にあつた。そうであれば、大阪ガスとしては、地下鉄工事に際してのガス導管防護に関し、とくに抜止め措置を独立のものとして取り上げ、その標準施工参考図を作成し、起業者である交通局をしてその施工または事前協議を契約によつて一義的に請負人に義務づけさせるなど、必要な抜止め施工が常に有効適切に行われるような一般的態勢の確立を、本来もつと早く提唱しかつ主導的に実現させなければならなかつたものである。前記の計画策定により三者の相互関係の明確化が一歩前進したとはいえ、中圧管のベンドには抜止めを施工することという今回の要請が必ず有効適切に実現するという制度的保障は、立会担当員の個々の現場における指示(指導助言)にのみまかせられていた従前のやり方の場合と比べほとんど変つていないのであるから、それだけに右担当員による立会巡回の持つ意義はきわめて重要であつたといわなければならない。大阪ガスは、前記のとおり本管部管理課維持係の技能員である栗川末雄(元共同被告人、死亡により公訴棄却。)をして本件工区等の立会巡回に従事させていたが、この立会巡回は、その機会にあるいはその機会に得た知見等にもとづき、起業者及び施工業者に適切な指示(指導助言)を行い、他工事の施行にともなつて必要とされるガス導管の防護が確実に施工されることを目的としたもので、大阪ガスが自己のガス事業者としての前記責務を全うするための重要な手段であつたのである。

ところで右栗川は、本件請負契約締結の前後ころから大阪ガス本管部管理課で保管されている本管カードを丹念に調査し、本件工区内における三〇〇ミリ中圧及び五〇〇ミリ低圧両ガス導管の配管状況の概要、ことに、①各横断部南角付近以東は昭和三七年ころに新設されたもので、そのうち各北角から約三(中圧管)ないし五(低圧管)メートル東に設けられた各水取器までは鋼管で、中圧管は南角北側のスリーブジョイントから水取器まで、低圧管は南角西側のスリーブジョイントから水取器までがそれぞれ溶接された一本の鋼管になつていること、②各横断部においては他の埋設物が障害になつているためいずれも土被りが浅いなど、地上交通の荷重の影響を受けて中圧管水取器西側の本件継手に経年劣化を生じさせるような事情をよく把握したうえ、以後本件工区等の立会、巡回に従事し、四月四日には管理課管理係員の小森から前記条件付承認書を渡されてこれを二建の岡本監督員に届け、そのさい抜止め条件がつけられていることを自らも確め、また四月六日午前中にも巡回のため坑内に入り、その際には、中圧管は水取器から南角北側のスリーブ付近まで、低圧管は水取器から南角付近まではまだ土中にあつたが、両管とも水取器付近以東はすでに露出懸吊ずみで管下約二メートルくらいが掘削されており、中圧管は右スリーブ以南及び以西も懸吊露出されていることを確認し、これらの懸吊状況を自ら写真撮影しているほどで、このまま放置すれば間もなく各水取器から横断部にかけての部分も露出し、横断部付近の各導管全体が宙吊りにされることを十分に理解することができたものである。

このように大阪ガスは、ガス導管安全確保の最終的責任者であるばかりでなく、本件継手に抜止め防護の措置を講じなければならないことを具体的に理解し、かつ係員の立会、巡回により工事の進捗状況を十分に把握していたのであるから、いかに他工事の施行によりガス導管が露出する場合であるとはいえ、前記のごとき条件付承認書を二建に送付しただけでことが足りるとすることはとうてい許されず、その要請したところが有効適切に実現するよう、右栗川において直接あるいは上司に報告されることによりより公的な立場で、二建ないしは鉄建建設天六作業所に働きかけ、横断部付近のそれ以上の掘削を一時中止することなどして本件中圧管横断部ことにその北角が土中に保持されている間に本件継手に対する抜止め施工を完了するよう具体的に要請、指示し、かつ適正な助言指導を行つてこれを実現させるようにしなければならなかつたのである。

2交通局

交通局(二建)は、鉄建建設による工事の施工を、本体工事についてはもちろんのこと仮設工事の細部に至るまで施工による公衆災害の発生を防止し、公共の安全を確保する観点からも全面的に監督管理していたから、たとえ大阪ガスから要請を受けなかつたとしても、本件継手部に対する抜止め防護の措置を講じるよう施工業者である鉄建建設(天六作業所)に指示し、これを監督して施工させるべきであり、ことに大阪ガスとの協議に際し大阪ガスからその旨の要請を受けた以上、たんにその事実を鉄建建設(天六作業所)に通知しあるいは抽象的通り一遍にその施工を指示するだけで足りるとすることは許されず、右監督権限を適正に行使し、本件中圧管水取器付近の懸吊露出後の横断部付近の掘削を一時中止するなどしてその北角が土中に保持されている間に右施工を完了するようさらに具体的に指示し、これを実現させなければならなかつたものである。もし大阪ガスによる右要請だけではその具体的適用に疑義があり、あるいは具体的な施工方法に不詳な点があるというのであれば、一時右掘削を差止めたうえ、その間にさらに大阪ガス側と協議を重ね、これにもとづいて鉄建建設に具体的な指示を与えるべきであつた。

交通局がガス導管の防護に関する専門家ではなく、また本件継手に外観上締結力劣化の徴候が認められなかつたことを考えても、交通局(二建)に右責務のあることには変りがない。なぜなら、交通局(二建)は地下鉄建設工事の専門家であり、また抜止め防護はすでに述べたとおりの予防措置(安全対策)としての目的、性格をもつものであつて、本件継手にはその対策が要求されるからである。

3鉄建建設

工事施工者である鉄建建設は、自らの工事施工に際し、施工にともなつて公衆に危害を及ぼし公共の安全を損うことのないよう常に細心の注意をはらわなければならないのは当然のことである。そのような事態を招くことなく本件四工区の工事を最後まで無事完了することは、交通局に対する請負契約上の義務であるばかりでなく、社会に対する直接の責務といわなければならない。しかも鉄建建設は自らの手で本件中圧ガス導管を露出し、その安全確保上危険な状態を作出するのであるから、その保全のため工法上必要とされる本件継手に対する抜止め防護の措置を、本来自発的に、大阪ガス担当係員の指導助言を求めるなどして施工しなければならない。ましてや大阪ガスによる抜止め施工の要請の事実を交通局(二建)から通知され、その施工を指示された以上、さらに工法などにつき二建を通じてあるいは直接大阪ガスの係員と協議を重ね、右要請どおり絶対に本件継手に対する抜止め防護を施工しなければならない義務を負うものである。いずれにしても鉄建建設(天六作業所)は、四月六日に本件水取器の前後を懸吊し、本件継手を露出させた以後において、さらに掘削を進め横断部北角の土砂を除去し付近の中圧ガス導管の全体を露出宙吊りにさせるまでの間に、右掘削を一時中止してでも本件継手に適切な抜止め措置を施工してこれを防護しなければならなかつたのである。

鉄建建設がガス導管に関する専門家ではなく、また本件継手に外観上締結劣化の徴候が認められず、さらには、立会担当者等大阪ガス側が前記のごとき要請を二建にしただけで、それ以上の具体的な指示、指導助言を怠つていたことを考えても、鉄建建設(天六作業所)に右責務のあることには変りがない。なぜなら、鉄建建設(天六作業所)は地下鉄建設工事の専門家であり、また抜止め防護はすでに述べたとおりの予防措置(安全対策)としての目的、性格をもつものであつて、本件継手にはその対策が要求され、さらには、鉄建建設には施工者としての独自の立場と責務があるからである。

(三) むすび

三〇〇ミリ中圧ガス導管水取器西側の本件継手に抜止め防護措置を施工することなく横断部付近の掘削を進め、最後に残されたその北角の管下の土砂を除去して本件継手を含む横断部曲管部付近の右導管の全体を露出宙吊りにさせ、これによつて本件継手に抜出しの危険を生じさせたことは、すでに述べてきたことからも明らかなとおり違法であつて、このような違法状態を作り、現に本件継手を抜け出させてガス噴出を招き、ついに爆発に至らしめたことは、(二)で検討したとおり、ガス導管の維持管理者(ガス事業者)たる大阪ガス、地下鉄工事起業者たる交通局及びその請負人(施工者)たる鉄建建設三者のそれぞれの責任である。

第七 鉄建建設関係被告人及び交通局

関係被告人の各刑事過失責任はじめに

三〇〇ミリ中圧ガス導管の本件継手に抜止め防護の措置を施工しないまま掘削を進め、横断部北角の曲管部を含む付近のガス導管の全体を露出宙吊りにさせたことは工法上の過誤であつて違法であること、並びに鉄建建設(天六作業所)としては本件四工区の地下鉄建設工事施工者として施工にともなう公衆災害の発生を防止し、公共の安全を確保しなければならない責務を負い、その一環として、自ら右抜止めを事前に施工しなければならなかつた(換言すれば、その施工前には最後に残された北角部分の掘削露出をしてはならなかつた)こと、及び、交通局(二建)としては右地下鉄工事の施行を管理し、施工にともなう公衆災害の発生を防止し、公共の安全を確保する観点からも仮設工事の施工を監督管理する立場にあつたものであり、その一環として、右監督権を適正に行使し、右抜止めを事前に施工させなければならなかつた(換言すれば、その施工前には最後に残された北角部分の掘削露出をさせてはならなかつた)こと、そして右抜止めを事前に施工することにより本件継手の抜出しを防止することができ、本件事故の発生を防ぐことができたことはすでに検討したとおりである。

そして、鉄建建設(天六作業所)及び交通局(二建)の組織及び工事関係者についてはすでに第一の二の(一)、(二)及び第五で検討したとおりである。本件審理の争点の実情に照らし、右各組織体としての責任の有無及びその配分に関する諸事情とその結論とを先に検討したが、前者において現実に工事の施工や仮設工事の企画、設計に従事していたのは天六作業所長(現場代理人)である被告人溝手以下の鉄建建設関係の被告人らであり、後者において現実に監督管理業務を遂行していたのは工区担当の係長である被告人正木以下の交通局関係の被告人らである。またこれらの被告人らが現実に行つてきた仕事の内容はすでに第一の二の(一)、(二)、三、四(別紙二)、第五及び第六の四で俯瞰したとおりであり、その職務(業務)執行の基準となるべき交通局・鉄建建設間の契約関係その他の諸事情も第四、第五及び第六で検討したとおりである。これらの被告人において抜止めの施工を実現させないかぎり、鉄建建設あるいは交通局の前記責任は果されることがなく、本件事故の発生を防ぎ得なかつたこともまた明らかなところである。

そこで以上の諸点を前提としながら、これら被告人の刑事過失責任の有無についてさらに詳しく検討することとする。

その一〔被告人らの経歴と業務〕

一 被告人溝手

被告人溝手は昭和二三年三月工業専門学校土木科を卒業して同年四月鉄建建設(当時の社名は「鉄道建設興業株式会社」であつたが、昭和三八年に「鉄建建設株式会社」と変更された)に入社し、そのころから昭和三三年六月ころまでの間は、橋梁新設・改築工事、線路打上工事、隧道新設工事、落石覆新設工事などの各工事に現場監督の補助、現場監督、現場主任等として携わつたが、その後昭和三三年から地下鉄工事に従事するようになり、同年七月から昭和三四年一一月までの間は大阪市交通局発注(以下とくに断らない限り地下鉄工事に関するものはすべて同局発注のものである。)地下鉄一号線長居停留場新設工事に工事主任として、昭和三四年一二月から昭和三六年三月までの間は地下鉄四号線弁天町停留場並びに線路部(各高架)新設工事に作業所次席兼工事主任として、昭和三六年四月から昭和三七年三月までの間は地下鉄四号線辰巳町南境川間高架線路工事に作業所次長兼主任技術者として、昭和三九年九月から昭和四二年四月までの間は地下鉄四号線森の宮停留場及び地下線路工事に作業所次長兼工事主任(昭和四一年春からは同作業所長)としてそれぞれ従事した後、昭和四二年五月天六作業所長となり、まず地下鉄六号線天六停留場新設工事(一五工区)及び地下線路新設工事(二二工区)の現場代理人として同工事の施工を掌理し、さらに昭和四四年九月三〇日から本件四工区工事の現場代理人として、大阪市交通局監督員の指揮監督を受けつつ鉄建建設社員及び下請業者作業員らを指揮して同工事の施工を掌理する業務に従事していたものである(なお作業所長については、鉄建建設の社達(会社執務規定)に「作業所長は支店長の指揮を受けて指定された工事の施工の任にあたるものとする。」との規定があり、また現場代理人については、本件工事契約書八条三項に「現場代理人は工事現場に常駐し、(二建の)監督員の監督又は指示に従い、工事現場の取締及び工事に関する一切の事項を処理しなければならない。」との規定がある。)。

同被告人は本件四工区工事について鉄建建設側の総括責任者的な立場にあり、現場巡視などを通じて部下の現場監督、下請業者作業員らに対する指揮監督を行うことはもちろん、交通局等に提出する各種承認願、届出、報告書類等についての決裁をし、また関係官庁などとの対外的接渉(工程会議等への出席、出来高検査の立会など)に当るとともに、工事契約にともなう実行予算書の作成、鉄建建設大阪支店に対する各種書類の提出、報告、作業所内での人事配置等に関する事務を行い、さらに下請業者、材料購入先、使用する重機等の各選定についても実質的決定権を有するなど、本件四工区の工事施工にともなう一切の事項を統括管理していたものである。

二 被告人藤井

被告人藤井は昭和三三年三月大阪市立大学工学部土木科を卒業して同年四月鉄建建設に入社し、そのころから昭和三九年九月までの間に、現場監督として、国鉄岩日線第一一工区路盤その他の工事、同可部線太田川放水路橋梁桁架設工事、同中村線第一工区路盤その他の工事、新幹線京都駅高架橋その他の工事等を経て、昭和三九年一〇月から昭和四二年九月までの間は地下鉄四号線森の宮停留場及び地下線路工事(二〇工区)の路面覆工、支保工及び構築等に関する作業についての現場監督(のちに工事主任)の業務に、昭和四二年一〇月から昭和四四年九月までの間は地下鉄六号線天六停留場及び地下線路工事の工事全般について工事主任の業務にそれぞれ従事した後、昭和四四年一〇月から本件四工区工事の工事主任兼主任技術者として、天六作業所長である被告人溝手のもとで部下の現場監督及び下請業者作業員らを指揮して同工事を施工監督する業務に従事していたものである(なお主任技術者は建設業法により置かれるもので、当該工事現場における建設工事の施工の技術上の管理をつかさどるものとされている。)。

被告人藤井は本件四工区工事について工事現場における総責任者というべき立場にあり、右工事完遂のため被告人溝手を補佐して企画を除く工事全般について施工上の指揮監督を行うとともに、施工にともなう対外接渉を担当していたものであつて、具体的には、毎日の作業計画(当日夜及び翌日昼の作業に関する分)をたててそれを夕刻開催される打ち合わせ会の席上で部下の現場監督や下請業者の世話役らに指示徹底し、また現場巡視を行なつてそれらの者に対する作業上の指示監督をするほか、重要な企画について工務主任(企画主任)の被告人田中と協議し、工程会議、埋設物会議等に出席し、資材購入伝票の作成、機械類の手配を行うなどの業務に当つていた。

三 被告人三上

被告人三上は昭和三四年三月公立工業高等学校土木科を卒業後他の会社勤務を経て昭和三九年五月鉄建建設に入社し、水道管敷設工事や橋梁新設工事の監督見習または現場監督を経て、昭和四〇年八月から昭和四三年一二月までの間は地下鉄五号線一一工区玉川町停留場新設工事に現場監督として従事し、さらに山陽新幹線加古川橋梁下部新設工事、国鉄草津駅構内貨物設備改良工事に携わつた後、昭和四四年一〇月から天六作業所に配置になり、本件四工区工事の現場監督として、被告人溝手、同藤井らの指揮監督を受けながら、下請業者作業員らを指揮して同工事を施工監督する業務に従事していたものである。

被告人三上は、本件四工区工事において、他の現場監督らとともに直接工事現場に臨んで作業状態の見分や世話役、土工らに対する指示監督を行う一方、交通局監督員の指示を受けてこれを実行に移すなどの業務を行つていたが、現場監督の中での古参者として田中千尋とともに班長的立場にあつたことから、被告人藤井を補佐して毎日の工事予定の決定に参与し、それを作業打ち合わせ会の席上で他の現場監督や下請業者の世話役らに指示徹底するなどのこともしており、また本件工区の埋設物管理者として交通局(二建)に届け出られ埋設物会議にも出席していた。

四 被告人高橋

被告人高橋は昭和二九年三月公立工業高等学校建設課程を卒業後他の職場を経て昭和三〇年七月鉄建建設に入社し、国鉄上野駅鶯谷駅間複線工事、駅構内倉庫建築工事、引込線高架工事などに現場監督等として携わつた後、昭和三二年四月から昭和三三年五月までの間帝都高速交通営団発注の地下鉄丸の内線四ツ谷第一工区工事に掘削、測量、構築など担当の現場監督として従事し、その後大阪に転勤になつて国鉄環状線工事等を経た後、昭和四〇年九月から昭和四二年一一月までの間は地下鉄五号線一一工区工事の工事全般について工事主任の業務を行い、また昭和四二年一二月から昭和四四年一一月までの間工事主任として阪神高速道路浪速第三工区において高速道路下部工事等の指揮監督に当つたり、昭和四四年一一月から昭和四五年三月三一日までの間工事主任として阪急京都線旧高架線撤去工事の施工を指揮監督した後、天六作業所長被告人溝手の要請によつて同年四月一日から本件四工区工事現場に移り同工事について現場監督の業務に従事していたものである。

被告人高橋は上級社員に格付けされ、工事主任の経験もあつたことから、被告人溝手の意向で被告人藤井の後任を予定されていたものであるが、さしあたつては、被告人溝手の「掘削をみてくれ」との指示に従い一現場監督としての業務に従事しており、毎日の現場巡視を通じ掘削、埋設物懸吊、矢板入れ、切梁、腹起し等の作業についての指揮監督を行い、あるいは事務所で工程表等書類の作成を行うなどしていたものである。

五 被告人田中

被告人田中は昭和三三年三月東京農業大学農業工学科を卒業して同年四月鉄建建設に入社し、昭和三七年三月まで名古屋支店の土木課員として国鉄中央線高架橋工事等に携わつた後、同年四月東京支店勤務となり、地下鉄工事関係では、昭和三七年九月から昭和三八年七月まで帝都高速度交通営団発注の地下鉄五号線新設工事に企画主任として従事し、また昭和三九年一二月から昭和四二年八月まで東京都交通局発注の地下鉄馬込第一工区新設工事で路面、掘削等全般的な企画を担当したが、同年九月大阪支店に転勤して天六作業所に所属し、地下鉄六号線天六停留場(一五工区)工事に企画工務主任として携り、さらに昭和四四年八月末からは併わせて本件四工区工事の企画主任(工務主任)をも担当していたものである。

同被告人は本件四工区工事において、企画部門における総責任者というべき立場にあり、被告人溝手の指揮監督のもとに本件工事の企画業務全般を処理していたものであり、交通局側から交付された標準仕様書、施工参考図、特記仕様書等に基づくなどして、被告人溝手、同藤井らとも相談のうえ、仮設工事に関する具体的な工事計画を立案設計し、二建に提出する各種承認願の作成にあたるなどしていた。また対外的接渉に関わる職務として工程会議や埋設物会議に出席するとともに、これらの会議に提出する出来高現況図、予定工程表等の各種資料の作成なども行つていた。

六 被告人正木

被告人正木は昭和二三年三月工業専門学校土木科を卒業後同年四月大阪市技手となつて交通局技術部計画課に所属し、その後臨時運輸事業企画室の勤務を経て、昭和二七年一〇月大阪市技術吏員となり、同技術部高速建設課、同部工務課、同管理部調度課検収係等に勤務するとともに、その間昭和二七年ころ及び昭和三一年八月から昭和三三年四月までの間右高速建設課工事係で地下鉄一号線あるいは地下鉄三号線各延長工事の監督員をするなどしたが、昭和三五年五月高速鉄道建設部第三建設事務所に移つて地下鉄四号線七工区工事の主任監督員をし、さらに昭和三七年三月高速鉄道建設部(後に昭和四〇年二月高速鉄道建設本部建設部となる。)第二建設事務所に配置換えとなつてからは、主任、主査または係長として、四号線七工区、一号線二工区、同三工区、三号線八工区、二号線六工区、同八工区、同一〇工区、同七工区、同九工区、六号線二二工区、同一五工区、同一六工区、同一七工区、同一一工区、同二〇工区、同二一工区、同一二工区の各工事に従事した後、昭和四四年九月三〇日から二建第一係長として二号線延長工事(三、四、五工区)の施工を指揮監督する業務に従事していたものである。

同被告人は、昭和四四年七月ころ交通局長から二号線延長工事の計画について説明を受け、同年八月ころ交通局土木課が開催した埋設物企業者や入札指名業者に対する説明会にも出席したりしていたが、落札業者が決まつて二建が右工事の一ないし五工区を担当することになり、また第一係の担当は三ないし五工区と決定した段階で、右各工区について主任監督員及び係員の人員配置を決めて二建所長の同意を得たうえ、さらに同年九月初めころには、各工区の工事請負業者の作業所長、工事主任、企画主任クラスを集めて、工種、工期、工法、費用の分担等や仕様書の内容等についての説明を行うなどしていた。

着工後における同被告人の日常の業務は、大別すると(イ)工事計画、(ロ)工程管理、(ハ)監督業務であつたが、(イ)は各工種ごとに使用機械、資材、施工方法、工程等について二建の考え方を予め業者に周知徹底し、それらを承認願の形で二建所長の決裁を得るように計画を立てさせるもので、これに基づいて提出される各種承認願は係員、主任、係長、所長が順次審査検討していた。またこれに関連し、埋設物会議にも自ら出席して埋設物企業者との間の協議を主宰していた。(ロ)は毎月二五日に、その月に消化した工事出来高表、翌月に実施する予定工程表等を業者に提出させて工程通りに施工されているかを検討するものであり、この一環として開催される工程会議にも毎月出席して工程の調整、是正措置の指導等にあたつていた。(ハ)は工事が契約内容のほか工程表や承認書、承認施工図に示されたとおりに正確かつ安全に施工されるよう業者及び部下監督員を指揮監督するというものであつて、担当区である三、四、五工区の工事現場へは原則として週一回巡視をし、工程消化状況、構内の整備整とん状況、危険個所等を見て回つていた。

なお、交通局建設事務所事務分掌規程では、各係は担当工事区内の高速鉄道建設改良工事の施行に関する事務等を分掌し、係長は上司の命を受け、所管の事務を処理し、所属員を指揮監督すると定められている。

七 被告人矢萩

被告人矢萩は昭和三四年三月公立工業高等学校土木科を卒業するとともに同年四月大阪市技術員として交通局に入り、同年六月高速鉄道建設部工事課工事係(同年七月高速鉄道建設部工事課第一建設事務所と改称される)に配属され、その後第三建設事務所、第一建設事務所と勤務を変わり、昭和三八年四月技術吏員に任命され、さらに昭和三九年三月第二建設事務所に移つて昭和四二年四月から第一係勤務となつていたもので、この間は昭和三四年六月以降引き続き監督員(昭和四二年四月からは主任監督員)として一号線長居停留場工事、四号線弁天町停留場工事、四号線一四工区、二号線一〇工区、五号線八工区、六号線一五工区、同二二工区の各工事に従事した後、昭和四四年八月から本件四工区工事の主任監督員として鉄建建設による同工事の施工を指揮監督する業務に従事していたものである。

同被告人は、第一係長である被告人正木のもとで本件四工区の工区主任として、鉄建建設から提出される施工計画等に関する各種承認願等の審査検討をし、その結果必要に応じて是正措置を講じさせるなどし、また四工区工事現場には原則として一日一回三〇分ないし一時間の巡視を行つて、工事の施工が契約内容のほか承認書や施工図に示されたとおり正確かつ安全に行なわれるよう業者及び部下監督員を指揮監督していたほか、工程会議や埋設物会議にも出席して工事進行上の問題、支障埋設物の移設問題等について意見を述べ、調整を行つたりするなどしていた。

なお交通局の高速鉄道建設工事主任監督員設置に関する規程では、主任監督員は高速鉄道建設本部の所管する建設工事の各工区ごとに置かれるもので、その主管事務は、「契約書その他関係書類にもとづき土木工事に関して①工事の施行に立ち会い、監督し、また請負人に必要な指示を与え、②工事施行に必要な細部設計図もしくは原寸図等を作成し、または請負人の作成した細部設計図もしくは原寸図等を審査すること、③工事用資材及び工作物の検査または試験を行うこと、④支給材料の使用及び工事の出来高を確認し、必要な報告を行うこと、⑤工事施行にともなう障害物の処理または沿道工作物に対する損害の予防に関して、その軽易なものまたは緊急を要するものについて必要な措置を行うこと」であるとされ、右主管事務につき、上司の命を受けてこれを処理し、所属職員を指揮監督することがその任務であると定められている。

八 被告人岡本

被告人岡本は昭和三九年三月公立工業高等学校土木科を卒業して同年四月大阪市交通局技術員に採用され、同年六月交通局高速鉄道建設本部建設部第二建設事務所の配属になつて、昭和四三年四月には技術吏員となつたが、地下鉄工事については、昭和三九年四月から昭和四〇年一〇月まで二号線八工区、昭和四〇年一〇月から昭和四四年三月まで五号線八工区、昭和四四年三月以降六号線一五工区の各工事で監督員をした後、昭和四四年九月から本件四工区における監督員として鉄建建設による同工事の施工を指揮監督する業務に従事していたものである。

同被告人は、第一係長である被告人正木、工区主任である被告人矢萩のもとで、鉄建建設から提出される施工計画承認願等の書類の審査、検討を行い、交通局内部での打合わせに参加し、また原則として日に一回工事現場の巡視を行い、工事の施工が契約内容のほか承認書や施工図面に従つて正確かつ安全に行なわれるよう業者の指揮監督に当つていたほか、埋設物企業者、警察、土木局等との間の対外的接渉にも出向くことがあつた。

なお交通局が定めた土木工事監督要網(ママ)では、「監督員は地方公務員法、地方公営企業法、交通局職員の服務規定、その他関係法に従い、上司の命を受け当局工事請負契約書、工事仕様書、明細書および図面に定められた事項の範囲内において適切な監督を行うこと。」と定められているが、本件工事の請負契約書及び地下工事標準仕様書で明らかにされている監督員の権限と責務はすでに第五(別紙五)及び第六の三で検討したとおりである。

九 まとめ

以上を要するに、被告人溝手(所長、現場代理人)、同藤井(工事主任、主任技術者)、同三上(現場監督)、同高橋(同)及び同田中(工務主任、企画主任)は、鉄建建設天六作業所所属の従業員として本件四工区の地下鉄建設工事の施工あるいはその仮設工事の企画、設計の業務に従事し、その業務の一環として、右施工にともなう公衆災害の発生を防止し、公共の安全を確保しなければならない職責を有していたものであり、被告人正木(工区担当係長)、同矢萩(工区主任監督員)及び同岡本(監督員)は、右地下鉄建設工事の施行を管理する交通局(二建)所属の職員として、右工事の具体的な施工を監督管理する業務に従事し、その業務の一環として、右監督権を適正に行使することにより、右施工にともなう公衆災害の発生を防止し、公共の安全を確保しなければならない職責を有したものである。またこれらの被告人は、いずれも数年以上の地下鉄建設工事従事の経験を持ち、地下鉄建設工事の技術上の専門家として右各自の業務に従事していたものである。

その二〔予見可能性〕

はじめに

過失犯が成立するためには構成要件的結果及び当該結果の発生に至る因果関係の基本的部分につき予見可能性が要求されるが、本件のような地下鉄工事現場において、口径三〇〇ミリメートルもある中圧管が継手部で抜出したりすれば、その後どのような経過をたどるかは別として、継手部から噴出する多量のガスが工事中の掘削坑内に充満したり、あるいは路上に流出したりして、また最後には燃焼爆発に至るなどして多数の人に死傷の結果を招来する危険性のあることが明らかであるから、結局本件事犯における予見可能性の問題は、本件継手の締結力に欠陥があり、あるいは欠陥を生じて継手が抜け出す事実の予見可能性の問題に帰着するものである。

この場合、本件のような中圧ガス導管の敷設配管状態のもとにおいて本件継手部には抜止め防護の施工が工法上要求されるとの点につき認識ないし認識可能性があれば、それだけで右予見可能性が裏付けられるのであって、継手の締結力に現に欠陥がありあるいは欠陥が生じることやその原因について具体的な認識ないし認識可能性のあることはかならずしも必要でない。なぜなら、ガス導管継手部に対する抜止め防護の目的、性格はすでに第四の一で述べたとおりであつて、継手に欠陥があることなどは外観上これを知ることができず、欠陥をもたらす原因も詳らかではないが、ただ配管構造上の抜出し可能性に着目し、曲管部の継手がとにかくなんらかの原因でガス内圧に坑し切れない程度に低下しておりあるいは将来低下するかもしれないことに備え、また現実に抜出しに至る危険性は少ないとしても、万一抜出しに至れば重大事であるとの配慮のもとに、予防措置(危険防止措置)の一種として抜止め防護は施工されているのであつて、その施工が要求されること自体継手が抜け出す可能性を前提とするものであるからである。

しかし本件においては、二で検討するとおり、本件継手が抜出すに至つた具体的因果の面でも被告人らに認識ないしその可能性が認められるとともに、本件継手に抜止め防護の措置が工法上必要であることについても被告人らに認識ないしその可能性が認められるので、いずれの点からしても(さらには両者を総合することにより)、本件継手が抜け出した事実ひいては人身事故の発生につき各被告人に予見可能性のあつたことが明らかである。ただし、右の諸点の検討に入る前に、その前提として、本件工事の施工に関する被告人の個別的知見等を一で検討することとする。

一被告人ら各自の個別事情

被告人ら各自の過去における地下鉄建設工事従事の経験及び本件工事に際しての業務については「その一」で述べたとおりである。ここでは、その間に被告人らが得た知識、経験等(二でまとめて触れるものを除く。)、及び、本件工事に従事した際の三〇〇ミリ中圧ガス導管横断部付近の配管状況等とその懸吊掘削作業の進捗状況に対する被告人らの知見等を各被告人ごとに見ていくことにするが、被告人らはいずれも、本件工区内の口径三〇〇ミリ中圧ガス導管の水取器に本件継手があること及び同水取器から横断部にかけての配管状況並びに四月初めころからの付近掘削作業の進行状況等を十分に認識し、あるいは業務上当然に認識すべきであつたものである。

(一) 被告人溝手について

被告人溝手は、一日一回程度の現場巡視や部下の現場監督らからの報告等によつて作業状況を把握していたが、横断部付近の配管状況については、まず埋設物図面によつて曲折部の存在を知り、その後、試掘結果の報告によつてもそのことを確認し、また横断部で埋設深度が非常に浅くなつていることやそのため覆工を嵩上げして行なわざるをえなかつたことなども、それぞれ試掘時及び覆工時に被告人藤井らからの報告を受けるなどしてよく知つていた。とくに四月七日の中間出来高検査時には、交通局の検査官らとともに本件工事現場を見て回つたが、その当時横断部付近は、中圧管及び低圧管の水取器がすでに露出し、それらの西方約一メートル付近まで既に管下の土砂が掘削、除去されており、かつ横断部の中央付近から南側の管下の土砂も掘削除去されていたところ、水取器、横断部、南角なども見て回つていたのであるから、まもなく横断部北角部分も掘り出されて宙吊りとなることなどを認識することができたものである。この間四月四日には大阪ガスからの抜止め条件の内容を了知しているから、その時点で調べることによつても、抜止めの必要な箇所やその施工すべき時期に関する情報を容易に知ることができたものである。なお同被告人は、四工区工事に着手した直後の昭和四四年一一月ころ、被告人正木から市街地土木工事公衆災害防止対策要綱の抜粋を読んでおくように言われて受け取り、一通り目を通したようなこともあつた。

(二) 被告人藤井について

被告人藤井は工事主任(主任技術者)として本件四工区工事に従事していたものであり、試掘、覆工、掘削等の工事の各段階を通じ、作業上の指示、監督を行ない、また作業予定を立案するためにも作業の進捗状況を確実に把握する必要があつたことから、毎日一回は現場を巡視するとともに、部下の現場監督員から報告を受けるなどして作業状況の把握につとめていた。本件横断部付近の配管状況に関しては、着工時に交付された埋設物平面図やその後行なわれた試掘の結果によつて曲折部が存在することを知り、さらに昭和四四年一〇月中旬ころ横断部の試掘結果の報告を受けたことにより、横断部に立上がり部分があつて埋設深度が非常に浅くなつていることも知るようになつた。なお、右横断部等の埋設深度が浅いためそれらの部分の移設交渉を二建を通じ大阪ガスと進めていた際、大阪ガスの社員から三〇〇ミリ管が中圧、五〇〇ミリ管が低圧であることを知らされていた。そして、一月二五日の夜、横断部の三〇〇ミリ中圧管と五〇〇ミリ低圧管の間に打ち込まれた中間支柱に桁受用のチャンネルが取り付けられた際には、巡視をしていて通りかかり、ガス管横断部に防護工が設置されていることを知るとともに、横断部の埋設深度が浅いことを確認した。また横断部付近の掘削、懸吊の進行状況についても、四月二日の打ち合わせ会では同日夜から三〇〇ミリ中圧管の南角の懸吊を行うように指示し、四月四日の打ち合わせ会では五〇〇ミリ低圧管の南角及び三〇〇ミリ中圧管の南角から西側を、四月五日の打ち合わせ会では三〇〇ミリ中圧管五〇〇ミリ低圧管とも水取器の東側六メートル付近から水取器のすぐ西側までを、四月六日の打ち合わせ会では三〇〇ミリ中圧管横断部を、四月七日の打ち合わせ会では同日夜に五〇〇ミリ低圧管横断部を、八日昼に三〇〇ミリ中圧管、五〇〇ミリ低圧管の北曲り角付近をそれぞれ懸吊するように指示し、これらの指示に従つてそれぞれ当日夜間及び翌日昼間の懸吊、掘削作業が進められており、その進捗状況を知悉していたものである。なお、四月四日に現場で三〇〇ミリ中圧管横断部南角の北側と西側にジョイントがあることを確認し、四月六日には水取器とその両側にあるジョイントを確認したが、それらのジョイントが鉛コーキングをして押輪を付けたものであることの認識もあつた。また四月七日には、中間出来高検査の現場巡視の際、交通局の係官らとともに、横断部付近の状況を見て回つていた。このように被告人藤井は、本件横断部付近の配管状況やその付近の懸吊、掘削作業の進行状況について十分これを確認できていた。

同被告人は、地下鉄工事に携わるようになつた当初のころ、「地下鉄道施工法」を読んで、一般にガス管曲管部には抜止め措置を護じたりすることを知識として持つようになつていた。

(三) 被告人三上について

被告人三上は、毎日現場構内に入つて作業状況の監督に当り、工事の進捗状況は十分これを把握していた。横断部付近の配管状況については、昭和四四年一〇月中旬ころ横断部の試掘がなされた際、その位置、埋設深度等についての報告を西端から受け、横断部の深度が非常に浅いことを知り、また昭和四五年二月七日夜、横断部の三〇〇ミリ、五〇〇ミリ両管の間に打ち込まれた中間支柱等の桁受用チャンネルに補強用チャンネルの取付がなされた際には、その作業の監督に従事し、横断部に防護工が設置されていたことを知るとともに、スタッフ(箱尺)を使つて埋設深度を測定、確認したりしていた。ガス導管横断部付近の懸吊作業が行われるようになつていた四月三日ころ以降は中間出来高検査の準備や資材調達の仕事に主として従事し、構内現場における作業の直接の指揮、監督にはあまり従事しなくなつたが、同被告人は、四月一日には被告人藤井からの相談を受けて翌日から横断部南角付近の懸吊を先行させることに協議決定し、同日夕方の打ち合せ会では同被告人とともにその旨を下請業者の世話役に指示し、四月二日以降も、同月七日までの間毎日夕方の打ち合せ会には欠かさず出席して、右世話役らに対し、当日夜間及び翌日昼間の懸吊場所を同被告人らとともに逐一指示したりするほか、横断部の懸吊などについては現場の状況に応じた作業方法を教えるなどし、また四月三日を除いて毎日一回は構内に入り、この間四月六日には被告人高橋から水取器が露出された旨を聞き、構内に入つて自らその懸吊状態を確めるなどしていた。なお、ガス管の継手の構造に関しては、工事経験上の知識として、雄管と雌管を重ね合わせて鉛コーキングをしてあるものや、それに押輪をつけてボルト締めしてあるものがあるということを知つていた。このように被告人三上は、横断部付近の配管状況やその懸吊、掘削の進行状況について十分把握し、継手の構造についてもある程度の知識を有していたものである。

(四) 被告人高橋について

被告人高橋は、昭和四五年四月一日から本件四工区に来て、毎日昼間に一日五、六回、一回につき三〇分ないし一時間程度構内に入つて作業の指揮、監督に当つていたが、四月二日ごろ三〇〇ミリ中圧管南角付近で作業員が防護工をはつているのを見ており、交通荷重を緩和するため防護工が設置されていたことも知つていたものであり、三、四日のうちには横断部付近の配管状況、とくに横断部で埋設深度が非常に浅くなつていることなどを知るようになつた。同被告人はほとんど現場における作業の監督にだけ従事していたもので、懸吊掘削作業の進行状況については十分把握していたものと考えられ、四月六日に作業員から五〇〇ミリ管の水取器の懸吊方法について尋ねられたときには、継手の内側で水取器自体を懸吊するように指示をし、また四月八日に横断部北角付近の懸吊に先立つてその付近のガス管の管下の土砂が一時にすかし取られた際も、現場にいてその状況を認識していたものと認められる。

(五) 被告人田中について

被告人田中は、工事の進捗状況については、仮設工事の立案、設計や中間出来高検査、工程会議・埋設物会議等の関係の提出資料作成などのために、現場監督の作成する引継書を見たり、被告人藤井から聞いたり、現場に入つて進み具合を見たりするなどしてその把握につとめていた。また横断部の存在は、試掘計画承認願を作成する際に二建から交付された埋設物平面図を見て知り、さらに横断部の土被りが浅いことについても、横断部の試掘結果を被告人藤井らから聞かされたり、二建との間で右横断部等土被りの浅い部分についての移設交渉を行うのに関与したりすることによつてよくわかつていた。被告人田中が現場構内に入つたのは、工事期間中を通じて四、五回程度であり、本件事故直前ころも三月下旬と四月七日に入つているに過ぎないのであるが、四月七日には、中間出来高検査のために交通局の係官に同行して横断部付近を見て回つており、水取器付近と南角の付近は懸吊が終わつてガス管の下の土砂が取り去られていること、水取器が北角から三メートルくらいの位置にあること(水取器が存在することは、試掘のころ、大阪ガスの係員が水抜きパイプをとりはずしてきたことを田口から聞き、そのときから知つていた。)水取器の西側と南角付近にジョイントがあることなど横断部付近の状況について認識するに至つていた。なお三〇〇ミリガス管が中圧管で、五〇〇ミリガス管が低圧管であることは、工区の西方にある天六交差点で六号線一五工区の工事に関与していた際に三〇〇ミリ管と五〇〇ミリ管とがあり、それぞれ中圧管、低圧管であることを知つていて、二号線四工区の三〇〇ミリ管、五〇〇ミリ管もその続きの管であることが予測できていたのであり、水取器西側の継手が鉛コーキングの方法で接合されていて、継手の押輪が管に固定されたものでないことも知つていた(六号線一五工区でガス漏れがあつたときに、ガス会社の係員が継手のかしめ直しをしたうえ押輪をかけているのを見たことがあり、四工区でも四月四日のガス漏れに際しかしめ直しをして押輪をかけた旨の報告を受けていた。)。また三〇〇ミリ中圧管の横断部が溶接された鋼管でできていることもすでに知つていたが、四月四日には大阪ガスからの抜止め条件の内容を了知しているから、その時点で調べることによつても、抜止めの必要な箇所やその施工すべき時期に関する情報を容易に知ることができたものである。

(六) 被告人正木について

被告人正木は、試掘、杭打の段階では一週間か一〇日くらいに一回、覆工の段階では一週間に一回、懸吊、掘削の段階に入つてからは一週間に一、二回程度現場巡視を行ない、その際は、担当の二号線三、四、五工区、六号線一五工区を一度に見て回る関係で、各工区を一〇分ないし一五分ずつ見て回り、また工事監督日誌に目を通すまでの余裕はなかつたが、係員からは適宜口頭の報告を受けるなどし、さらに工程会議に出席したり、鉄建建設の提出書類を検討することなどによつて工事進捗状況作業状況等の把握に努めていた。本件横断部の存在については、昭和四四年一〇月二二日に開催された第一回埋設物会議の際に埋設物図面や試掘結果報告書を見せられて認識するようになつたが、昭和四五年四月三日現場巡視のため横断部付近を見て回つたときに、三〇〇ミリ管南角の懸吊がすでに済んでいてその管下の土砂も除去され、中間支柱杭のあたりでは土砂の傾斜が急な状態になつているのを見ており(そのため降雨による法面の崩壊を心配して、翌日の工程会議で被告人溝手らに対し懸吊を急いで傾斜をならすように指示した。)、また、ガス管が他の埋設物を上越しして立上つているのを見て土被りの浅かつたことを知つた。同月七日には、中間出来高検査のため検査官らに同行して四工区工事現場の構内に入り、横断部付近の状況も見て回つたが、その際、五〇〇ミリ管の水取器の懸吊状態を確認し、その後ろに三〇〇ミリ管の水取器もあることを知るとともに、三〇〇ミリ管については北角付近のみに土砂が残つている状態であることを認識した(なお、このときも掘削法面が急傾斜になつているのを見て、管下の土が流出して管が宙吊りになると危険であるとの判断から被告人溝手らに懸吊を急ぐように指示した。)。なお、三〇〇ミリ管が中圧管であることは、同管が六号線一五工区からの続きの管であることから知つていたものであり、また継手の構造については、印籠型、ガス型(名称はともかく押輪つきのものであること)の二種類があり、鉛コーキングされていること、押輪が雄管と緊結されていない構造であることなどの認識を当時から有していた。

同被告人は、昭和四〇年ころ二号線東梅田―空心町間の地下鉄建設工事に従事していた当時、市街地土木工事公衆災害防止対策要綱についてのパンフレット、解説書(建設省計画局建設業課編の「公衆災害防止の手びき」)を請負業者から譲り受けて二〇〇部ほど印刷し、業者や二建職員に配布したことがあり、今回の二号線延長工事に際しても、各工区を担当する業者に対し右対策要綱についての説明会を持つなどしていた。また、交通局と大阪ガス間の計画策定の立案作業にも関与し、昭和四四年九月ころには部下係員らを集めてその説明会を行い、さらにガス導管防護対策会議報告書についても昭和四五年四月六、七日ころまでにはこれを閲覧しているなど、同被告人はガス導管の防護対策の重要性については十分認識していたものと認められる。しかも同被告人は、昭和四一年ころ鉄建建設が請負施工していた五号線一一工区玉川町停留場及び地下線路工事の工事現場において六〇〇ミリガス導管が抜出した事故(別紙四の番号7)の際、直接同工区を担当していたわけではなかつたが、参考のために現場を見分に行き、右ガス管が抜け跡の確認できる程度に抜けかけていて、ワイヤロープで抜けないように仮防護されているのを見たことがあつたほか、自ら監督業務に従事していた三号線八工区(別紙四の番号1)、二号線六工区(同番号5)、二号線一〇工区(同番号6)の各工事現場で抜止めが施工された経験を有しており、一般にガス導管の曲管部には抜止め措置を講ずる必要があるという認識を持つていたものである。もつとも口径の小さいもの、曲り角度のゆるいものでガス会社も抜止めを指摘しないものにはその必要がないであろうと考えていた。

(七) 被告人矢萩について

被告人矢萩は、本件四工区の工区主任であつたので、原則として毎日一回は工事現場の巡視をし、さらに他の監督員の報告を受けたり、工事監督日誌等を閲覧したりするほか、鉄建の現場監督とも作業の各段階で連携を取り合つて工事の進捗状況、作業状況等を十分に把握していたものである。本件横断部付近の配管状況については、工事に着手した当初埋設物平面図によつて横断部の存在を知り、そこに立上り部分があつて埋設深度が非常に浅くなつていることについても、昭和四五年一月ころ被告人藤井らと当該部分の移設の可否を検討し、嵩上げを決めるまでの過程で十分認識するようになつていた。また同年二月一二日には、前夜五〇〇ミリ管横断部の防護工が覆工作業の障害になるためその一部がはつり取られたことを部下監督員橋本の報告により知らされていた。四月二日午後一時ころから現場巡視をした際は、三〇〇ミリ管、五〇〇ミリ管とも水取器の東約一〇メートルの付近までの懸吊が終わつていたが、掘削が進み過ぎているように感じたので、被告人三上らに埋設物の懸吊を先行するように指示した。同月六日に横断部付近を見て回つたときには、五〇〇ミリ管の水取器の懸吊作業が行われていたが、水取器の両側は二〇ないし三〇センチメートルほど掘られ、水取器そのものは半分くらい露出しており、また横断部南角付近は三〇〇ミリ管、五〇〇ミリ管とも既に懸吊ずみでガス管が露出していた。同月七日は、中間出来高検査のため、検査官らとともに横断部付近も見て回つたが、三〇〇ミリ管、五〇〇ミリ管とも水取器の下の土砂はとられ、横断部も南角から北へ三メートルくらいにわたつて管下の土砂が除去されていて、北角付近だけに土砂が残つているのを知つた(このときも土砂くずれを心配して懸吊を急ぐように指示した。)。三〇〇ミリ管横断部南角付近に継手が二か所あり、水取器の両側にも継手があつて押輪がしてあることなども、このときまでに気がついていた。なお、三〇〇ミリ管が中圧管で、五〇〇管が低圧管であるということは、それらの管が六号線一五工区からの続きの管であり、被告人矢萩も同工区を担当していたので、よくわかつており、同被告人は中圧管の内圧は一トン程度であると聞いていた。また継手の構造、種類等についてもおおよそ理解していた。

同被告人は、昭和四四年九月ころ被告人正木から計画策定の内容について説明を受け、要するに交通局と埋設物企業体とは事故発生防止のために相互に協力すべきであり、ガス管についていえば、工事の各段階で大阪ガスと協議をし、その立会を求めるべきことなどが協定されたものであることくらいには認識していた。また対策要綱についてのパンフレットも被告人正木から受け取つていた。

被告人矢萩は、昭和四五年三月初旬鉄建建設からガス管懸吊計画承認願が最初に提出されてきたとき、それを検討していて、すでに提出されていた水道管懸吊計画承認願に上水道(φ39吋)水平ベント部補強図が添付されていたことを思い出し、右ガス管の懸吊計画承認願には曲管部の防護方法の図面がなかつたことから、被告人岡本に対し、ガス管曲管部に対する補強措置の要否を鉄建建設に検討させるよう指示したことがあつた(被告人岡本が被告人田中に補強の要否について相談したところ、必要ないとの返答を受け、そのままになつていた。)。四月四日には、大阪ガスから抜止め条件を付した承認書が回付されたことを被告人岡本の報告で知り、その条件の内容も了知したが、その際同被告人との間で、抜止め措置は三〇〇ミリ中圧管にしか必要でないものなのかどうかということを話し合い、また四工区には丁字部がないことなどを確認し合い、さらに同被告人に指示してこの条件を鉄建建設天六作業所に通知させた。

(八) 被告人岡本について

被告人岡本は、原則として毎日一回(一一日に一回の徹夜勤務の際は一晩に三回程度)工事現場の巡視をし、また工事監督日誌等を閲覧したりして工事の進捗状況、作業状況等を把握していたものである。横断部が存在することは、土木課から送付された埋設物平面図を見て、すでに着工前から知つていたが、昭和四五年二月一〇日徹夜勤務につき、午後一一時三〇分ころ現場巡視のため四工区の現場に行つた際、おりから横断部以西の覆工作業が行われており、五〇〇ミリ管横断部の南寄りでガス管が土から半分くらい露出した状態を見て、土被りが非常に浅いことに気づき、覆工板がうまく載るかどうかが気にかかつた。そのとき、ガス管の両側に溝のようなレンガ積みがあるのも目についたが、それが防護工であるとは気づかなかつた。四月二日午前九時三〇分ころから現場を巡視した際には、三〇〇ミリ管、五〇〇ミリ管とも水取器から東ヘ一〇メートルくらいのところ以東が懸吊を終了した状態にあり、同月六日午後四時ころから構内に入つたときには、三〇〇ミリ管及び五〇〇ミリ管の各水取器と横断部西側の懸吊がすでに完了してそれぞれ管下の土砂がとられており、五〇〇ミリ管については水取器そのものに懸吊がしてあつたが、三〇〇ミリ管については水取器そのものに懸吊はされておらず、継手の外側で懸吊されていたこと、三〇〇ミリ管については南角付近に二か所、水取器の西側に一か所継手があること、横断部が立ち上がりとなつていることなどがわかつた。同月七日は中間出来高検査のため午後三時三〇分ころから検査官らに同行して横断部付近も見て回つたが、三〇〇ミリ管については、北角の土砂を一部残すだけになつており、横断部は六か所の懸吊がなされていて、南角から北へ三メートルくらいまで管が露出し、水取器の西側では一か所懸吊された状態にあることがわかつた。同日夜徹夜勤務について午後一一時ころ巡視した際の状況も横断部付近は昼間の状況とあまり変わりがなかつたが、五〇〇ミリ管横断部の北寄り付近で懸吊作業が行われているのを見た。なお、ガス導管の内圧については、どの程度の圧力があるかということまではともかくとして、高圧・中圧・低圧の区別があること、また継手の構造については鉛コーキングされたものがあることなどを認識していた。

同被告人は、三月初旬に鉄建建設からガス管懸吊計画承認願が最初に提出されてその検討をしていたとき、ガス管曲管部の防護図が添付されていないことに気づき、防護の必要があるのではないかと考えていたところ、被告人矢萩からも曲管部のところに何もしなくてもよいのか聞いておくように指示されたので、右ガス管懸吊計画承認願について阪急前のガス管を移設後のものに書き換えることなどの訂正方を指示するため鉄建建設天六作業所に赴いた際、被告人田中に対し、ガス管曲管部の補強の要否について尋ねたが、以前にもガス管曲管部は補強せずに施工しているから大丈夫であるという返答を受けたことから、その旨を被告人矢萩に報告しておいたことがあつた。さらに四月四日午前一一時ころ被告人岡本は、水道管破裂事故の復旧作業の現場で、大阪ガス技能員の栗川末雄からガス管懸吊計画の承認書類を手渡され、持ち帰つて確認したところ、抜止め条件が付されていることに気づき、抜止めという言葉自体はそれまで使つたことはなかつたものの、水道管の曲管部防護のことも考え合わせて、ガス管曲管部にも継手が抜出さないようにするため水導管の場合と同様の補強措置を講ずべきことが指示されてきたものであることを理解した。そして同被告人は、被告人矢萩との間で、抜止め措置は三〇〇ミリ中圧管にしか必要でないものなのかどうかということを話し合い、また四工区には丁字部がないことなどを確認し合い、さらに同被告人の指示のもとに、午後二時ころ作業予定表を届けにきた鉄建建設企画係員の上中に対し、右抜止め条件を書き写させ、持ち帰つて被告人田中に見せるように指示した。

二被告人ら全員またはその一部に共通する事情

(一) 本件継手の抜出しに至る具体的因果についての認識ないしその可能性

本件継手が抜出しに至つた因果の系列をたどれば、すでに検討したところからも明らかなように、①本件継手が主として鉛の摩擦力によつて締結が保持されているもので、その締結力に欠陥がありあるいは欠陥を生じれば、差込まれている管が承け口から抜出し得る構造のものであつたこと、②ガス導管にはガスの内圧があり、これが継手に抜出し力として作用するが、本件は中圧管で右内圧がある程度高かつたこと、③本件継手には第三の一で述べたような意味での初期性能の欠陥があつたかもしれないこと、④横断部の埋設深度がきわめて浅く、交通荷量による影響を受けやすかつたこと、⑤長年にわたる右交通荷量による沈下、振動が、横断部からその北曲り角(兼立上り部)を経て一本の鋼管になつている本件ガス導管の第一継手である本件継手の締結力に悪影響を及ぼし、これを劣化させたこと、⑥本件地下鉄建設工事着工後も横断部付近の覆工完了に至るまで、試掘、中間杭打設、覆工に際してのチャンネル及び補強チャンネル取付等のため同所付近の掘削、埋戻しをくり返し、かつこの間防護工も撤去しており、これらの施工が交通荷量による劣化の程度をより大きくしたかもしれないこと、⑦四月六日昼の作業で、本件水取器の前後を懸吊した後、引続き同所付近のガス導管管下等の土砂をブル作業で掘削しており、その際にブルのバケット等が管に接触し、あるいは右掘削にともなう土砂の崩落により管に振動を与え、本件継手の締結力に悪影響を及ぼし、これを劣化させたかもしれないこと、⑧右③ないし⑦のため(このうちの④⑤のためあるいはこれにその余の一なしい数個が競合した結果)、四月八日午前中に最後に残されていた北角を露出宙吊りにさせた時点で、本件継手の締結力がガス内圧に耐えられないほどの欠陥を持つていたこと、⑨本件継手以西のガス導管が二個の直角の曲り角(兼立上り部)を持つ特殊の配管状況になつており、横断部及びその前後を含む坑内のガス導管の全体を宙吊りにしたりすれば、横断部及びその前後の管は配管構造上前後左右にきわめて動きやすいこと、⑩右⑧及び⑨のためついに本件継手が抜出しを始め、大量のガス噴出を見るに至つたことの諸要素を指摘することができる。

右諸要素のうち③の初期性能の欠陥の点を別とすれば、その余の諸点はいずれも、すでに数年以上の地下鉄建設工事従事の経験を持ち、地下鉄建設工事の技術上の専門家として前記のごとき業務に従事していた各被告人にとり、現に認識し、あるいは認識することが可能であり認識すべきものであつたと考えることができる。(二)で述べる抜止め施工の必要性の認識ないしその可能性もまた右の点をさらに補強するものといわなければならない。

(二) 工法上本件継手に抜止め施工が必要であることの認識ないしその可能性

本件継手には抜止め防護の措置を施工することが必要であり、これを施工しないままに掘削を進めることが工法上の過誤にあたる理由は第四で検討したとおりである。すなわち、すでに昭和三六年に発行された地下鉄道施工法の指導書でガス導管曲管部等の異形管継手には抜止めを施工すべきことが説かれ、全国的視野でみても少なくとも東京地区ではその施工が一般化される態勢が樹立され、ガス導管防護対策会議も右施工がガス導管防護の全国的な実情である旨報告して啓発し、大阪市交通局発注の地下鉄建設工事においても、従前から大阪ガスの担当係員による現地における個々の指導要請により数多くの抜止めが施工されてきており、なかには施工業者が大阪ガスからの指導要請をまつまでもなく自発的に施工する実例もみられるなど、ガス導管曲管部の継手に対する抜止め防護措置は工法として普及していた。地下鉄建設工事における埋設ガス導管(ことにその曲管部継手)防護に関する客観情況が以上のようなものであつたうえ、本件工区内の中圧ガス導管はその横断部及びその前後において二度にわたり直角に曲折し(しかも同時に立上り)、かつ横断部の埋設深度がきわめて浅いという複雑特殊な配管状況を示しており、右曲折部から近い第一継手である本体継手が、交通荷量の影響を受けやすいものであること及び配管構造上抜出しの可能性がきわめて高いことは容易に理解することができ、たとえこのうち埋設深度が浅く交通荷量の影響を受けやすいという点を除いたとしても、本件継手は他の抜止め施工例の大部分に比しなによりもいつそう強くその施工が要求されるものであつたのである。

右のような客観情況の中で、いずれも地下鉄建設工事の技術上の専門家である被告人らが本件工区の地下鉄建設工事の施工にたずさわり、前記のごとき業務に従事する以上、右のごとき本件継手に工法として抜止め施工が要求されることは当然認識することができたし、また認識すべきであつたといわなければならない。(一)で述べた本件継手の抜出しに至る具体的因果の系列のなかの諸要素(③を除く)に対する認識ないしその可能性、ことに④、⑤の点、及び、⑦で触れたように、本件水取器の前後を懸吊した後においてその付近の土砂をブルで掘削するという作業条件の存在した事実などは、右の点をさらに補強するものである。

ことに被告人溝手、同藤井、同田中、同矢萩及び同岡本の五名は、第六の四で述べたとおり、二建が大阪ガスに対して工区内ガス導管の露出にともなう防護方法について協議を求めたのに対し、大阪ガスが中圧管ベンドに抜止め施工をすることを要請した事実を、その旨の条件付承認文書またはその写しを見て四月四日中に知るに至つていたものである。このうち溝手及び藤井の両名は右事実を知らなかつたと公判で争つているが、別紙六で詳しく検討するとおり、同日上中が二建から天六作業所に持ち帰つた右条件付承認文書の写しを、被告人田中が被告人藤井、同溝手に順次見せ、被告人藤井及び同溝手が被告人田中から見せられてその内容を了知した旨の同被告人らの検察官に対する各供述調書中の供述は十分に措信できるものである。また被告人正木は、大阪ガスから右条件付承認文書が送付された事実を本件事故当時まで知らなかつたように認められるが、同被告人は、すでに第六の二及び四で述べたとおり、交通局と大阪ガスとの間の計画策定の成立に関与し、有留第二係長と相談して、以後の大阪ガスとの間のガス導管露出にともなう防護についての事前協議を文書、図面を送付して行なうことに決め、これにのつとつて被告人岡本が作成した依頼文書を自ら決裁しているのであつて、当時の被告人正木の担当係長としての地位及び職責からすれば、同被告人は、右依頼に対する回答としてなされた大阪ガスからの抜止め条件付承認文書送付の事実を、即時知ることができたしまた知らなければならなかつたといわなければならない。

これらの被告人六名は、右要請の事実を知り、あるいは知るべきであつたことからしても、大阪ガス自身が本件工区内の中圧管ベンド部の継手一般に抜出しの危険を考えていること、及び、本件継手に工法として抜止め施工が必要であることを当然理解することができたし、また理解しなければならなかつた(なお、水道管曲管部防護の実情は第四の三の冒頭で述べたとおりであり、本件四工区工事においても天六作業所から二建に提出された水道管φ39、26、9、6吋懸吊計画承認願には上水道(φ39吋)水平ベンド部補強図が添付されており、そのような実情に照らすと、たとえ同被告人らにとつて「抜止め」という言葉が言葉としては初めてであつたとしても、またガス導管曲管部継手に抜止めを施工した経験がそれまでに一度もなかつたとしても、右条件付承認文書にいう「抜止め」の文言が曲管部継手の抜出し防止のための防護措置を意味し、同文書がそれをガス導管の曲管部の継手にも施工するように要請しているものであることは、容易に理解することができたはずである。現に右文書(またはその写し)を読んだ右被告人らの反応がいずれも何をしてよいかわからないというようなものではけつしてなかつたことが明らかである。また本件継手は曲り角そのものから少し離れているが、右要請にいうベンドの継手に該当することもすでに述べたとおりたやすく理解できるところである。)。そればかりでなく、第六で検討したところからも明らかなように、被告人正木、同矢萩及び同岡本は、大阪ガスから右抜止め施工の要請があつた以上、同被告人らの業務の一環として、監督権を適正に行使することにより右抜止め施工を実現させなければならない職責を有したものというべきであり、被告人溝手、同藤井、同田中は、二建から天六作業所に右要請の事実が通知されたのであるから、その通知されたところに従い右要請どおり抜止め施工を実現させなければならない業務上の職責を有したものというべきである。このことを考えれば、これら被告人六名の抜止め不施工時の危険性の認識ないしその可能性あるいは工法として右施工が必要であることの認識ないしその可能性はきわめて強固に裏付けられるものといわなければならない。

被告人三上及び同高橋は、前記条件付承認文書(写し)を見せられておらず、したがつて、大阪ガスから具体的に抜止め施工の要請がなされている事実を知らなかつたものであるが、被告人高橋は工事主任として、同三上は現場監督として従事した鉄建建設施工の五号線一一工区の地下鉄建設工事現場において、別紙四の番号7のとおり六〇〇ミリガス導管の継手が現に若干抜け出す事故があり、応急措置(仮抜止め)後管を切り替えてからその継手部に抜止め防護が施工されたことを見聞していた。このように同被告人らは、ガス導管の継手が現実に抜け出し得るものであること及びこれに備えて抜止めが施工されるものであることを、その地下鉄建設工事従事の経験から体験的に知るに至つていたものである。

三まとめ

一及び二の(二)で検討したところによれば、被告人らは、本件継手の締結力に現に欠陥のあることやその具体的原因の存在をたとえ知らなかつたとしても、本件継手になんらかの原因で欠陥を生じており、あるいはその後の作業にともなう影響で欠陥が生じるかもしれず、そのため、最後に残された横断部北部を露出し、付近の管全体を宙吊りにさせた時点で、本件継手が抜け出すかもしれない危険性を十分に予見することができ、また予見しなければならなかつたというべきである。これに二の(一)で検討したところをも総合すれば、右抜出しの危険ひいては人身事故に対する各被告人の予見可能性はいつそう明らかである。また、昭和四四年三月の板橋ガス爆発事故以後、地下鉄建設工事施工にともなう埋設ガス導管の事故による災害の恐ろしさがあらためて認識され、その防護の重要性と必要性があらためて強調されるようになっていた当時の社会情況(その一端は第六の一の(二)、(三)及び二などで述べたとおり。)もまた右予見可能性を裏付けるものである。

弁護人らからは、①交通局関係被告人らはガスの専門家ではなく、ガス導管継手の構造、強度、内圧等に関し格別の教育、指導を受けていないこと、②ガス導管継手の強度は常に十分なものであるはずで、埋め殺しにされた廃休管を地下鉄工事現場で処理する際にもそのことを体験していること、③本件継手にはガス漏れその他締結力の欠陥を外観上認識できるような徴候がまつたくなかつたこと、④本件のごとくなんの前兆もなしに突然継手が抜け出して大量のガスが噴出するというガス導管の事故は過去まつたく前例がなく、未曽有の事態であること等の事由を根拠にして、被告人らに予見可能性がなかつたとする主張がなされている。しかし、正木をはじめ交通局関係の被告人らにおいてガスの専門家のような正確な知識は有しておらず、またそれらについて格別の教育、指導を受けたことがないことはそのとおりであつたとしても、本件のようなガス型接合の継手は、ガス導管の継手としてごぐ一般的なものであるところ、地下鉄工事にある程度の期間携わつた経験のある一般の技術者において、右継手の構造につき正確な知識まではなくとも、それが鋳鉄管の承け口に挿入管を差し込み、その間隙に器具を用いて鉛をたたき込んだうえ、その外側に押輪をあてて承け口とボルト・ナットで締めつけたものであるということ、したがつて溶接接合などの場合と違つて鉛と管とは互いに分離されうる性質のものであることくらいは、日頃軽微なガス漏れがあつた際にガス会社の係員が継手のかしめ直しをしたり、また移設工事が行われたりするのを見聞することなどを通じて認識しているのが通常であると認められるし、抜止めが施工されているという事実からしても、継手一般が抜出し可能が構造になつていることを理解することができるはずである。一で検討したとおり、現に同被告人らはガス導管継手の構造につきそれぞれある程度の知識を持つていたものである。中圧管の内圧については、ガス導管と水道管とでは内圧に大きな差があるなどと供述する者が多い(なお、水道管では内圧以外に水流によるウォーターハンマー現象が曲り角に働く。)が、右供述も中圧管にある程度の内圧があることの認識まで否定する趣旨とは解されないし、ガス導管に中圧、低圧の種別があることも地下鉄工事に携わる技術者ならたいていの者が知つており(現に同被告人らも知つていた。)、中圧管についてはガス漏れにともなう修理をする際圧力調整を行つたうえかしめ直しをすること(現に本件四工区工事でも四月四日のガス漏れでそのようにしている。)なども工事に従事する間に見聞する機会があつたと思われるうえ、現に内圧による抜出し可能性を前提とした抜止めが工法として普及していたのであるから、地下鉄工事に従事する一般の技術者にとつて、中圧管の内圧が相当程度に高いものであることについての認識ないし認識可能性は当然存したものと認めることができる。また、ガス導管の継手は普通には十分な強度を有するものであり、このような強度を保つた廃休管の継手を処理するにあたり作業上の困難をともなつても当然のことといえるが、なんらかの原因によつて締結力に欠陥を生じており、あるいは将来生じることもある(被告人三上及び同高橋が体験したように、現に欠陥を生じて継手が抜出しを始めた事例もある。)からこそ、また右欠陥の存在は外観上これを確めることができない(なお、通常のガス漏れは継手内部における鉛と導管の気密性に関係して生じるもので、右欠陥とは直接の関係がなく、欠陥があるからといつて、相当量の抜出しをみる以前に継手からガス漏れが生じるとは限らない。)から、現に徴候や前兆の有無にかかわらず、配管構造上の抜出し可能性に着目して抜止め防護を施工することが工法として普及していたのである。そうであれば、弁護人ら主張の前記諸点は、被告人の予見可能性を否定する根拠にはなり得ない。

なお、大阪ガスの立会担当技能員である栗川が、大阪ガスから二建に抜止め施工の要請があつた四月四日以後においてすら、第六の五の(二)で述べたように、現地における抜止め施工の指導、助言をなんら行わないまま放置していた事実も、被告人らの予見可能性を否定するだけの事情にはならない。なぜなら、地下鉄建設工事の起業者である交通局(二建)及び施工者である鉄建建設には右同所で述べたとおりそれぞれ独自の責務があり、被告人らは各自の業務の一環として右それぞれの責務を実現させなければならない職責を有していたといえるからである。

その三〔結果回避義務、過失等〕

被告人らは「その一」のとおりの業務に従事し、かつ「その二」のとおり、予見可能性があると同時に工法として本件継手に抜止め施工が必要であること及びその施工すべき時期を理解することができた。したがつてまた、交通局(二建)あるいは鉄建建設に第六の五で述べたごときそれぞれの責務のあることも当然理解すべきであつた。そして被告人らは、各自の業務の一環として、右それぞれの責務を現実に果さなければならない職責を有したものである。このようにこれまで検討してきたところによれば、被告人らは、四月六日の本件水取器前後の懸吊後、現場の掘削がより進行し、本件継手を含む横断部付近(ことにその北角)の中圧ガス導管の全体が露出宙吊りの状態に至るまでの間に(掘削の進行を一時中止し(させ)てでも)、本件継手に対する抜止め施工(その設計、施工の容易であることもすでに述べたとおりである。)を実現させ、その抜出しひいてはこれにともなう人身事故の発生を防止しなければならなかった(右抜止め施工の実現によつて防止し得ることもすでに述べたとおりである。)ことが明らかである。

①本件継手に管敷設当初のころから初期性能の欠陥が存した疑いもあること、②ガス導管保安維持の最終的な責任は大阪ガスにあり、その立会担当の技能員である栗川が四月四日以降においてすらすでに述べたような態度をとつていたこと、③前記計画策定において大阪ガスと交通局の業務分担が前記のとおり定められていたこと、④二建側から鉄建建設に対しては、大阪ガスから抜止め施工の要請のあつたことを通知していること、⑤しかし前記のごとき方法で通知されたにとどまり、それ以上に具体的な指示などはなんらなされていなかつたこと、⑤逆に施工業者たる鉄建建設側は、右通知を受けながら、自ら施工すべきものを施工せずに掘削を進めたこと等の諸点は、鉄建建設関係被告人及び交通局関係被告人の双方またはいずれか一方にとつて有利な事情であるけれども、各被告人それぞれの右結果回避義務を免れさせるものではないというべきである。

結局各被告人は、本件抜止めが施工されないままに掘削が進められ、最後に残された北角の土砂をも除去して付近の曲折したガス導管の全体を露出宙吊りの状態にまで至らせたことに関し、それぞれの業務に応じた過失、すなわち、鉄建建設の被告人溝手、同藤井、同三上、同高橋はこの間に右抜止めを施工しなければならないのに、これをしなかつた点において、同田中は右抜止めの施工法を企画設計してこの間にこれを施工させなければならないのに、これをしなかつた点において、交通局(二建)の被告人正木、同矢萩、同岡本はその監督権を適切に行使し、鉄建建設の右被告人らをしてこの間に右抜止めの施工を実施させなければならないのに、これをしなかつた点においてそれぞれ過失があつたものである。

その四〔検察官主張のその余の過失について〕

本件中圧ガス導管の水取器から東へ約一七メートルの間にわたり振れ止めが施工されていなかつたとの点、及び、ドーザーショベルの監視監督を怠つたとの点は、仮にそうした点に過誤があつたとしても、それらの過誤はいずれも、現実に小型ブル等の掘削機械が右ガス導管に接触し、管に動揺を与え、本件継手の締結力の劣化を促進させた事実があつてこそ初めて被告人らの過失として問題になるものである。しかるに、のちに第八でも判断するように右事実については証明がない。したがつて右の諸点は被告人らの過失として取上げる余地のないものである。

横断部付近(起訴状にいう曲管部)の右ガス導管の懸吊にあたり、狸掘りの方法によらず、懸吊(導管を露出宙吊りにさせることではなく、管に吊防護を施工することを意味する。)に先立つて管下の土砂を一時に除去したとの点は、訴訟の経過に照らせば、四月八日の午前中に最後に残された横断部北角付近の右懸吊作業を行うに際し、右懸吊を施工する前に管下の土砂を一気に除去した(その結果付近のガス導管全体が宙吊りになつた)事実を指していることが明らかであるが、右事実が本件継手の締結力に影響を及ぼしたことまでは認められない。この点は第三の三の(二)ですでに判断したとおりである。したがつて、この点もまた被告人らの過失として問題にすることはできない。

その五〔過失と受傷との間の因果関係〕

本件公訴事実中被告人らが別表二番号123番の安土利子に同記載のとおりの傷害を負わせたとの点について検討する。

加納病院医師加納繁美作成の診断書(安土利子についてのもの)によれば、同女は昭和四五年四月二四日同医師によつて心機能不全症との病名で約一か月の安静加療を要するとの診断を受けていた事実を認めることができる。しかし、同女の司法警察員に対する供述調書によれば、本件事故当日同女は事故現場の近所にある鹿島紙工所で紙工の仕事をしているときに本件爆発事故が発生したため避難し、その夜はホテルに宿泊したが、翌朝新聞を見て、自己の居宅がめちやくちやに倒壊しているところが写真に出ていたり、死者がたくさん出ていたりして事故の大きかつたことに驚愕し、急に気分が悪くなつて同日午前九時ころ右病院に入院した事実が認められるのであつて、これによれば、同女の右受傷は被告人らの前記過失との間に刑法上の相当因果関係があるものとは認め難い。

第八 四月七日午後被告人上田の操縦するドーザーショベル(小型ブル)が本件三〇〇ミリ中圧ガス導管に接触してこれに衝撃を与え、本件継手の締結力を劣化させた事実の有無

一右接触の事実が肯認されるものと仮定したうえ、この点に関する被告人側に不利な証拠を検討するに、中圧管水取器は八号桁と九号桁の中間くらいにあり、下水管のマンホールは一五号桁付近にあつて、両者の間隔は最低一二メートルくらいはあると認められるところ、薦田清夫及び荷福正夫の各検察官に対する供述調書によれば、両名らが右マンホールの所でその取付に関する作業をしていた際、両名の位置から三〜四メートル西あるいは西南方で稼働していた小型ブルのバケットが中圧ガス導管に接触したらしく、同管が左右各一〇センチメートルくらいの幅で一、二分間くらい横揺れしたというのであり、また被告人上田の検察官に対する供述調書によれば、水取器の東方六〜七メートルあるいは五〜六メートル付近で接触し、ガス管が六センチメートルほどあるいは七〜八センチメートルくらい横揺れしたというのである。

そこでこの場合の揺れが本件継手に与える影響の程度を考えてみるに、被告人側にもつとも不利に、水取器の東方六メートル(水取器自体にも約〇・七メートルの長さがあるが、この際この点は捨象することとする。)のところで接触したものとし、かつそこでの揺れ幅を左右各一〇センチメートルとし、しかもそこから本件継手まで管が直線状になつて揺れていた(実際はそのようなことはないと考えられるが)と仮定すると、本件継手部に生じる曲げ角度は片側で約〇度五七分であつたということになる。そして大阪ガスの前記継手実験によれば、片側で一度の両振幅曲げを三ないし五回加えるだけで継手の所期の初期性能が六〇パーセントほど低下するとの結果が出ており、右のように片側で約〇度五七分もある揺れを生じさせたものであれば、その接触はかなりの程度本件継手の締結力を低下させたもののように考えられる。しかし、直線状に吊られているガス管(直径は三〇センチメートルもある。)の揺れるのを見て、その揺れ幅を「左右各何センチメートル」と認識するのはいささか不自然でもあり、薦田及び荷福の揺れ幅に関する前記各供述にどこまで信を措いてよいのかはわからない。被告人上田のいうように両側あわせて六センチメートル(片側三センチメートル)として右同様の計算をすると、本件継手部に生じる曲げ角度は片側で約〇度一七分に過ぎなくなり、さらに前記両名の目撃状況のように、ブルの接触位置をマンホールから三メートル西、すなわち水取器から九メートル東とし、そこでの揺れ幅を右同様片側で三センチメートルとして計算すると、本件継手部に生じる曲げ角度は片側で約〇度一一分に過ぎないものとなつてしまうのである。

しかも、水取器にはその西側の本件継手以外にもまず東側に継手があり、水取器は二五〇キログラムの重量(単位長あたりでは、鋳鉄管の約四・三倍、鋼管の六〜七倍)があるのであるから、前記奥村証人も「多くの場合力を受けた側のジョイントに変形が生じる。何故なら、水取器は相当の重量物で、その質量が振動の減衰作用として働くからである。したがつて、西側ジョイントに変形が生じるとは考えにくい。水取器より西方の土までの距離及び土の固定度がはつきりしないので、正確なことはいえないが、影響はまず接触部位に近いジョイントに現われると考えるのが常識である。」旨述べているように、水取器より東方に生じた管の揺れが、果して水取器西側の本件継手の締結力に悪影響を及ぼしたのかどうか、またその程度はいかほどであつたのか、はまつたく明らかでないというよりほかはない(あえてさらにいえば、本件継手の締結力がすでに十分劣化しているような状態のもとでは、水取器東方における管の揺れが本件継手にまで伝わり、曲げ角度となつて現われやすいといえるかもしれないが、その場合だと、継手の締結力をさらに劣化させるという意味がなくなつてしまいかねない。)。

このように、仮に被告人上田の小型ブルが訴因どおり中圧ガス導管に接触した事実があつたとしても、それが本件継手の抜出しとの間にどのような因果関係があるのか不明である。しかし本件においては以下で検討するように、右因果関係の有無よりも先に、右接触の事実自体が証拠上きわめて疑問視されるのである。

二薦田及び荷福の検察官に対する各供述調書によれば、被告人上田の操縦する小型ブルがバケットを上にあげて中圧管の下に突込み、これに土砂を一杯入れてバックさせるときに、そのバケットが中圧管に接触して管を動揺させたという情況が述べられている。また被告人上田の検察官に対する供述調書(昭和四六年七月八日付、同月九日付。なお同被告人に対する関係では司法警察員に対するものも含む。)によれば、バケットを上にあげて中圧管北側の土砂の法面に突つこんで土砂をバケットに入れ、これをバックさせるときバケットが上り過ぎていてバケット先端の土留め(爪)が中圧管に接触して管を動揺させたと述べられている。しかしまず第一に、当時該所付近の中圧管の北側にそのようにバケットを上にあげて突込むような土砂が残つていたとは認めがたいのである。以下この点について検討する。

中圧管水取器東方から前記下水管マンホールが設けられた位置あたりにかけてのガス導管下付近から北壁(土留杭)付近にかけての土砂は、おおむね四月四日夜以降の作業において掘削が進められたものであり、四月六日昼の作業で水取器西側までの中圧管等が懸吊されたことにともない、同日夜ころからは水取器付近以西の管下以北の土砂の掘削も進められ、四月七日朝には水取器の西方一メートルくらいのところまで法肩は後退していたと認められる。一方、北壁の土砂の崩落を防ぐための土留矢板入れは、東方から西方に向けて掘削が進みその深度が深くなるにつれて、順次東から西へ、上から下へとその作業が進められてきた。そして、司法警察員門田州弘作成の検証調書(付図九を含む)及び証人飛田水義の証言によれば、四月八日夕方の本件事故発生当時において、一〇号桁付近の北壁には、覆工板の下最底三・一ないし三・三メートル程度(付図一八の二九〇センチメートルに、その下方にまだある焼け焦げていない矢板一〜二枚分の高さを加えたもの。)まで土留矢板が入つており、それより東では、掘削が深い分だけより下方まで土留矢板が入れられており、土留矢板の施工ずみの高さは、九号桁の前後付近以西においてはじめて急に漸減していたものと認められる。

このことから遡つて、ブルが管に接触したとされる四月七日午後二時から午後二時三〇分ころにおける該場所付近の矢板の深さを推定するに、

① 作業日報では、四月七日昼間に「はね出し掘削、土留工」としてこれに四名の作業員が従事したことになつているが、同日午後三時ころ以降は中間出来高検査の坑内視察が行われ、この間は作業を休むなど、同日夕方までの作業量は少なかつたものと考えられ、

② 四月七日夜間は、作業日報にその旨の記載がないところから、矢板入れ作業は行われなかつたものと認められ、

③ 四月八日昼間には、作業日報に「土留矢板入」として二人の作業員がこれに従事したとされているところ、同日はおおむね水取器付近以西でその作業が行われている。

ことなどからして、一〇号桁付近以東ことにより東方の一一号桁付近以東の四月七日午後二時から二時三〇分ころの北壁土留矢板入れの進捗状況は、四月八日爆発事故発生時の前記のごとき状況とほとんど変化がなかつたものと認められる。四月七日の右時点ですでにこのような進捗状況にあつたことは、その付近の土砂の掘削が四月四日夜ころから進められていたことに照らしても是認されるところと考えられる。

このように、四月七日の右時点で、水取器から三メートルくらいの東方の一〇号桁付近では覆工板下三メートル余まで土留矢板が入つていたと認められ、それより東の、水取器東方約六メートルの一一号桁と一二号桁との間くらいでは、付近の掘削深度の推移からして、なおそれより約〇・五メートル下方まで矢板が入つていたと推定することができるところ、ガス管より奥の北壁寄りの未掘削の土砂は当然右矢板の下端付近より下方にしかなく、また、ブルが位置する両ガス管以南の坑底の覆工板下の深さは、必ずしもこれを客観的に明らかにすることができない(検証調書付図九の数値(一一号桁と一二号桁との間で約三・五メートル)は飛田証言で認められるその推定状況や付図一八に照らし若干小さ目ではないかとの疑問が生じる。)が、北壁ぎわに未掘削の土砂が残つていなければ、土留矢板下端と同じ約三・五メートル(強)程度、残つていたとすればこれより若干(未掘削の土砂の高さとほぼ同じで、数十センチメートルを超えることはない。)深くなつていたものと考えられる。一方、右一一号桁と一二号桁の間くらいでは、北壁土留杭から約一・一メートル南に中心部を置いて新設される五〇〇ミリ下水管の管底、同約二・〇メートル南に中心部のある三〇〇ミリ中圧管の管底及び同約二・六メートル南に中心部のある五〇〇ミリ低圧管の管底は、それぞれ覆工板下から順次約一・七〜八メートル(付図一八による。)、左記一・七〜八メートルと同程度またはこれより若干(〇・一メートル以内)浅いもの、約一・七〜八メートル(付図一九による。)であつたと認められる。これらの状況を図示すれば第一〇図のとおりである。

このような状況にあつたことを前提にすると、両ガス導管の北奥には小型ブルが稼働して掘削することになる未掘削の土砂はまつたく無かつた(前記程度の残土は矢板入れ作業に際し土工がはね出し掘削するものであり、砂質土のため土留杭以北にまで影響するおそれのあるところから、ブルでは掘つてはならないとされていた。)ということになり、仮にブルで掘削すべき土砂が若干あつたとしても、これを掘削するのに、「バケットを上にあげて奥の土の法面に突込み、これをバックさせるときにバケットの土留め(爪)を中圧管に接触させる」というような作業状況はあり得ないものと思料される。

三薦田及び荷福の検察官に対する当初の供述(昭和四六年六月二三日付または同月二四日付供述調書)は、「旧下水管(土管)がまだ土に埋まつており、これを掘り出し、かつそのあとに新設管(鉄管)を入れるため、その掘削に、被告人上田に頼んで小型ブルを使つた。」というのであり、その後この点が変更された供述(同年七月九日付各供述調書)では、「我々の下水管取付作業にはブルは必要でなかつた。だから何のため被告人上田がブルで掘削に来たのかわからない。」となつているが、それでもなお「下水管の下の土は管下四〜五〇センチメートルのところにその頂上があつた。」とされている(なお、この変更後の供述では、旧管はすでにそれまでの掘削にともない壊されてしまつていたことになるが、その方が正しい。)。一方被告人上田の検察官に対する供述(同年七月八日付、同月九日付各供述調書)は、ほぼ一貫して「下水管取替作業のため錦城の土工たちから土取りを頼まれた。」「土工の一人が土を取つてくれと呼びに来た。(図示して)当時下水管の下半分くらいは土に埋もれていた。」というのである(なお、同月九日付の司法警察員に対する供述調書では、下水管はまだ全部土中にあつたように図示され、その土取り作業を続けていると、土工から「おい取り過ぎると足場がなくなるぞ。」と注意されたなどとまことしやかに書かれている。)。

下水管あたりの土砂の状況が右各供述のようなものであつたとすれば、北壁土留杭の土はさらにこれらよりも高い位置にあつたことになるのであるが、そのようなことはとうていあり得ないところである。いずれにしても、右土砂の状況に関する薦田、荷福及び被告人上田の各検察官に対する供述は虚偽であることが明らかであり、その状況を前提とする当時の同被告人の土取り作業についての各供述も、まつたくいいかげんなもので、でたらめな創り話としか言いようがない(ことに被告人上田のこの時の土取り作業に関する供述は、最後まで右虚構の土砂の状況を前提にして微に入り細にわたつたものになつており、その出来栄えに感心させられるものがある。)。

当時小型ブルの稼働により掘削すべき土砂すらなかつたと考えられることはすでに述べたとおりであるが、右薦田、荷福及び被告人上田の検察官に対する各供述自体からしても、右のように土砂の状況に関する供述が虚偽であり、これを前提とするブルの土取り作業に関する供述もでたらめである以上、ブルが当時その付近で掘削作業を行つたことや、その際ブルのバケットがガス管に接触し管が動揺したという供述部分についてもその信用性が疑問になるのは当然である。当時薦田、荷福とともに下水管取付け作業に従事していた蝉岡春雄は、薦田、荷福と併行して行われた検察官の取調べに際しても、ブルがガス管に当つたり、ガス管が揺れたことを肯認していないのであつて、このことも右薦田、荷福の供述の信用性を判断する上で参考になるところである。また、薦田、荷福の各公判廷での証言内容をつぶさに検討すると、同人らは、四月七日午後のことについては、ほとんど何も覚えていないように見受けられるのであつて、これは、検察官の取調べ当時には覚えていたことをその後になつて忘れてしまつたというのではなく、もともとほとんど記憶になく、検察官の取調時に述べたこともその場限りの創作に過ぎなかつたことから、右のような証言になるよりなかつたと理解されるのである。

被告人上田は公判において、「四月七日は午後からの中間検査に備えて、午前中に小型ブルで整地作業をし、その間に、下水管北側付近で土留矢板を入れるのにともなつてはね出されていた土砂の搬出も行つたが、午後は作業をしていない。」と述べており、この点については、被告人高橋の事故後比較的早期に作られた昭和四五年四月二八日付の検察官に対する供述調書中に同旨の供述記載がみられるところであつて、被告人上田の右供述を一概に排斥することはできない。しかし仮に四月七日午後にも水取器東方のガス管下付近でブル作業に従事したとしても、それは掘削といえるようなものではなく、土工が矢板入れ作業のためにはね出した土砂の除去、搬送に過ぎないものとみられ、その作業に際しても、バケットを上にあげて法面に突込むとか、バケットを高く上げ過ぎてガス管に接触させるという事態の生じることは考えられない。

四二及び三で検討したところによれば、四月七日午後被告人上田の操縦する小型ブルのバケットが三〇〇ミリ中圧ガス導管に接触して管を動揺させたとの事実については、これにそう薦田、荷福の捜査段階における供述及び同被告人の捜査段階における自白の真偽にいずれも多大の疑問があり、信用性があるとはとうてい言えないので、右事実を認めることはできない。

本件爆発事故後、事故原因に関し、薦田及び荷福が「ブルがガス管に当つた。」とか「ブルがガス管に当たつたのではないか。」との噂話を中村浅吉にし、こうした噂話が他の作業員らの間でも取り交わされていたことは事実であると認められるが、この点に関するその後の捜査経過、右中村、薦田、荷福及び被告人上田の捜査段階で作られた各供述調書の内容とその変せん並びにこれらの者の法廷供述の内容を子細に検討すれば、もとは内容の不確定な一義性のない噂話であつたものが、事故後一年以上を経過した昭和四六年六月一八日の右中村の逮捕以後のこれら四名の者に対する取調べ経過の中で、前記のようなでたらめの創り話に形作られていつたと疑われるのである。もつとも、右のような噂話が根も葉もないものであつたとはけつして言えず、証拠調べの結果を総合するとき、そのような噂話が生まれるのには、鉄建建設の施工の中で、その根拠となるようなブル作業の過誤がいつかどこかで現にあつたように考えられないわけではない。しかし、小型ブルによる掘削作業は昭和四五年三月一七日ころ以降被告人上田と同僚の秦和夫とが昼夜交替で従事していたものであるから、右噂話のもとを被告人上田にだけ結びつけるわけにいかないのは当然であり、さらに進んで、噂話のもととなる出来事を「四月七日午後、水取器東方数メートルの中圧管」という限定された日時、場所に求めることもできない次第である。

第九 被告人福井のガスパトカーの火災と本件爆発の着火源

一被告人福井の刑責に関しては、同被告人のガスパトカー(北二号)の炎が本件爆発の着火源であったか否かという科学的な因果関係のほかに、①同被告人が同車両のエンジンを始動させるに際し、付近にガス混合気が漏出していて、右始動によりここに引火することにつき同被告人に予見可能性があつたか否か、②同被告人は、消防署員から付近住宅街への火気使用禁止の広報活動を要請され、これを実行するため右車両を発進させようとしたものであつて、当時の諸情況からしてその行為に過失行為としての違法性(弁護人は期待可能性と主張している。)があるか否か、③エンジン始動の行為により付近の漏出ガスに引火して炎上した後、すぐ近くには消防自動車一台が放水態勢をとつて待機していたのに、二度目の炎上後その火炎を消そうとはしなかつた。これは、その指揮者が、ガスの火炎はなかなか消せるものではないと考えたほかに、当時現場にいた大阪ガスの一職員が、漏出しているガスは燃やしてしまつた方が生ガスのままで付近に拡散するよりは安全であるととつさに判断し、消すなと要請したことから、消火しない方がよいと判断したことにもよるのであり、右指揮者は他の一台の消防自動車が消火活動に入ろうとしたのをも制止し、結局北二号を包む火炎は約一〇分間にわたり燃やす方が有用であるとの前提のもとに燃えるがままに放置された。消防車による放水活動で右火炎が消し得たか否かは明らかにされていないが、右の点をどう評価すべきであるかなど、論じるべき点が多い。しかし、証拠調べの結果によれば、北二号の火炎が本件爆発の着火源であるということ自体に合理的疑いがあるといわなければならない。

以下この点について検討することにする。

二本件継手部から都市ガスが噴出し始めた後、北二号での発火、炎上を経て爆発に至るまでの経過の概要はすでに第一の五で述べたとおりであるが、必要な点を補いながら所要のデーターを挙げれば以下のとおりである。

1現場の掘坑は四工区と五工区とを合わせて総延長約二一七メートルであり、その体積は約一万立方メートルであつた。ただし、五号桁付近以西の約八メートルの間においては坑内北側の掘削はほとんど進められていなかつた。

2本件継手部は八号桁付近にあり、そこから噴出した都市ガスは、一時間当りに二・五〜三万立方メートル(常温、常圧下の体積)という大量のものであり、その一部は付近のスクリーン舗板等から激しく地上に漏出したりしたが、その余の大部分は、空気と混合しながら、しかし都市ガスの方が空気より比重が小さい(前者は後者の約二分の一である。)ので、上方ほど濃く、下方ほど薄く、また右継手部に近い西方ほど濃く、東方に行くほど薄く、しかも同一地点では時間が経過するほど漸次濃度が高くなるという状態で坑内に充満していつた。

3北二号で発火、炎上した際の同車両の位置は、本件継手から約三〇メートル東方かつ鉄建建設のホッパーの西端から約一八メートル西方の二三号桁付近であつた。

4右発火、炎上は、北二号の後車輪付近にたまたまあつた一枚のスクリーン舗板(以下本件スクリーン舗板という。)からの漏出ガスによるものであるが、右スクリーン舗板は、長さ二メートル、幅七五センチメートルで、縦の両外端を除いた部分一面に格子状の換気孔が開けられており、検証調書の写真によれば、その開口率は六〇パーセント程度と想定して多過ぎることはなく、また、外周部の高さは二〇センチメートルであるが、開口部の格子は右高さ一杯まであるとは言えず、下半分が欠如して孔の深さは右高さの二分の一より少いと考えても誤りではない。

5本件継手部からのガス噴出開始と右発火、炎上までの間には約一五分の時間が経過しており右発火、炎上と爆発までの間にさらに約一〇分の時間が経過している。なお、右発火、炎上後爆発までの間に、北二号での火炎は、付近の覆工板の隙間や、北二号と前記ホッパーとの間にある他のスクリーン舗板からの漏気にも伝播して付近に拡がつていた。

三ところで、本件の都市ガスは空気(厳密にいえば空気中の酸素)と混合して初めて燃焼し得るものであり、その混合濃度の燃焼上限界は37〜38%、同下限界は6〜7%(この両限界内でガスを完全燃焼させるための空気量が最少の場合、すなわち一次空気率100%の際の理論空気量は、都市ガス量1に対して4程度)である(以上いずれも体積比)。空気との混合率が右上限界を超えていても、また右下限界を下まわつていても、本件都市ガスは燃焼せず、従つて引火もしないし、爆発も起こさない。

本件スクリーン舗板から漏出していたガス混合気は、漏出後地上の空気によつて濃度を薄められていたのに、なお発火し、炎上し続けたのであるから、その発火の時点ですでに右燃焼下限界以上の濃度に達していたことが明らかである。すなわち、その濃度は、北二号での発火炎上に際し、燃焼限界内にあつたかまたは燃焼上限界を超えていたかのいずれかであつて、前者であれば、同所付近の坑内上層部のガス濃度は燃焼限界内にあつたことになるから、北二号での火炎がこれに引火(逆火)して坑内で燃焼爆発を起こす可能性があつたことになり、後者であれば、同所付近の坑内上層部のガス濃度はすでに燃焼限界を超える高濃度になつていたことになり、北二号での火炎がこれに引火(逆火)して坑内における燃焼、爆発を起こすことは不可能である。

なお、もし右発火の時点ですでに同所付近の坑内上層部の混合気の濃度が燃焼上限界を超えるものになつていたとすれば、爆発までの約一〇分の間に、その混合気はある限界(定常状態)に達するまでますますその濃度を高め、その高濃度の混合気がどんどん東方へと分布していつたはずである(このことは後記模型実験の結果からしても容易に推認することができる。)。

四右発火の時点及び炎上中における北二号(本件スクリーン舗板)付近の坑内上層部におけるガス濃度に直接触れる証拠としては、横浜国立大学教授工学博士上原陽一作成の鑑定書(昭和五五年一〇月三一日付)及び同人の証言(第一、二回)がある。

同人は、本件掘坑(四、五工区)の5分の1の模型を作り、これを用いて実験したところ、「燃焼上限界濃度である約40%のガス濃度域は、噴出開始後約一分で鉄建建設ホッパーの位置に相当する坑内上層部付近にまで到達し、同約五分後には坑内全域の上部空間に及び、この濃度域は次第に下方に向つても拡大するとともにその濃度の値はますます高くなつていくが、同約一〇〜一五分後には坑内の濃度分布の変動は少なくなり、以後ガス噴出が続く限り、坑内のガス濃度は右のような高濃度(鉄建建設ホッパーや北二号(本件スクリーン舗板)付近の上層部では60〜80%程度)のままほぼ定常状態になる。」との結果が得られたとし、この模型実験の結果は、少なくとも北二号(本件スクリーン舗板)付近の坑内がその発火、炎上の時点においてすでに燃焼上限界を超える高濃度のガスで充たされていたとの推論を十分に裏付けるものである、としている。

しかし、右模型実験は5分の1(体積では125分の1)の模型を用いながら、ガス噴出速度の原型に対する比をほぼ1とし、その噴出量の原型に対する比をほぼ25分の1に設定して行われており、半密閉構造を有する一定の空間内に、右のごとく体積比に比して約5倍の比の大量のガスを噴出させている結果、坑全体の視点から観察するとき、ある時間経過後における抗内のガス濃度の絶対値が原型に比して高くなり過ぎていることが明らかである(このことは、当裁判所の鑑定人橋口幸雄が正当に指摘するとおりであり、上原自身もその証言で承認している。)。

このように右模型実験は、坑内全体のガス濃度の絶対値の推移を知るうえにおいては直接の参考となしえないものであるが、一般に、速い速度で噴出する気体の拡散状況を模型実験でシュミレートしようとする場合、パイナンバーとしてレイノルズ数(Re)(慣性力と粘性力の比)とフルード数(Fr)(慣性力と重力の平方根比)とが挙げられており、長さの代表値の比が5分の1の場合には、フルード数を等しくするためには噴出量を5分の1(噴出速度は5倍)、レイノルズ数を等しくするためには噴出量を分の1×25分の1(約56分の1。噴出速度は分の1)に設定すべきものと計算されているところ、上原証言によれば、噴出口に近い所ではレイノルズ数が支配的であり、噴出口に遠い所ではフルード数が支配的であるから(したがつて、前記模型実験で得られたガス濃度は、噴出口に近い所では原型より薄くなつており、噴出口より遠い所では原型より濃くなつている。)、右両者の中間をとつて噴出量を約25分の1(噴出速度の比はほぼ1)に設定したことによる右模型実験は、少なくとも北二号(本件スクリーン舗板)付近においては原型と相似するとみてさしつかえなく、右付近に関する限り右実験の結果は現場の状況をほぼ再現するものである、というのである。

しかし、右のような一般的な考え方(パイナンバーの選定)は、開かれた空間におけるジェット噴流(プルーム)現象を前提とするものであつて(上原の実験条件の設定や実験結果の解析、評価もこの現象を前提としてなされている。)、本件のような半密閉構造を有する一定の空間(しかもそれはきわめて細長い。)内にガスを噴出させた場合の、同一時間経過時におけるガス濃度の絶対値の推移をシュミレートしようとする際にそのまま妥当するとすることははなはだ疑問である(レイノルズ数支配を前提にして考えてもレイノルズ数を一致させることに意味があるとは考えがたく、フルード数支配を前提にして考えてもフルード数を一致させることに意味があるとは考えがたい。)。そればかりでなく、右のように噴出量を約25分の1(噴出速度の比はほぼ1)に設定することが、相似則を緩和し、北二号(本件スクリーン舗板)付近のガス濃度の絶対値の推移を相似化させるための正当な実験条件になることの根拠はなんら示されていない。

結局右模型実験の結果は、本掘坑内における噴出ガスの拡散状況の一般的な傾向(相対的な濃度分布状況の推移の頃向)を知るうえにおいては役立つものであるが、北二号が発火、炎上した本件スクリーン舗板付近に限つてみても、坑内のガス濃度の絶対値の推移を知るための直接の根拠とすることはできない。

五そこで、北ガス二号での火炎が本件スクリーン舗板から坑内に直ちに引火することなく、約一〇分間も地上で安定して燃え続けたという現実の現象から、さらに問題を検討してみることにする。

一般に、炎孔から噴出するガスが燃焼する場合、その燃焼の仕方は予混燃焼と拡散燃焼の二種に分けられる。予混燃焼とは予め燃焼限界内の混合気となつたガスが炎孔から噴出して燃焼する場合であり、拡散燃焼とは燃焼上限界を超えた高濃度のガスが炎孔から噴出し、噴出後周囲の空気と拡散混合することにより初めて燃焼限界内の濃度になつて燃焼する場合である。拡散燃焼の場合は炎孔以前の混合気に引火(逆火)することは絶対にないが、予混燃焼の場合は、混合気の炎孔からの噴出速度が燃焼速度以上であるときは逆火せず(ただし、その程度がある程度を超えると吹き消えを起こす。)、噴出速度が燃焼速度を下まわつたときは直ちに逆火する。なお、この場合の燃焼速度とは、混合気が火炎面に直角に入り込む速度をいい、混合気の種類、濃度、温度、圧力によつて定まる物性値であつて、単位時間当りの消費ガス量を内炎の表面積で除することにより求められる。一方噴出速度は、単位時間当りの噴出量を噴出口(炎孔)の断面積で除して求めるのが一般であるが、これと右燃焼速度とを対比する場合若干の齟齬を生じることになるので、逆火の条件を論じる場合には、燃焼によつて消費されるガスの単位時間当りの熱エネルギー量と噴出により供給(インプット)される単位時間当りの熱エネルギー量とを対比する方がより正確である。

予混燃焼で逆火するか否かは、右のような意味で燃焼速度と噴出速度とのバランスがとれているか否かで決まるのであるが、それはあくまでも理屈であつて、現実の問題としては、両者のバランスがとれていても、炎孔(バーナー)の条件次第では容易に逆火することが実験的に確認されている。すなわち、炎孔径が大きければ大きいほど、また炎孔の深さが浅ければ浅いほど逆火しやすくなるのである。それは、右のようにして把握される噴出速度はあくまでも平均噴出速度に過ぎないところ、炎孔径が大きければ、また炎孔が浅ければ、予混混合気の整流性がそれだけ小さくなり、時間によつて位置によつて混合気の噴出速度がよりまちまちになるから、平均噴出速度の点では燃焼速度とバランスがとれていても、より容易に逆火することになるのである。したがつて、炎孔径が大きかつたり、炎孔が浅かつたりするときは、平均噴出速度をより大きなものにしないかぎり現実には逆火することになるのである。

本件スクリーン舗板の格子状の穴などは、あまりにも開口面積が大きく(深さもけつして大きくはない。)、これを工業用の炎孔(バーナー)に見立てて論じるまでもなく、予混燃焼に際しての逆火の条件のきわめて大きいことは容易に理解できるところであるが、前記上原陽一作成の鑑定書(昭和五九年一月二〇日付)及び同人の証言(第二回)は、

1工業界でもつとも大きな炎孔を持つ繊維工業での毛焼きバーナー(幅四ミリメートル、長さは布の幅に相当するもの)の炎孔負荷(逆火、吹き消えすることなく混合気が安定した状態で燃焼を継続することのできる場合の、炎孔の単位面積に対する単位時間当りのガス(熱量)のインプット量をいう。)をそのまま借用し、本件スクリーン舗板の開口面積(推定)にあてはめて計算すると、本件スクリーン舗板で予混燃焼が継続するために必要なガス量は本件継手部から噴出するガス量の約三分の一となるが、現場の状況からして、本件スクリーン舗板だけからこのような大量のガスが噴出した事実はとうていあり得ない。

2本件スクリーン舗板の格子状の開口部(推定)の一部(約二〇〇分の七)を切り取つたのと同じ形のものを炎孔にして実験を行つたところ、

① 燃焼上限界を超える高濃度の混合気に点火して拡散燃焼を生じさせた後、右濃度をゆるやかに低下させ、逆火時のガス濃度と平均噴出速度とを求める「燃焼・逆火実験」(実験回数五回)では、いずれも混合気の濃度が燃焼上限界以下に達するのとほぼ同時くらい(ガス濃度34.6%(一次空気率47.4%)ないし37.5%(同41.9%))に逆火し、

② 燃焼限界内の濃度の予混ガスをその濃度における燃焼速度を上廻る平均噴出速度で噴出させておき、これに点火して安定した火炎が形成されるかどうかを確認する「点火・逆火実験」(実験回数一六回)でも、いずれも(ガス濃度19.7%(一次空気率102.4%)ないし36.6%(同43.6%))点火すると直ちに逆火しており、

③ これら両実験の各場合につき逆火時における当該混合気の燃焼速度と平均噴出速度を対比すると、いずれも後者が前者を上廻り、二倍から一〇倍以上に達するのが大部分であり、両実験中もつとも噴出速度の大きかつたもの(その際のガス濃度は35.8%(一次空気率45.1%))を本件スクリーン舗板の開口面積(推定)にあてはめて計算すると、本件継手部から噴出するガスの量の約五分の一と同じ量の混合気が本件スクリーン舗板から噴出していたとしてもなお逆火するとの結果が得られるが、現場の状況からすれば、本件スクリーン舗板だけからこのような大量の混合気が噴出した事実はあり得ない。

④ 本件スクリーン舗板の一部(約二〇〇分の七)を切取つた大きさの炎孔を用いての実験ですら右のように容易に逆火することが確められたのであるから、本件スクリーン舗板そのものを炎孔とした場合には、バーナーの条件からして、逆火の可能性はさらに高度に高くなる。

との諸点を挙げ、北二号(本件スクリーン舗板)での炎上が予混燃焼であつたとすれば直ちに逆火したはずである(しかるに直ちに逆火せず約一〇分間も燃え続けたのであるから、拡散燃焼である。)、としているのである。

上原の述べる右論拠のうち1の点に関しては、炎孔負荷そのものが吹き消えの限界線にそい大幅に安全を見て定められるものであり、直ちに逆火の限界を示すものとはいえないこと、また燃焼速度は一次空気率一〇〇パーセント弱付近でもつとも大きく、一次空気率がそれより小さくなるにつれ、すなわちガス濃度が燃焼上限界に近づくにつれて小さくなるものであるところ、同人が計算に際して用いた炎孔負荷は一次空気率一〇〇パーセントの場合の値であることの諸点において批判が入り込む余地がないとはいえない。しかしこれに対しては、本件スクリーン舗板の格子状の穴と毛焼きバーナーとを比較すれば、なお前者の方が比べものにならないほどバーナーとしての条件が悪いこと、同人の計算結果によれば、本件スクリーン舗板から噴出しなければならない混合気の量は、一次空気率一〇〇パーセントの混合気の濃度は約二〇パーセントであるから、本件継手部から噴出するガス量の約三分の五倍となり、そのようなことの絶対にあり得ないことは明らかであるが、この点を燃焼上限界である一次空気率約四〇パーセントに修整してみると、その場合の燃焼速度は五〜七分の一程度(消費エネルギー量はその約二倍)に減少するけれども、これをまかなうのに必要な混合気(その濃度は約二・六分の一)の量はなお本件継手部から噴出するガス量の三〜四分の一程度に達し、現場の状況からしてそのようなことのあり得ないことには変りがないとの諸点を指摘することができる。

2の論拠に関しては、実験装置の設計及び実験結果の解析につき検察官から一部異論が提出されているが、いずれも理由がないものと考えられる。ただ、混合気の一次空気率が小さくなり燃焼上限界に近づくほど燃焼速度が遅くなり、それと同時に急速に逆火の可能性が減少することが実験的に確められているが、2の各実験では、燃焼上限界にほとんど達する程度の高濃度の混合気についても現実に逆火の起きることが確認されており、また、本件において、もし北二号での発火・炎上開始時点における本件スクリーン舗板からの噴出混合気が燃焼限界内にありながら、その上限界にきわめて近かつたため逆火しなかつたのだと仮定しても、その後の時間の経過の中で、右混合気は急速に燃焼上限界を超える高濃度のものになつてしまつたといえるのである。

そうであれば、上原の述べる前記の論拠と推論は十分に説得力を持つものと考えられる。

六右五で検討したところによれば、北二号(本件スクリーン舗板)での炎上はほとんど初めから拡散燃焼であり、そうであればこそ約一〇分間も坑内に引火することなく燃焼を続けた(もし予混燃焼であれば直ちに坑内に引火したはずである。)と認めることができる。すなわち、本件スクリーン舗板付近における坑内のガス濃度は、北二号での発火、炎上の時点において、少なくとも上層部では燃焼上限界を超える高濃度のものになつており、右の火炎が直接坑内に引火することは不可能であつたと認められるのである。また、炎上開始後爆発時までの約一〇分の間に、右高濃度域はさらに東方に向つてどんどん拡がつていつたものである。

拡散燃焼における火炎を拡散火炎と言い、予混燃焼における火炎を予混火炎と呼ぶが、前記上原は、当時のカラー写真(司法巡査三浦義朝作成の復命書中のもの)にもとづき、その形、色などから北二号での火炎が予混火炎でなく拡散火炎であることは容易に判断できるとしており、当裁判所の橋口鑑定は、右の色による判断方法を批判しているが、右橋口もその証言に際し、北二号と鉄建建設ホッパーとの中間にある別のスクリーン舗板で燃えている火炎の写真(モノカラー。前同復命書中のもの。)を見て、それが拡散火炎であることを肯定するのに近い供述をしている。

北二号での火炎は、付近にも伝播して例えば右のスクリーン舗板でも燃焼を続けていたが、前記のとおり燃焼上限界を超える高濃度域がどんどんより東方にまで拡がつており(その高濃度域は本件継手部からのガス噴出開始後約一五分間で少なくとも右継手部から約三〇メートル離れた北二号(本件スクリーン舗板)付近まで到達していたのであるから、その後爆発時までの約一〇分間にはさらにかなりより東方まで拡がつたものと考えて差支えがない。前記模型実験の結果によれば、噴出開始後約一〇〜一五分間でモデル坑内のガス濃度分布は定常化することになつているが、それは坑内のガス濃度が同実験結果のごとく高濃度に達した以後のことであり、本件の現場では、北二号から鉄建建設ホッパー付近及びそれ以東の坑内のガス濃度は、すでに右と同程度に達していたか、あるいはその高濃度以下において急速により高濃度に向つて変動しつつあつたかのいずれかと考えられる。)、また右スクリーン舗板での火炎も直ちに坑内に引火することなく燃焼を続けており、しかも火炎の伝播は右スクリーン舗板以東少なくとも鉄建建設ホッパー付近にまでは達せず、限られた範囲内のものであつたと認められるから、右のように火炎の伝播した場所においても、覆工板直下の坑内上層部は燃焼上限界を超える高濃度の混合気によつて充されていたと認めることができる。

そして、爆発直前にそれらの火炎が引火可能であるかもしれない東方にまで走つた事実があつたと認めるべき証拠は皆無である(むしろ伊藤勝巳の証言によれば、そのような事実はなかつたとみられないわけでもない。)。してみれば、北二号の火炎が本件爆発の着火源であつたとすることはきわめて疑わしい。

七本件における爆発現象の中心部は炎上した北二号から比較的近い四工区坑内であつたとみられないわけではない。しかし爆発の原因となつた着火点と爆発現象の中心点とは必ずしも一致するとは限らない。両者がかなり離れていてもけつしておかしいことではなく、そのような実例も数が多い。なぜなら、爆発とは化学変化にともなう急激な圧力上昇現象であるが、本件のようなガス爆発は、ある程度閉じられた空間内でガスの燃焼によるエネルギーが高くなり、その圧力の程度が周囲の障害物(本件では覆工板。ただしその重量は一平方センチメートルあたり約二五グラムで、ガス燃焼によつて生じる圧力に比較してそれほど大きいとはいえない。)を吹き飛ばす程度に達したときに初めて起こるのであり、それまでに着火点から燃焼(爆発)限界内の濃度の混合気内を火炎が伝播する現象があるからである。そして火炎の伝播にともない内部の混合気は急激に乱されるから、それまでは燃焼爆発の限界外であつた部分にも火炎が伝播し、爆発のエネルギー源となる。本件においても、目撃者の中には、火柱が上り、砂が降つて来る現象が生じたときから覆工板の吹き飛ぶ爆発の起きるまでの間にある程度の時間があつたといえる情況を具体的に証言する者がある。また右のように火柱が上る現象は、着火点から火炎が伝播する経過の中での出来事と理解することも可能である。

一方、本件工事現場(四工区及び五工区)で着火源の可能性のあるものとしては、北二号の火炎(その伝播したものを含む)以外にも多数想定することができる。坑内におけるものとしては、分電盤、照明灯、電気溶接機、ベルトコンベアの動力源(五工区)などの電気設備からの火花や漏電などが考えられるところ、ことにモーターで作動する機械類はガス噴出後も作動中のまま放置されていた可能性を否定することができない。また坑外、地上からのものとしては、タバコの火(火のついたままのタバコのポイ捨て)、靴の鋲と覆工板との間で生じる火花、静電気などが考えられるとされている。本件のような工事現場に右に例示したごとく着火源となり得るものがいろいろあることは、前記伊藤富雄教授や上原陽一教授がその各証言で一致して述べるところである。

本件爆発事故の捜査では、北二号の火炎が真に本件爆発の着火源であるのかどうかについてはほとんど疑問がもたれなかつたように思われる。検察官の請求にかかる証拠で着火源に関するものは、科学捜査研究所技術吏員柴田想一ほか一名作成の昭和四六年三月一八日付復命書に、「ガス会社のパトカーの炎上(第二回目)が本件爆発の最も有力な着火源であつたであろうという推定は全く否定はできないものと考えられる。」との記載が存したのと、これをそのまま受けた伊藤鑑定書の記載が存したにすぎなかつたことからも、そのことがうかがえるというべきである。一般にガス爆発事故では着火源が不明のままそれを特定できずに終わることも多いとされるのに、本件では、北二号の火炎が着火源であると当然のように考えられたために、着火源を特定するのに必要な調査がほとんどなされなかつたかのようである。検察官は、被告人福井の弁護人らから着火源に関する反証がなされて、初めて、着火源に関する鑑定を申請したが、その結果採用した橋口鑑定人も、「今となつては北二号炎上の火炎が着火源か否かの鑑定は、とうてい不可能である。」と証言しているのである。

結局、北二号の火炎(その伝播したものを含む。)以外のなんらかの着火源による火気が坑内の燃焼限界内の混合気(北二号付近の直下でも、中、下層では燃焼限界内の混合気があつたかもしれない。)、あるいは、より東方で地上に漏出する同限界内の混合気に引火して爆発を生じるに至つた可能性はこれをけつして否定することができない。

以上で検討してきたところを総合すれば、北二号での火炎が本件爆発の着火源であるとすることは合理的疑いが濃厚であつて、そのように認定することは不可能である。

第十 有罪被告人に対する量刑について

本件爆発事故の結果がきわめて重大であることはいうまでもなく、それぞれの注意義務を尽すことなく、安易に工事を進め(進めさせ)、その設計、施工の容易な本件継手部に対する抜止め防護の措置を怠つた過失により右事故を招来させた各被告人の刑事責任はいずれも大きいといわなければならない。

しかしながら、すでに検討したように、本件の大惨事を契機にして、法令の改正整備をはじめ、大阪ガスと交通局との間の新協定の締結など、地下鉄建設工事におけるガス導管防護措置としての抜止め施工に関する一般対策は急速に改善されたが、本件まで大阪では、抜止めを独立して取り上げた一般対策は皆無であり、ガス事業者である大阪ガスが抜止め施工についての有効適切な協力態勢の確立を提唱したこともなかつたし、交通局の内部で抜止め措置の必要性、施工方法などを示した監督要領を作るなどして監督員の指導、教育を行つた事跡もなく、大阪ガスや交通局から施工業者に対し、抜止め施工に関する一般的な情報を提供したり、その施工を一般的に指示あるいは要請、指導したような事実もなかつた。従前抜止め措置は、もつぱら個々の現場における臨機の判断で施工されるのにまかせられていたのである。本件事故はこのような一般対策の不備、立遅れを背景として起きたものである。

被告人らのうちでは、被告人正木のみが抜止め措置の一般的必要性を認識していたが、それ以外には、被告人藤井が書物による知識として抜止め措置が要求されることを認識していたに過ぎず、その他の被告人らにおいては、被告人溝手、同田中、同矢萩及び同岡本は、抜止め条件付承認書が回付されたのを見て初めてガス導管曲管部に対する抜止め措置の必要性を具体的に知るに至つたようであり、また被告人三上及び同高橋は、五号線一一工区の抜出し事故の際に抜止め措置が施工されたことを知つていたものの、その一般的必要性をよく認識するまでには至らなかつたようである。このようなことは、ガス導管曲管部に対する抜止め措置が工法として普及している実情のもとにおいて、地下鉄建設工事に従事する専門家として不勉強のそしりを免れず、許されるべきことではけつしてないが、こうした認識不足には、右のような一般対策の不備、立遅れが影響しているものと考えられる。

また、本件より約一年前に東京で板橋ガス爆発事故や発生したことにより、地下鉄建設工事におけるガス導管事故の恐ろしさとその防護の重要性があらためて認識、強調されるようになつたが、右事故は埋戻し後における受け防護の変形、破損等にともなうガス導管亀裂事故であつたところから、掘削段階における曲管部防護に対する警鐘としてはいささか軽いものであつたことを否定することができない。さらに、今回の工事に際し、掘削、露出にともなうガス導管の防護につき、二建は大阪ガスに文書で協議を求め、大阪ガスは曲管部継手に抜止めを施工するよう文書で要請したが、このように文書でやり取りすることは今回が初めての経験であるうえ、大阪ガスの立会担当者が右要請後現場においてなんらそれ以上の具体的な指導、助言を行わなかつたことが、従前からの一般対策の立遅れ、不備と相いまち、右要請を知るに至つた被告人らをしても、本件継手に対する抜止め措置の即時施工についての意識を十分に喚起するに至らなかつた一事情になつていることも否めないところである。

このように検討してきた諸事情は、本件事故に対する被告人らの過失責任を否定し去るものではけつしてないが、本件事故の責任を現場の被告人らのみに押しつけることが当を得ないことを物語るものである。

そこで、本件における結果の重大性と被告人それぞれの実際に担当していた職務の内容、予見可能性に関する事情の強弱及び過失行為の性質を検討したうえ、右に述べた事情のほかに、本件については全被害者との間に示談ができていること、時日の経過による加罰性の減少も否定できないこと、被告人らは長期にわたり刑事被告人の地位にあつて、それなりの社会的制裁を受けてきたと考えられること、及び被告人らそれぞれの経歴、身上等を合わせて考慮し、さらに各被告人それぞれの組織における地位と責任をも併わせ斟酌して、主文のとおり量刑する。

(岡本 健 松本芳希 永野厚郎)

別表一

死亡者一覧表

番号

氏名

死亡当時の年令

死亡日時

(昭和年月日

時分)

受傷ならびに死亡場所

死因

1

坂本喜八

67

45.4.8

午後5.45ころ

大阪市北区吉山町三八番地先地下鉄二号線延長工事現場付近

胸部打撲による胸部内臓挫滅

2

貴志稔

28

右同

右同

火傷

3

才木英雄

21

右同

右同

火傷

4

木野健治

36

右同

右同

肋骨胸骨骨折による胸部内臓挫滅

5

明田勝

25

右同

右同

流下血液吸引による窒息

6

西村一生

20

右同

右同

頭蓋底骨折、右大腿骨折、左足開放骨折による外傷性ショック

7

中井修

20

右同

右同

全身火傷

8

小森定典

25

右同

右同

左側頭部開放骨折による脳挫傷

9

外浜安幸

21

右同

右同

左大腿複雑骨折、左側腹部挫滅創による外傷性ショック

10

木村清三

22

右同

右同

左下肢複雑骨折、右足脱臼骨折による外傷性ショック

11

石坂晴喜

59

右同

右同

顔面頭部開放骨折による脳挫傷

12

飯干勝也

18

右同

右同

頭蓋内出血

13

永山嵩

46

右同

右同

胸部打撲による外傷性ショック

14

片岡功

39

右同

右同

胸腹部打撲による胸部挫滅

15

久保末雄

33

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

16

山田恵一

16

右同

右同

頭蓋内出血

17

井戸貞夫

35

右同

右同

骨盤骨折による外傷性ショック

18

近藤又幸

27

右同

右同

腹部打撲による腹部内臓挫滅

19

飯口貞夫

29

右同

右同

口腔内出血、血液吸引による窒息

20

臼杵春一

44

右同

右同

顔面打撲による頭腔内出血

21

竹内重雄

47

45.4.8

午後6.40ころ

前記工事現場付近において受傷し同市都島区都島北通一丁目一八番地辻病院で死亡

胸部打撲傷による胸部内臓挫滅

22

須佐美孝昭

41

45.4.8

午後5.45ころ

同市北区吉山町三八番地先地下鉄二号線延長工事現場付近

頭部打撲による脳挫傷

23

竹内義和

26

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

24

白石健太郎

19

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

25

松室精二

7

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

26

北川嘉孝

26

右同

右同

頭部顔面打撲による脳挫傷

27

山本義夫こと

金永壽

31

右同

右同

頭部顔面打撲傷による脳挫傷

28

宮武浩昭

10

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

29

末永順一郎

19

右同

右同

頭部顔面打撲による脳挫傷

30

小田金悟

51

右同

右同

胸部打撲による胸部内臓挫滅

31

安田敏夫

13

右同

右同

胸腹部打撲による胸腹部内臓挫滅

32

木村勲

25

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

33

中田種一

74

右同

右同

胸腹部圧迫による窒息

34

榊正夫

57

右同

右同

胸腹部打撲による胸腹部内臓挫滅

35

笹原隆三

34

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

36

西峯敏博

10

右同

右同

火傷

37

李金助

27

右同

右同

火傷

38

安井匡

13

右同

右同

顔面打撲による頸椎脱臼

39

大久保賢一

15

右同

右同

流下血液吸引による窒息

40

井上日芳

57

右同

右同

左前頭部打撲による脳挫傷

41

桜木秀夫

45

右同

右同

全身第Ⅳ度および第Ⅲ度の火傷

42

高田仁已

28

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

43

古井正司

28

右同

右同

胸腹部圧迫による窒息

44

北村牧男

32

右同

右同

顔面打撲による頭蓋底骨折

釘田愛弘

34

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

46

丸山実

31

右同

右同

頭部および顔面打撲による脳挫滅

47

大竹正博

18

右同

右同

顔面打撲による頭蓋底骨折

48

森田健一

29

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

49

吉山こと

李英喜

6

右同

右同

頭部顔面および胸部第Ⅲ度火傷

50

坪井喜仕夫

37

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

51

小関昭浩

24

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

52

栗原芳美

14

右同

右同

腹部打撲による腹部臓器挫滅

53

長谷川勝博

25

右同

右同

右側腹部打撲による腹部臓器挫滅

54

宮屋敷隆則

30

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

55

片山安夫

22

右同

右同

心臓破裂出血

56

奥野正博

21

右同

右同

頭部顔面打撲による脳挫傷

57

田中清隆

14

右同

右同

頭部顔面打撲による頸椎脱臼

58

中川浩志

34

右同

右同

胸部打撲圧迫による胸部内臓挫滅

59

庄田進

39

右同

右同

頭部顔面打撲による脳挫傷

60

藤井富夫

42

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

61

三田佳美

8

右同

右同

全身火傷

62

山田テル

20

右同

右同

頭部打撲による脳震盪

63

浜田久子

23

右同

右同

頸椎脱臼、骨折両肋骨々折、胸骨々折による外傷性ショック

64

榎屋トミエ

45

右同

右同

顔面打撲による脳挫傷

65

坂口好江

11

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

66

中野久子

43

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

67

石井敏子

49

右同

右同

頭部打撲による脳挫傷

68

古谷真智子

20

右同

右同

胸腹部圧迫による窒息

69

中田ヒトミ

30

右同

大阪市大淀区国分寺町五番地中田種一方

焼死

70

小野富国

25

45.4.8

午後8.38ころ

前記工事現場付近において受傷し、同区豊崎東二丁目七〇番地回生病院で死亡

腹腔内臓器挫滅による出血失血

71

尾形久雄

41

45.4.8

午後11.0ころ

前記工事現場付近において受傷し、同市北区浮田町六番地行岡病院で死亡

腹部内臟破裂による失血

72

葛間真治

36

45.4.9

午前9.10ころ

前記工事現場付近において受傷し、同市東区京橋前之町官有無番地大手前病院で死亡

都市ガス吸引による急性ガス中毒

73

森崎勝美

23

45.4.9

午前10.56ころ

前記工事現場付近において受傷し、同市都島区都島北通一丁目一八番地辻病院で死亡

顔面四肢広汎火傷、第二次性ショック

74

満生津吾

29

45.4.9

午後10.35ころ

前記工事現場付近において受傷し、門真市新橋町八二一ノ一番地生井世光病院で死亡

頭部打撲による脳挫傷

75

田中佳彦

13

45.4.12

午前5.12ころ

大阪市北区菅栄町五二番地地下鉄二号線延長工事現場付近において受傷し、同市都島区都島北通一丁目二二番六号ツヂ病院で死亡

頭蓋内出血

76

小林英夫

31

45.4.13

午前0.40ころ

同市大淀区国分寺町五番地先地下鉄二号線延長工事現場付近において受傷し、同市北区西扇町三番地北野病院で死亡

脳挫創、開放性頭蓋骨折による脳機能麻痺

77

吉山こと

李英男

13

45.4.14

午前1.35ころ

同市北区吉山町三八番地先地下鉄二号線延長工事現場付近において受傷し、同市福島区堂島浜通三丁目一、二合併地阪大付属病院で死亡

顔面背面両上肢火傷による肺水腫並びに腎不全

78

三重野守

21

45.4.21

午前11.43ころ

前記工事現場付近において受傷し、同市西区南堀江大通一の一大野病院で死亡

頭部打撲、脳震盪性脳腫脹による就下性肺炎

79

山田静夫

15

45.6.25

午前7.44ころ

前記工事現場付近において受傷し、同市東区常盤町一丁目三六番地長原病院で死亡

頭部打撲、脳機能障害による就下性肺炎

別表二

受傷者一覧表

(注) 受傷の場所欄中、Aは大阪市北区菅栄町 Bは同市大淀区国分寺町 Cは同市同区吉山町 Dは同市北区吉山町 である。

番号

氏名

受傷当時の年令

受傷の場所

傷害

傷害の程度

(加療期間(約))

1

水嶋尋子

33

B五番地先路上

左下腿右足部挫滅創、左大腿右大腿挫創等

二一ケ月

2

田中満

12

B四番地先路上

顔面頭部背部等火傷、骨盤骨折等

一五ケ月以上(昭和四六年七月二三日当時拘縮切除術のため入院加療中)

3

原田弘

29

A四九番地先路上

頭部打撲、右下腿複雑骨折等

八ケ月(後遺症として歩容跛行、右足関節等歩行時鈍痛、腓骨神経麻痺、足関節運動制限等)

4

船曳優

23

B四番地先路上

右足首右肩腰挫傷等

八ケ月

5

新垣信秀

47

B四番地の六先路上

右下腿開放性骨折、胸部挫傷

二〇ケ月

6

江藤孝雄

18

A五二番地先路上

腹部右胸部挫傷等

一九ケ月

7

松本三津子

44

B五番地先路上

左膝関節開枚骨折挫滅創、頭部外傷等

一三ケ月以上(昭和四六年五月一一日当時加療中)

8

清家吉明

21

B四番地先路上

左股関節脱臼兼臼蓋骨骨折等

一三ケ月以上(昭和四六年五月一一日当時通院加療中)

9

寺西敏夫

23

右同

左大腿骨折、右第四、五中手骨々折

一八ケ月

10

松本清

23

右同

第四腰椎圧迫骨折、左下腿開放性骨折、右膝蓋骨右舟状骨右楔状骨々折

一三ケ月以上(昭和四六年五月二六日当時脊椎固定術を予定して経過観察中)

11

浅野円次郎

65

右同

右大腿膝蓋骨開放性骨折、頭蓋骨々折、頭部挫傷

一二ケ月以上(昭和四六四月一五日当時入院加療中)

12

下村広志

33

B五番地先路上

膵臓破裂、左大腿骨折等

一三ケ月

13

紀平茂一

34

右同

右大腿骨複雑骨折、左大腿骨々折、右尺骨々折等

一八ケ月

14

黒原素道

27

右同

左膝関節開放性脱臼、右距骨舟状骨々折等

一二ケ月以上(昭和四六年四月一日当時手術予定)

15

巽美津子

35

A四九番地先路上

左肩挫傷等

一八ケ月

16

竹下英治

25

右同

頭部下口唇挫創、右大腿骨々折等

一九ケ月

17

橋本艶子

47

B五番地先路上

頭部顔面挫創、頸部腰部両膝部挫傷

一三ケ月以上(昭和四六年五月一〇日当時残存症状が存在)

18

上村豊子

23

右同

内臓破裂、穿孔性腹膜炎兼腹腔内出血等

一七ケ月

19

森博

42

右同

頭部顔面挫創、左鎖骨々折等

一七ケ月

20

佐藤真次

21

右同

右上腕開放性骨折、両下腿足火傷第三度等

一七ケ月

21

植野悦明

12

右同

頭部挫傷、頭蓋骨右大腿骨々折等

一五ケ月

22

武富直和

22

B四番地先路上

右リスフラン関節脱臼、右第二中足骨々折、右第一楔状骨々折

一六ケ月

23

足立幸夫

22

右同

左下腿開放性骨折、左膝火傷二度、左第一中足骨々折等

一六ケ月

24

島崎雅充

18

右同

頭部外傷第三型、右足立方骨々折

一四ケ月以上(昭和四六年六月一日当時入院加療中)

25

野本富幸

20

B四番地先路上

頭部外傷三型、下顎部切創、左大腿骨々折等

一五ケ月

26

告野正一

53

A四七番地先路上

頭頂部左前胸部挫傷

一五ケ月

27

岩井三郎

27

A四九番地先路上

左上腕挫滅創等

一四ケ月

28

三木喜美子

42

右同

頭部外傷等

一六ケ月

29

土井孝夫

19

A四〇番地先路上

骨盤骨折、腹腰部左大腿下腿挫傷

四八〇日

30

岸間実

34

B一番地先路上

第二、三腰椎圧迫骨折、左大腿挫傷等

一二ケ月

31

金城福江

12

B五番地先路上

頭蓋骨々折、頭蓋内出血等

四四九日

32

畠山忠昭

23

右同

頸椎挫傷、頭部挫滅創、右膝擦過傷、右大腿打撲擦過傷

四四九日

33

湯佐和亮

22

右同

頭部外傷二型、右前側頭部打撲、右大腿骨々折

四三八日

34

中尾正子

24

D三七番地大阪南長柄郵便局内

左足挫傷兼第一楔状骨々折

四三〇日

35

新里春子

42

C三番地先路上

顔面挫創兼火傷

四〇七日

36

藤田和彦

23

B五番地先路上

顔面両手第二、三度火傷

四〇三日

37

橋本孝俊

32

右同

左膝蓋骨左肩胛骨々折等

三八八日

38

瀧川博文

40

A三九番地先路上

第六頸椎棘突起骨折等

一一ケ月

39

市川修一

19

A四九番地先路上

骨盤恥骨々折等

三七八日

40

右田満男

30

B五番地先路上

両上肢及背部顔面頸部第三度火傷

三七〇日

41

富島資郎

28

A四九番地先路上

左尺骨々折、左前腕顔面右下腿擦過傷

一二ケ月

42

高野資布

28

右同

右臂部大腿挫創

三六五日

43

梶川敬子

20

右同

頭部外傷二型、頭頂部縫合創、右肘腰部右手打撲縫合創等

三二四日

44

小沢晴義

54

A四八番地先路上

頭部外傷後遺症、メニエル症候群

三五八日

45

森信行

23

A五二番地先路上

後頭部挫創、脳腰部挫傷等

一二ケ月

46

池田滋

18

B四番地の六先路上

両大腿開放性骨折、頭部挫傷並挫創

三二一日

47

北浦房蔵

29

B五番地先路上

頭部外傷(頭蓋骨々折を伴う)、頭部挫創、右下腿骨折等

三ケ月

48

合原香代子

26

A五二番地先路上

左膝部右膝部下腿足蹠挫創等

三五一日

49

竹田静子

33

右同

外傷性頸部症候群

三四九日

50

橋元ミエ

35

A四九番地先路上

顔面挫創、腰部左大腿左肩右足挫傷等

三四九日

51

萱谷道匂

36

A五九番地先路上

骨盤第二、三腰椎々体骨々折

三四二日

52

中辻佳子

39

B五番地先路上

外傷性神経痛、むちうち症等

一二ケ月

53

鈴木茂

22

右同

左腓骨小頭剥離骨折、腰部左肘部左足関節挫傷等

三二七日

54

奥田元一

40

右同

脳挫傷、右足挫滅創兼開放性骨折等

一一ケ月

55

新田行広

21

A四九番地先路上

頭部挫創等

八ケ月以上(昭和四五年一二月一七日当時通院加療中)

56

宮村きぬ子

43

B五番地先路上

後頭部打撲症、外傷性頸椎症、第二頸椎骨折

二八八日

57

中田梅子

53

右同

左鎖骨左前腕骨々折、右前腕左上腕擦過挫傷

二八一日

58

田中信義

33

A五九番地先路上

右下腿骨下端開放性骨折、右足関節脱臼

二一四日

59

沢田嘉千代

29

右同

頭頂部後頭部挫滅創、左下腿右第五肋骨々折

一九一日

60

西和夫

23

B五番地先路上

左膝蓋骨粉砕骨折

六ケ月

61

曽我部文夫

20

B四番地先路上

右大腿骨左骨盤骨折、外傷性二次性ショック

四ケ月

62

仁村喜美子

26

右同

頭頂部打撲傷、頸部捻挫

三ケ月

63

山本八郎

22

A六一番地先路上

顔面両手両下肢第二度火傷

一〇〇日

64

小椋基行

30

C三番地先路上

顔面両手前腕第二度火傷

一〇〇日

65

川中伸子

37

B四番地先路上

後頭部割創等

一〇〇日

66

中川一

44

A五九番地自宅

左膝蓋骨複雑骨折、頭部挫創

八ケ月

67

諸藤幸男

18

A四〇番地先路上

左前腕挫傷、左膝蓋骨ケ折

三ケ月

68

数田義治

17

右同

右下腿右膝関節挫傷、左下腿挫創等

三ケ月

69

中村隆治

37

A四七番地先路上

両内耳性難聴

三ケ月

70

柴田安子

11

A五九番地先路上

両足両手腕顔面火傷

三ケ月

71

石上允彦

26

B四番地先路上

全身打撲症、顔面擦過傷、両下肢感染創

三ケ月

72

田垣内保雄

37

B四番地の六先路上

腹部腰部挫傷、左下肢挫創、左大腿骨ケ折

三ケ月

73

渡辺俊夫

19

右同

腰部打撲、第三、四腰椎横突起骨折等

三ケ月

74

森見征史

28

B五番地先路上

頭部顔面右手挫創、口腟内貫通創等

三ケ月

75

広井信夫

19

右同

全身性第二度熱傷、全身性打撲症

三ケ月

76

福井滋

54

右同

右骨盤骨折、顔面挫創右上腕両手擦過挫創

九〇日

77

前田芳旺

43

B四番地先路上

頭部打撲傷、頸部捻挫

九〇日

78

華山静子

20

A四九番地先路上

頸性頭痛症、後頭部打撲

三ケ月

79

井並道範

33

B五番地先路上

右膝関節挫傷(関節血腫)

八〇日

80

山口貴之

8

右同

左大腿骨開放性骨折等

三ケ月

81

池畑清一

40

A一六番地先路上

左手指挫創、左胸部挫傷等

三ケ月

82

間崎洋一郎

28

A五二番地先路上

両耳管狭窄症及び耳鳴り症、両側中耳炎残胎症

六八日

83

長束フク

76

A五九番地自宅

右膝部挫傷、左肩挫傷

二ケ月

84

土井すま

64

C一一番地自宅

外因性ショックによる心筋硬塞不眠症、頭痛

二ケ月

85

野中孝一

40

A六七番地福寿荘内

頸部捻挫、前額部打撲傷

二ケ月

86

影山久子

47

C五番地先路上

右膝関節捻挫症

二ケ月

87

田中誼明

42

D三七番地先路上

腰部捻挫

二ケ月

88

深川邦彦

27

C三番地先路上

顔面火傷第三度、頸部頭部両手火傷第二度、右膝擦過創

二ケ月

89

田中正弘

22

右同

頭頂部打撲裂創、顔面頸第三度火傷、左下腿足骨折

二ケ月

90

久保時

76

C五番地自宅

外因性ショック(高血圧増悪)

二ケ月

91

本家国太郎

76

D三七番地先路上

外因性ショック(高血圧増悪)

二ケ月

92

松木悦夫

24

B四番地の六先路上

顔面打撲挫創擦過傷、左肩打撲、左肩鎖関節捻挫等

二ケ月

93

中沢勝己

12

右同

膝関節部挫創、右大腿骨々折、腰脊部挫傷

二ケ月

94

野村弘二

23

右同

背部打撲傷兼擦過傷、腰部捻挫、右膝部挫傷

二一日

95

内田普康

18

B五番地先路上

顔面火傷、右第六肋骨骨折等

二ケ月

96

野村壽

33

右同

右膝関節前方脱臼、(膝関節部腱断裂、血腫)

二ケ月

97

村上実

52

右同

前額部挫傷、右手背左下腿挫創、左胸部左膝部打撲、頸椎捻挫

二ケ月

98

福田耕治

23

右同

頭蓋開離、恥骨右尺骨左膝蓋骨々折脱臼等

二ケ月

99

大内光幸

21

右同

右膝部腱部分断裂兼打撲挫創、頭部打撲

二ケ月

100

谷馨

33

右同

顔面頸部熱傷第三度、両手熱傷第二度

二ケ月

101

岡本こと

康三鈺

35

A四九番地先路上

顔面両手背火傷第二度、左下腿挫傷、腰部挫傷

二ケ月

102

森田伊津子

13

右同

急性一酸化炭素中毒、右第三指挫創

二ケ月

103

野口信義

40

右同

左第四、五、六肋骨々折、左下腿骨々折

二ケ月

104

青木徳全

31

右同

背部打撲、続発性不安神経症等

二ケ月

105

三浦一恵

13

右同

頭頂部挫傷

二ケ月

106

塚本竹次郎

56

A五一番地先路上

右大腿部挫傷、腰部捻挫

二ケ月

107

山村静子

62

A六二番地豊国温泉内

外因性ショック(高血圧増悪)

二ケ月

108

野中敬子こと

冨士早苗

40

A六七番地、福寿荘内

頸部捻挫

二ケ月

109

大下尚子

4

B三番地先路上

顔面右手右下腿第二度火傷等

二ケ月

110

田中才市

74

B五番地先路上

胸部顔面挫傷

二ケ月

111

古藤忠

23

右同

頸部打撲、右手挫創

二ケ月

112

平善一郎

37

B五番地松井実方

両耳管狭窄症、両混合性軽度難聴等

二ケ月

113

城之内繁

33

右同

左膝関筋挫傷、外傷性頭部症候群等

二ケ月

114

時初代

28

D三三番地先路上

左膝関節左肘挫傷、左坐骨神経痛

二ケ月

115

橋谷勇

43

A五六番地の二先路上

頭部顔面右前腕第二度熱傷、両側混合性軽度難聴等

二ケ月

116

片岡義明

43

C三番地先路上

両耳管狭窄、両側混合性難聴、両側耳鳴

二ケ月

117

神谷清実

26

A四九番地先路上

頭部外傷第一型挫創、右手挫傷兼擦過傷

二ケ月

118

中川陽美

37

A五九番地自宅

頸椎捻挫、頭部挫創

一ケ月

119

並里伸一

6

B四番地の六先路上

顔面両下肢第一、二度火傷、両耳管狭窄症等

二ケ月

120

木本浩

29

A四九番地先路上

右下腿左母指挫創、腰部挫傷等

五〇日

121

松島久

22

B五番地先路上

右下腿部左手関節部挫傷等

四九日

122

柏原肇

10

A五九番地先路上

頭部外傷三型、顔面脛部四肢左下肢爆傷火傷一―三度

四八日

123

安土利子

31

C九番地、鹿島紙工所内

心機能不全症

四七日

124

瀬頭博

28

B五番地先路上

第二度火傷

四七日

125

永野基昭

30

右同

後頭部汚染性縫合挫創頭部外傷第二型等

四六日

126

広野恵津

28

A四七番地先路上

左膝打挫創

四五日

127

東秀穂

45

A五二番地先路上

前頭部熱傷、左手挫創、両混合性高度難聴等

四五日

128

田村幸次郎

54

A六一番地先路上

頭部外傷、後頭部挫創

四五日以上(昭和四五年五月二五日当時通院加療中)

129

梅北隆八主

41

B四番地先路上

頭部外傷第三型、顔面挫創等

四五日

130

米子加代子

38

B四番地自宅

左下腿右足背挫創、一酸化炭素ガス中毒後遺症状、精神性ショック

四四日

131

穂園春男

22

B四番地先路上

頭頂部打撲

四四日

132

北口良子

27

B一番地先路上

外傷性頸部症候群、右足背部挫傷

四二日

133

高田恵子

21

A四九番地先路上

頭部外傷第一型、頭部挫創等

四一日

134

松田真美

7

A六五番地先路上

頭頂部後頭部挫創、左環指挫創、右下腿挫傷

四一日以上(昭和四五年五月一八日当時通院中)

135

久保憲之亟

75

B四番地先路上

爆発ショック心不全

四〇日

136

松下千鶴子

22

A四九番地先路上

頸部後頭部挫傷、第二腰椎圧迫骨折等

四〇日

137

長浜一枝

24

C一番地先路上

頭部切傷、左肩上腕部挫傷等

三九日

138

緒方敬子

17

C五番地、自宅

右膝関節症

三九日

139

矢野浩

36

A五九番地先路上

外傷性項部症候群等

三九日

140

小島藤太郎

87

C一一番地自宅

外因性ショックによる浮種

三八日

141

永田幸雄

67

A五二番地先路上

爆発ショック高血圧症等

三八日

142

西川静子

25

B四番地先路上

左下腿挫創

三七日

143

谷崎哲夫

34

B五番地先路上

頭部左肩挫傷

三七日

144

川口明子

9

大阪市大淀区長柄中通一丁目二三番地先路上

顔面両膝関節部左前腕火傷第二、三度

三六日以上(昭和四五年五月一三日当時通院加療中)

145

河野敬子

28

A四九番地先路上

左膝蓋部下腿擦過創、左肩部打撲擦過創

三六日

146

金津武弘

22

B五番地先路上

左膝部左下腿頸部挫傷、頭部挫創

五週間

147

松井光子

42

B五番地自宅

腰部臂部打撲傷、左右肘部手部右下腿右第二趾切創等

五週間

148

紫田勝則

25

A六〇番地先付近路上

頭部打撲、右肩部打撲血腫等

三三日

149

時勲

34

D三七番地先路上

臀部打撲

三五日

150

松岡睦治

62

右同

頸部挫傷

三五日

151

金城和美

14

B四番地先路上

両下肢挫傷

三四日

152

古沢富義

34

A四九番地先路上

左母指部打撲擦過傷、腰部右肩挫傷

三三日

153

弓削一利

45

B五番地先路上

左第四指弁状挫創、右前膊挫創

三一日

154

新里安子

11

C三番地先路上

左前腕骨折、両膝関節下腿挫創等

二ケ月

155

一門文雄

30

B四番地先路上

顔面熱傷、左手擦過傷

一ケ月

156

大島正博

24

右同

臀部打撲擦過傷、頸部捻挫

一ケ月

157

島内宏

28

右同

顔面挫創、頸部打撲挫傷、右膝挫傷

一ケ月

158

石川定四郎

63

右同

右腓骨々折及び擦過傷、頭部外傷

一ケ月

159

井関松博

18

B四番地の六先路上

頭部外傷二型、左腸骨部左下腿打撲擦過傷等

一ケ月

160

石井はる

71

B五番地自宅

頭部外傷一型、顔面挫傷擦過傷等

二ケ月

161

加藤正文

38

B五番地先路上

胸部打撲

一ケ月

162

池田久盛

25

右同

顔面両手熱傷第二度、左大腿挫傷

一ケ月

163

西条保幸

31

右同

左足関節左膝関節挫傷、顔面挫創

一ケ月

164

富安敏郎

18

右同

顔面左右両手背火傷

一ケ月

165

城井こと

甲斐田正子

38

右同

頭部外傷第一型、頭頂部挫創等

一ケ月

166

前田生起

19

右同

顔面左手第二度火傷

一ケ月

167

榎本徹

23

右同

顔面両手第二度火傷

一ケ月

168

前田宏久

18

右同

顔面熱傷第二度、左手熱傷第二度

一ケ月

169

加藤美佐生

25

右同

両膝関節打撲擦過傷、右下腿打撲等

一ケ月

170

納良充

18

A四〇番地先路上

右手掌左膝挫創

一ケ月

171

西本祥之

25

右同

左膝部挫傷、表皮剥離

一ケ月

172

徳山こと

洪吉男

25

A四九番地先路上

顔面熱傷第二度、左手熱傷第一度、胸背部挫傷

一ケ月

173

柳原茂義

69

C五番地自宅

外因性ショックによる高血圧増悪

三〇日

174

北本道子

22

B五番地先路上

左肩胛胸背部両側膝挫傷等

三〇日

175

奥村護

24

右同

顔面頭部両手第二、三度熱傷

三〇日

176

白川オト

76

B一八番地自宅

高血圧症(爆発ショック)

三〇日

177

荒山慶子

14

大阪市北区天満橋六丁目二七番地淀川新温泉内

頭部両足打撲傷

三〇日

178

藪内英男

37

A四九番地先路上

頭頂部挫創

三〇日

179

秋田逸士

69

A五六番地先路上

顔面右足裂傷

三〇日

180

浜口哲雄

22

B五番地先路上

顔面頭部両手第一、二度火傷等

二八日

181

田中克佳

13

A四七番地先路上

顔面右大腿左大腿下腿熱傷第一、二度等

二八日

182

川上幸雄

20

B五番地先路上

顔面及び両前腕第二、三度火傷

二七日

183

川畑秋男

21

D三七番地先路上

右肘部挫傷

二七日

184

野上悦子

23

A四七番地先路上

両膝左下腿挫傷

二七日

185

代々岩男

22

A五九番地先路上

頭部切創、左頸部熱傷一度、左足関節打撲捻挫、左足関節挫傷

二七日

186

村田弘

13

右同

熱砂による熱傷等

二七日

187

松波明宏

8

A六一番地先路上

顔面両上下肢火傷等

二七日

188

多田明世

8

B四番地の六先路上

顔面第二度火傷等

二五日

189

森道子

38

A四九番地先路上

前額部頭部割創等

二五日

190

宮島笑美子

22

右同

頭部右上腕左膝打撲傷等

二四日

191

山本比都美

39

右同

頭部頸部左側胸部挫傷等

二四日

192

藤井宏

47

B四番地先路上

顔面挫創、腰背部打撲挫創等

二三日

193

古財慶市

13

B五番地先路上

右足挫創、右距骨々折

二三日

194

奥野恵美子

19

A四九番地先路上

右側頭部両下腿部打撲挫傷

二三日

195

西本護

42

右同

左橈骨皹裂骨折、頭部挫傷

二三日

196

中野憲夫

21

A六一番地先路上

腰部捻挫

二三日

197

石川茂一

69

C五番地自宅

前胸部左側胸部挫傷

三週間

198

芳村良子

48

C一一番地先路上

外因性ショックによる高血圧症の増悪

二週間

199

渡辺彰男

45

B四番地先路上

右腰部挫傷、右中指根部挫傷

三週間

200

吉川芳次郎

17

B五番地先路上

頸部捻挫、頭部右下腿挫創等

三週間

201

森田健二

24

右同

顔面第二度火傷、右腰部打撲挫創等

三週間

202

鈴木勝己

28

右同

腰部捻挫兼挫傷、右膝部挫傷

三週間

203

神宮菊一

68

右同

顔面頭部両手第二度熱傷

三週間

204

横田松太郎

68

右同

顔面火傷第二、三度等

三週間

205

清水勝士

22

右同

顔面挫創、右下腿腰部挫傷等

三週間

206

由見義文

17

A四九番地先路上

腰臀部、右手背中指打撲傷、頸椎捻挫

三週間

207

清水昭

35

右同

頸部捻挫、背部左肩部挫傷

三週間

208

小林亨彦

21

B四番地先路上

右示指裂創、頭部外傷第二型

二一日

209

木下勉

34

右同

左下腿挫創

二一日

210

水島睦夫

27

B五番地、松井実方

頭部右耳左示指挫創等

二一日

211

山本修二

40

A四六番地先路上

頭部打撲傷

二一日

212

森中幸江

22

A四七番地先路上

一酸化炭素中毒

二一日

213

尾崎友紀子

21

A五九番地先路上

多数角膜、結膜異物、角膜擦過傷

二一日

214

上田孝江

22

B五番地先路上

右膝関節、右足関節足背挫傷等

二〇日

215

伊藤勝己

28

A五二番地先路上

両下腿打撲挫傷、左足刺創、左小指挫傷

二〇日

216

伊藤篤

47

B四番地先路上

右大腿挫傷、下腿裂創

一八日

217

山元登美子

17

右同

両膝左手掌挫傷

一八日

218

高畑弘子

24

B五番地先路上

両膝部強挫傷並びに擦過傷

一八日

219

吉本克己

35

右同

腰部捻挫

一八日

220

山本秀樹

18

B五番地、国分寺ビル四階四〇一号黒田安雄方

両耳管狭窄、頭部打撲等

一八日

221

竹中修

26

A四九番地先路上

頭部右背部打撲傷等

一八日

222

福島好則

20

A五二番地先路上

左側頭部挫創

一七日

223

冷田衛

30

D三七番地先路上

前胸部挫傷

一六日

224

清水匡博

13

A四九番地先路上

右頸部耳部左顎部第一、二度熱傷、右足底切創

八日

225

小牧輝雄

15

A五二番地先路上

耳鳴頭重感、幻聴

一六日

226

竹内義雄

18

A六一番地先路上

後頭部割創

一六日

227

平戸アツ子

24

B五番地自宅

頭部外傷第二型

一六日

228

西畑清子

34

B五番地、竜野コルク工業株式会社大阪連絡所内

両耳管狭窄症等

一六日

229

川建誠次

43

B五番地先路上

顔面両手第二度熱傷

一六日

230

貞森正二

12

右同

後頭部挫傷、顔面左手背挫創

一五日

231

林田章成

30

A四七番地先路上

頭部外傷第一型、頭部顔面挫傷等

一五日

232

高橋充生

22

A四九番地先路上

左背部打撲傷、右背部両前腕手部挫創

一五日

233

塩尻新次

24

右同

頭部挫創、両手左前腕切創

一五日

234

富太康仁

8

右同

頭部外傷、左前頭部挫傷、左足挫傷等

一五日

235

長束節子

35

A五九番地自宅

両下肢挫傷

一五日

236

大坪忠始

27

B四番地先路上

腰部挫傷、頸部捻挫

二週間

237

木田弘正

21

右同

左第五肋骨々折等

二週間

238

岡藤敏治

28

A五九番地先路上

頸椎捻挫等

二週間

239

原田勝義

27

B五番地先路上

顔面両手背第一、二度熱傷

二週間

240

津野欣三

22

右同

左膝頸部右耳介後部挫創

二週間

241

田辺博一

19

D四七番地先路上

顔面頭髪両耳火傷

二週間

242

志磨村詔

17

A四〇番地先路上

右前腕手挫傷、左手挫傷、左膝部下腿挫傷

二週間

243

長谷川達智

12

A四七番地先路上

顔面第二度熱傷、右手第一度熱傷

二週間

244

関口了

51

右同

頭部裂傷、左小指裂傷

二週間

245

竹内正明

22

A四九番地先路上

両手挫傷、両膝部挫創

二週間

246

山中良男

41

右同

右下腿打撲挫傷

二週間

247

森元直雄

43

右同

右胸部打撲

二週間

248

尾上晴美

24

A四九番地、喜多ビル内

右膝挫創、左手掌左膝右足関節左母趾挫傷

二週間

249

宮武登志男

8

A五九番地先路上

前額部切創

二週間

250

大前照子

47

B四番地先路上

右膝挫創

一四日

251

高橋勝

25

B五番地先路上

左眼瞼部裂創、頭部打撲

一四日

252

前田三郎

7

右同

頭部挫創

一四日

253

塚由佳広

30

右同

顔面熱傷等

一四日

254

尾崎晋

14

D三三番地先路上

頸部捻挫

一四日

255

田中洋

36

A五六番地、シキシマビル三階天六タイフ゜アカデミー内

頭部外傷等

一四日

256

東利彦

12

A五九番地先路上

顔面熱傷、左足関節部挫傷捻挫

一四日

257

石上文彦

26

B四番地先路上

顔面両手腰部切創、全身打撲症

一三日

258

森真

10

B五番地先路上

顔面頭部第二熱傷

一三日

259

新谷昌義

37

右同

右肘関節、左膝関節挫傷等

一三日

260

西浦敏夫

22

右同

急性ガス中毒

一三日

261

高橋澄江

33

B五番地自宅

腰臀部挫傷

一三日

262

竹下美昌子

14

B五番地大阪屋ベーカリ内

両膝擦過傷等

一三日

263

柴千夜子

30

同市北区天満橋筋六丁目二七番地先路上

外因性ショック

一三日

264

田尻久子

49

A四九番地先路上

右大腿部挫創

一三日

265

近藤実

50

A五二番地先路上

頭部第一度火傷、右下腿打撲傷

一三日

266

三技和二

71

B四番地先路上

左膝、下腿打撲挫創

一二日

267

沖野和代

31

右同

左足第一趾捻挫血腫

一一日

268

十川忠雄

13

右同

頭部外傷、顔面挫傷

一一日

269

大重正和

21

B五番地先路上

頸椎捻挫、腰部打撲傷等

一一日

270

河内冨美子

61

C五番地自宅

高血圧症、自律神経失調症等

一一日

271

下向正成

20

B五番地先路上

左手背挫創、前額部打撲等

一一日

272

吉川たつえ

50

B五番地、吉川利一方

顔面頸部熱傷、両手関節挫傷

一一日

273

三浦ヨシ子

58

A四七番地先路上

外因性ショック

一一日

274

板谷幸代

27

A四九番地、喜多ビル内

右手掌挫創

一一日

275

大瀬麗子

19

A五二番地先路上

両下肢第二度火傷

一一日

276

田路美千子

19

右同

両下腿第二度火傷、頭部挫傷

一一日

277

浜中哲也

13

B四番地先路上

右足背挫傷等

一〇日

278

田中千恵子

9

B五番地先路上

顔面頭部右大腿下腿熱傷

一〇日

279

松井みどり

28

右同

腰仙骨部打撲傷等

一〇日

280

鈴木典雄

41

B五番地先地下鉄二号線延長工事現場

右肘関節挫傷

一〇日

281

藤崎峰敏

21

B五番地先路上

頭部打撲

一〇日

282

大西照夫

22

右同

右頬部右下腿部火傷

一〇日

283

木戸英治

7

右同

左足関節捻挫

一〇日

284

橋口和芳

21

右同

下口唇挫切創等

一〇日

285

植松信

28

右同

頸部右腰部捻挫

一〇日

286

山並夏夫

26

右同

背部左肘左大腿右足背打撲

一〇日

287

近藤寿子

26

A三八番地、淀川荘自宅

左足打撲傷

一〇日

288

斎藤文彦

27

A四九番地先路上

両手顔面第二度熱傷、右腰部挫傷

一〇日

289

秋友美恵子

20

右同

頸部捻挫、左膝関節炎

一〇日

290

真鍋紀美子

37

右同

左顎部挫傷等

一〇日

291

塩見しずえ

51

右同

両手掌部切創、右大腿部挫傷

一〇日

292

坂田清

26

右同

右下腿部切創

一〇日

293

大畑玄生

32

A五二番地先路上

後頭部挫創

一〇日

294

木谷茂

46

右同

頭部外傷第二型等

一〇日

295

難波加代子

23

右同

頭部右上腕打撲

一〇日

296

平田雄一

18

A五六番地先路上

前額部打撲挫傷、右手打撲切創

一〇日

297

大峪弘

右同

右同

腰部打撲捻挫

一〇日

298

島田信彦

25

A五九番地先路上

背部打撲捻挫、右膝部挫創

一〇日

299

清水宏二

11

右同

左第一肋骨々折

一〇日

300

中野竜一

48

右同

頭部挫創

一〇日

301

松田千佳子

21

右同

両下肢頸部第一度熱傷等

一〇日

302

富士本弘亘

50

D三七番地先路上

右肘部挫傷擦過傷等

一〇日

303

牛山與九郎

68

B一番地先路上

左右肩打撲傷

九日

304

木戸澄技

35

B四番地先路上

左右膝関節部挫傷

九日

305

山本洋司

25

右同

左膝下腿右下腿擦過傷

九日

306

木戸信一

9

B五番地先路上

両膝関節部挫創算

九日

307

吉田昭夫

26

A四九番地先路上

頭部裂傷、頭部外傷等

九日

308

北浦六左エ門

51

右同

右頬部右前頭部挫創等

九日

309

高橋サダ

60

A五六番地自宅

顔面頸部両手挫傷等

九日

310

済藤清秀

65

A五九番地自宅

左手背挫傷

九日

311

宮崎克

37

A五九番地先路上

左頬部裂創、左手挫創等

九日

312

宇野寿

34

右同

頭部外傷等

九日

313

半田芳美

22

右同

頸部熱傷第一度、左手背擦過傷等

九日

314

牛山義雄

43

B一番地先路上

右胸部頭部右腰部打撲傷

八日

315

藤岡雅宣

18

B五番地先路上

頭部外傷、右肩胛部挫傷等

八日

316

木村徳次

30

右同

左肩左肘左膝圧挫傷

八日

317

笹義昭

34

B五番地先地下鉄二号線延長工事現場

ガス中毒

八日

318

丹羽康子

22

A四七番地先路上

左下腿挫創

八日

319

植田初子

56

A四九番地先路上

左第一指挫創、腰部捻挫等

八日

320

楠原勲

26

A四九番地、喜多ビル内

左手挫傷等

八日

321

谷野孝行

22

右同

顔面左手挫傷兼擦過傷

八日

322

岡野健二

18

A五五番地先路上

右後頭部挫傷

八日

323

田中祐貴子

8

右同

左前額部打撲擦過傷等

八日

324

加藤容子

3

A五七番地先路上

左足裂傷

八日

325

徳和田準治

23

A五九番地先路上

左顔面左中指打撲傷、右手火傷

八日

326

森分ナヲエ

65

B四番地先路上

頭部外傷第一型、外傷性ショック

一週間

327

平野雅俊

15

B五番地先路上

右膝部右足関節部腰部挫傷等

一週間

328

佐々木寛

25

B五番地先地下鉄二号線延長工事現場付近

急性一酸化炭素中毒

一週間

329

石本寛

26

B五番地先路上

顔面両手部熱傷

一週間

330

伊藤千年

41

B五番地先地下鉄二号線延長工事現場付近

急性一酸化炭素中毒

一週間

331

山崎安弘

28

右同

急性一酸化炭素中毒

一週間

332

釘宮睦

43

右同

急性一酸化炭素中毒

一週間

333

岸田スエミ

27

A四七番地先路上

右背部、右大腿挫傷等

一週間

334

広居喬

31

A四九番地先路上

頭部顔面頸部爆傷

一週間

335

藤原功三

18

右同

頭部切創

一週間

336

三好芳子

35

右同

頭部外傷等

一週間

337

杉元憲二

19

A五二番地先路上

左前腕挫傷等

一週間

338

草野ツマ

58

A五七番地先路上

頭部外傷等

一週間

339

小原厚子

26

A五九番地先路上

頭部打撲

一週間

340

城井こと

甲斐田奈緒美

11

B四番地先路上

膝関節頸部擦過傷

七日

341

山嵜信義

20

B五番地先地下鉄二号線延長工事現場

右膝右下腿打撲傷

七日

342

山之内初志

15

C三番地先路上

左膝関節挫傷等

七日

343

飯田慶子

27

A四九番地先路上

頭部顔面両大腿下腿熱傷

七日

344

寺本愛子

33

右同

頭部外傷

七日

345

伊藤よしえ

20

A五〇番地先路上

後頭部挫傷

七日

346

福井喜美子

18

A五七番地、竹内方

左臀部右大腿部打撲症

七日

347

林美知子

20

A五九番地先路上

頭部外傷

七日

348

久保八郎

48

右同

顔面左頭部頸部熱傷等

七日

349

山本英孝

29

A四七番地先路上

顔面右手掌挫傷等

六日

350

東一枝

45

A六五番地、自宅

心臓発作等

六日

351

多田敏幸

38

B四番地先路上

右側頭部挫傷

五日

352

川口一雄

38

B五番地先路上

顔面擦過挫傷等

五日

353

井戸正一

39

A四七番地先路上

頭部左大腿部挫傷等

五日

354

横山紀雄

24

A四九番地、ソアール工業KK内

顔面挫傷等

五日

355

枦山五美

20

A五九番地先路上

左顔面部右膝部打撲傷等

五日

356

倉岡悦子

25

右同

頭部打撲症

五日

357

古家奈穂美

10

B四番地先路上

右頬擦過傷、左右膝関節部擦過傷

四日

358

笹川浩子

9

右同

左足背擦過傷

四日

359

竹内洋治

27

B五番地先路上

頸部打撲

四日

360

大西千恵

21

A五二番地先路上

頭部挫創、右下腿挫傷

四日

361

倉本こと

崔善学

12

B四番地の六先路上

両中指火傷並びに切創等

三日

362

今井祥之

15

B五番地先路上

左膝右手掌打撲兼擦過傷

三日

363

水谷直行

7

B五番地自宅

右下腿左足部擦過傷

三日

364

加藤イソミ

37

B五番地先路上

頭部外傷

三日

365

秋田新太郎

53

A四九番地先路上

頭部右手背挫傷

三日

366

河野八郎

27

右同

後頭部打撲傷

三日

367

三浦義人

11

C三番地先路上

右肩胛部打撲症

二日

368

藤原勇平

27

B五番地先路上

ガス中毒等

二日

369

久保信夫

19

右同

頭部打撲

二日

370

大野福寿

27

右同

頭部背部打撲傷等

二日

371

山本喜代司

14

A四七番地先路上

左顔面右下腿部火傷

二日

372

原めり子

23

A五九番地先路上

顔面熱傷

二日

373

森本民子

37

右同

両上肢手指裂傷等

二日

374

高橋健三

23

A四九番地先路上

両膝関節打撲傷等

二日

375

松技豊

37

A六一番地先路上

ガス中毒

二日

376

浅尾末男

25

B四番地先路上

腰部挫傷等

一日

377

橋言久仁夫

38

右同

腰背部挫傷等

一日

378

福島稔子

25

A四〇番地先路上

右手右足挫傷等

一日

379

河内栄

21

A四九番地先路上

右前腕手打撲捻挫等

一日

380

川本久美子

24

A五九番地先路上

両膝裂傷、打撲傷

一日

別紙一

起訴状記載の公訴事実

被告人溝手吉正、同藤井俊造、同三上年一、同高橋久之および同田中淳は、いずれも土木建築工事の施工等を営業目的とする鉄建建設株式会社(以下鉄建建設と略称する。)の従業員で、被告人溝手は、昭和四二年五月一日同社大阪支店天六作業所所長となり、同四四年九月三〇日以降大阪市交通局が施主で、鉄建建設が請負施工した大阪市大淀区天神橋筋六丁目より同区国分寺町に至る高速電気軌道(以下地下鉄と略称する。)第二号線第四工区の建設工事(以下四工区工事と略称する。)の現場代理人として、大阪市交通局監督員の指揮監督の下に、同工事の施工を掌理する業務に従事していたもの、被告人藤井は、同日以降同工事の主任技術者兼現場監督として、被告人三上は同年一〇月一日以降、被告人高橋は昭和四五年四月一日以降、それぞれ同工事の現場監督として、いずれも被告人溝手の指示を受け、下請業者の作業員らを指揮監督して同工事を施工する業務に従事していたもの、被告人田中は、昭和四四年九月三〇日以降同工事の企画主任として、同工事の施工に必要な仮設工事の設計・企画等の業務に従事していたもの、被告人正木忠夫、同矢萩光孝および同岡本安雄は、いずれも大阪市技術吏員で、被告人正木は、昭和四二年四月一日以降大阪市交通局(以下交通局と略称する。)高速鉄道建設本部建設部第二建設事務所第一係長、被告人矢萩は、昭和三九年三月一日以降同建設事務所現場監督員、同四二年四月一日以降は主任監督員、被告人岡本は、昭和三九年四月一日以降同建設事務所現場監督員で、いずれも鉄建建設が施工する四工区工事の施工を指揮監督する業務に従事していたもの、被告人栗川末雄および同福井新司は、いずれも大阪ガス株式会社(以下大阪ガスと略称する。)技能員で、被告人栗川は、昭和四一年四月一日以降同社本管部管理課維持係員として上司の指示をうけ、地下鉄工事現場のガス導管の損傷、ガス漏洩等の事故防止のため工事の立会、巡回等の業務に従事していたもの、被告人福井は、昭和四四年二月ころ以降同社北営業所施設課保全係員として上司の指示を受け、同営業所の所管するガス導管の維持、管理、漏洩調査、工事の立会および緊急事故発生の際、自動車を運転して現場に赴き、事故防止のための広報活動など臨機の措置を執る業務に従事していたもの、被告人上田金一は、野口重機工業株式会社のドーザショベルの運転手として、昭和四五年三月六日ころより、同社が鉄建建設から請負施工した四工区工事のドーザショベルによる土砂の掘さくおよび運搬の業務に従事していたものであるが、

第一、四工区工事は、東西に通ずる全長約三〇六メートルの市道を、路面から地下へ約一九メートル掘さくし、下部に地下鉄のトンネルを構築したうえ、土を埋めもどすいわゆるオープンカット方式と称する工法に準拠したものであるところ、右道路の下には、電話線ダクト、水道管等のほか、道路北寄りには、口経三〇〇ミリメートルの中圧ガス本管(以下中圧管と略称する。)が、これに近接してその南側に口経五〇〇ミリメートルの低圧ガス本管(以下低圧管と略称する。)が、いずれも道路に並行して埋設されていたため、地下掘さくにあたつては、これらの埋設物を露出懸吊する必要があつたので、路面下に懸垂桁と称する鋼材を二メートル間隔に南北に架設し、これにU字型の鉄製ボールト(直経約一三ミリメートル、長さ約一メートル)を等間隔に取り付け、これでガス導管の管下を支えて懸吊するいわゆるバンド懸垂の方法を採用したものであるが、右ガス導管は、昭和三七年六月ころの移設工事により、東側に隣接する五工区との境界から西へ約八七メートルの箇所で、いずれも約九〇度の角度で南側に曲折し、しかも電話線ダクト等他の埋設物の上方を山型状に跨いで立体交差し、約七・五メートル南寄りで、さらに約九〇度の角度で西側に曲折して埋設されるという複雑な曲管部を構成しており、このため、右山型状になつたガス導管のうち、中圧管の上面は長さ約四メートルにわたつて路面下わずか約五〇センチメートルの深度にすぎない状態となつていたものであるところ、

一、被告人溝手、同藤井、同三上および同高橋は、それぞれ昭和四五年四月初ころから同年四月八日午後三時ころまでの間に、四工区工事現場において、右曲管部およびその周辺の掘さく懸吊作業を実施するにあたり、中圧管曲管部は、直管部に比し、そのガス内圧力の作用を強く受けているので、その掘さく懸吊に際しては、右曲管部付近継手部の抜け出しを防止するため、曲折部の固定、継手部の補強等いわゆる抜けどめ防護の措置を講ずることが一般に要請される工法であるうえ、大阪ガスにおいても、右工事のガス導管懸吊作業の実施にあたつては、中圧管曲管部には抜けどめを施すべきことを「ガス管懸吊についての承認書」に明示しており、さらに四工区のガス導管の曲管部は、前記のようにその構造が複雑であるのに加えて、深度がきわめて浅く、長期にわたる路面通行車両による振動ならびにくり返し荷重を受け、かつ工事施工の過程で、ガス導管に近接して鋼材の打設を行なうなど、ガス導管が外力による影響を受け易い状況にあり、このため中圧管曲管部の継手が脆弱となつていて脱落する危険性があつたのであるから、右曲管部の防護には特段の意を用い、その工法については、交通局ならびに大阪ガス係員らの指示を受け、あるいは自ら適切な方法により曲折部の固定、継手部の補強をするなど、中圧管の継手部の脱落を防ぐためいわゆる抜けどめの措置を講じ、また掘さくに際しては、ガス導管等の埋設物に接近して、機械掘りを行なうことを避け、土砂掘さく運搬に際しては、ガス導管等に損傷、衝撃を与えないよう立会人を配置するなどして、作業員の監督監視を厳にし、さらにガス導管の懸吊にあたつてはその横振れを防止するため、施工図の定めるところに従い、五メートル間隔に鉄筋による振れどめを施工しなければならず、かつ右懸吊作業に伴う掘さくは、それが直管部であつても、ガス導管の自重によるたわみを防ぐため、懸吊のつど、その懸吊箇所ごとに懸垂ボールトを挿入するのに必要な限度で管下の土を手掘りするいわゆる「狸掘り」と称する部分掘さくの方法によらなければならないのであるから、曲管部付近の掘さくにあたつては、作業員をして右の方法による部分掘さくを順守せしめ、もつてガス洩れ等の事故を未然に防止するため万全の措置を講ずベき業務上の注意力があつたのにこれを怠り、(一)右曲管部の懸吊掘さくにあたり曲折部の固定、継手部の補強等中圧管曲管部の抜けどめの措置を講ぜず、(二)作業員らをしてガス導管に近接してドーザショベルによる土砂掘さく運搬をなさしめたうえ、その監視監督を怠つたため、これを曲管部付近の中圧管に接触させるなどし、同管の水取器付近継手部の劣化を促進させ、(三)同管の水取器より東へ約一七メートルの間にわたり、振れどめを施工せず、(四)曲管部ガス導管の懸吊にあたり、作業員らをして狸掘りの方法によらず、懸吊に先立つて管下の土砂を一時に多量に除去せしめるなどのずさんな工法を執り、曲管部のガス導管防護について適切な措置を講ずることなく、漫然これを放置して工事を続けさせた過失により。

二、被告人田中は、右工事施工に必要な仮設工事の企画・立案、設計等を行なうにあたり、工事現場のガス導管に曲管部があることを知つており、かつ前記のように大阪ガスも中圧管曲管部に抜けどめを施すべきことを明示したものであるから、右曲管部の埋設状況等を十分把握し、交通局および大阪ガスの工事関係者と必要な協議を遂げたうえ、抜けどめ防護の工法を明示した曲管部の懸垂方法に関する施工図を作成し、これを右工事の監督に従事するものに交付して工法上適切な指示を与え、もつて事故発生のおそれのある工法が執られないように万全の措置を講ずべき業務上の注意義務があつたのにこれを怠り、昭和四五年三月上旬ころより同年四月七日ころまでの間に、同市北区吉山町四〇番地の六所在の鉄建建設大阪支店天六作業所において、ガス導管の埋没状況の実態等を調査把握しないで、その曲管部には継手がないものと速断し、単にガス導管の直管部のみの懸垂図を作成してこれを現場監督員に交付し、その後工事現場に臨んで右曲管部に継手があることを知つたにもかかわらず、交通局および大阪ガスの工事関係者と十分協議するなどの措置を執らず、また、工事施工の監督に従事するものにもなんら特別の工法を明示しないで、田口千尋ら鉄建建設の監督員らをして抜けどめなど曲管部の補強防護の措置を執らせなかつた過失により、

三、被告人正木、同矢萩および同岡本は、それぞれ前記一記載の日時場所において、前記工事の施工を監督するにあたり、鉄建建設監督員らが、工事仕様書、ガス管懸吊についての承認図等の定めるところに従い適切に工事を実施しているかどうかを確かめ、工事施工上の過失があれば是正させ、その実施を確認し、かつとくに前記曲管部はガス導管防護の見地から工事遂行上重要な箇所であつたのに、施工図等にその懸吊方法について記載がなかつたのであるから、鉄建建設設計担当者をして、右曲管部分の懸吊ならびに防護の方法についてあらためて施工図を作成提出せしめてその当否を確認するとともに、埋設物企業者である大阪ガスの技能員に、懸吊作業の立会を求めるなど施工方法について十分な協議を遂げ、あるいは自ら鉄建建設監督員らに指示して、継手部抜け出し防止のための適切な工法を執らせ、かつ、振れどめの施工、部分掘さくの順守その他ガス導管に些少の損傷、動揺をも与えないよう懸吊掘さく作業の状況を監視し、もつてガス導管継手部の脱落による事故を防止するため万全の措置を講ずべき業務上の注意義務があつたのにこれを怠り、これらの方途を講じなかつたばかりでなく、前記のように鉄建建設監督員らが工法上の過誤により、ガス導管防護について適切な措置を講じていないことを知りながら、なんらこれに対し必要な是正措置を講じさせず、漫然これを看過放置した過失により、

四、被告人栗川は、前記一記載の日時場所において、前記ガス導管曲管部の掘さく、懸吊作業が実施されるにあたり、大阪ガス、交通局との協定等により、作業の自主的立会等を行ない、懸垂掘さくの状況を確認して、右作業がガス導管の防護に影響を与えないよう交通局ならびに鉄建建設の担当者に対し、必要な指示をなし、とくに右曲管部のガス管の埋設状態が前記のとおりであつて、工事施工に伴う、ガス漏洩等の危険が大であつたうえ、現に同月四日および同月六日の両日、右曲管部南側継手部において、ガス漏洩事故が発生していたのであるから、これに近接する同曲管部北側継手部の劣化についても配慮し、その防護については格段の意を用い、工事施工者に対し右継手部の抜け出し防止の措置を講じさせるなど、随時適切な指示助言を与え、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのにこれを怠り、(一)前記のようにガス管懸吊作業を実施するにあたり、大阪ガスより交通局に対し中圧管曲管に抜けどめを施すようとくに明示していたのにかかわらず、鉄建建設においてこれを施していないことを知りながら、交通局監督員らに対しこれが是正の指示、助言をせず、また、上司に実情を報告して適切な措置を執るなどの方途も講ぜず、漫然これを放置し、(二)鉄建建設の作業員らによる曲管部の掘さく作業の立会もせず、このため右作業員らが狸掘りをしなかつたことを看過し、鉄建建設等による右工法上の過誤を漫然放置した過失により、

五、被告人上田は、同年四月七日午後二時ころから同二時三〇分ころまでの間、右工事現場の中圧管水取器より約六メートル東方の同管およびその南側に隣接する低圧管の管下で、BS三型ドーザショベルを運転し、右中圧管の北側約一メートルの箇所に敷設された下水管の管下の土をバケットで掘さくし、これを搬出する作業に従事していたのであるが、同所付近の中圧管等の下の空間は、わずか約二メートルであつたから、この間にドーザショベルを導入運行させて前記下水管付近の土砂を掘さく搬出すれば、バケットの昇降操作により、ガス導管にバケットを接触させ、またはバケット内の土砂でガス導管を押し上げるなどして、これに衝撃を与え、ガス導管継手部にゆるみや離脱を生じてガスを漏洩させる危険が大であつたから、とくに運転を慎重にし、バケットを十分ガス導管の下に降ろして操作するなどこれをガス導管に接触させないよう万全の措置を講ずべき業務上の注意義務があつたのにこれを怠り、前記下水管の管下の土砂を掘さくのうえバケットに入れてこれを搬出しようとした際、バケットの操作を誤り、これを同所付近の中圧管に接触させ、その振動により、前記水取器西側の継手部に衝撃を与えた過失により、

右曲管部の懸吊作業が終了した同月八日午後五時二〇分ころ、前記のように路面車両の通行による荷重等によつて脆弱化していた中圧管曲管部の北側曲折部より約二・七メートル東寄りにある水取器西側継手部の接合力をさらに劣化させ、ガス内圧により徐々にガス導管を離脱させるに至り、同所より噴出したガスが、工事中の地下坑道内に充満して、さらにこれが覆工板の隙間等から路上に噴出し、

第二、被告人福井は、同年四月八日午後五時二二分ころ、大阪市大淀区国分寺町において、前記ガスもれが発生した旨の連絡を受け、直らに同営業所所属のニッサンライトバン型緊急パトロールカーを運転し、午後五時三二分ころ、同町五番地バー「オスロ」前の道路北側に到着し、一旦下車したあと、午後五時三九分ころ、同車に設備されたマイクを使用して火気厳禁の広報活動を行なうため、再び同車を運転しようとしたのであるが、当時は前記のように路面下の地下鉄工事現場にあつた中圧管より多量のガスがもれ、付近路上には覆工板の隙間などからもガスが噴出しているのを知つていたので、火気が生じるおそれのある自動車を、右噴出したガスが滞溜している道路上に乗り入れるなどして、ガスヘの引火による事故を発生させないよう万全の措置を講ずべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠り、広報活動にのみ気を奪われて漫然自車を後退させて、ガスが滞溜していた道路中央付近に同車を乗り入れ、さらに前進させようとした際、エンジンが停止したので、軽卒にも同所でこれを始動させた過失により、即時同所において、右エンジンの始動によつて生じた火花を右ガスに引火させ、

ついに同日午後五時四五分ころ、ガスの大爆発により、同区国分寺町交差点東詰より東方約二〇〇メートルにわたつて覆工板を飛散させるとともに火災を発生させ、よつて別表一死亡者一覧表記載の七九名の者を同表記載の傷害により死亡させ、別表二受傷者一覧表(番号123を含む)記載の三八〇名の者に対し、同表記載の各傷害を負わせたものである。

別紙二

地下鉄工事経過の詳細

本件四工区工事の工事経過の詳細は概ね以下のとおりである。

一 試掘

試掘の目的は、地下鉄工事を行う区域にはガス導管、水道管、関電ダクト、電々ダクト等多数の地下埋設物が存在するところから、あらかじめそれら埋設物の位置、深度等を確認しておいて、後に行う杭打、覆工等の資料とすることにある。四工区の工事請負契約は前記のとおり昭和四四年九月二九日に正式調印されたが、特記仕様書では路面覆工の期限を昭和四五年三月の万博開催日までとし、工事を急いでいたこともあつて、すでに調印前の九月初旬ころ、試掘箇所二〇か所を指示した埋設物平面図(交通局建設部土木課において、各埋設物企業者から提出を受けた資料(埋設物図面)に基づきそれらを一つの図面にまとめる形で総合的な埋設状況を記入し、あわせて試掘箇所を明示して作成したもの)が二建から鉄建に交付され、これを受けた鉄建建設側は、企画主任の被告人田中らを中心に試掘計画承認願を作成し、被告人溝手の決裁を得て二建に提出していたところ、九月二〇日ころ二建所長名義で承認がなされた。

鉄建建設は同月二七日ころから、被告人藤井、同三上(但し一〇月初旬から)、西端久禧雄らの作業指示、監督に基づき、下請の錦城建設作業員らを使用して試掘を始め、一一月四日ころまでかかつて二建から明示された二〇か所についての試掘を完了した。試掘箇所を幅約一メートル、深さ約二メートルに掘り進んで埋設物を発見すると、その種類、位置、深さ等を確認してこれをスケッチ、メモ、写真等で記録しておき、それらをもとに埋設物平面図に順次記入していたが、最終的には試験掘結果報告書にまとめ、一一月中旬ころ二建に提出した。右試験掘結果報告書には埋設物平面図一枚と横断面図一七枚(ML六、三六八メートルの地点、ML六、三八〇メートルからML六、六六〇メートルまで二〇メートルごとに一五地点及びML六、六七四メートルの地点)が添付され、各埋設物の位置、深度が示されており(ML六、三六八メートルの地点での横断図はその地点を現実に試掘した結果に基づくものであるが、他の地点における横断図は、そこの地点自体を試掘していないために、付近の試掘結果から推定した記載になつている。)、ガス管の深度については、中圧管横断部北角の東側約一四メートル付近(ML六、四四〇メートルの地点)において、中圧管一・四七メートル、低圧管一・一九メートルで、低圧管横断部南角の西側約四メートル付近(ML六、四六〇メートルの地点)において中圧管〇・九五メートル、低圧管〇・六四メートルとなつていた。

なお、ガス導管横断部については、当初二建から試掘を指示された二〇か所に含まれておらず、またその試掘結果も右試験掘結果報告書に記載されなかつたが、試掘期間中の一〇月中旬ころ、被告人矢萩から被告人三上に対し横断部についても試掘をするように指示があり、同被告人藤井らが相談のうえ、一〇月一八日及び一〇月一九日の夜間に西端を監督に当らせて横断部の試掘を行つた。埋設物平面図にはガス導管横断部の正確な位置が表示されていなかつたこともあつて、一〇月一八日には掘り当てることができず、一〇月一九日にようやく横断部を掘り当てたが、一か所は低圧管横断部の南側寄りから横断部に沿つて北側へ直線状に試掘し、もう一か所は低圧管北角から東へ同管に沿つて掘り進んだ後中圧管との交差部を経てそこから北へ同管北角までをL字型に試掘した。これによつて中圧、低圧両ガス導管は横断部でその深度が非常に浅くなつていることが判明するとともに、低圧管の横断部については防護工の側壁(レンガ積)や上部の防護鉄板の存在が確認された。この試掘結果は西端が略図を書いて被告人三上に報告し、同被告人は翌日ころ被告人矢萩にその内容を口頭で説明、報告した。

このように試掘が行われた結果、工区内に存在する三〇〇ミリ中圧ガス管、五〇〇ミリ低圧ガス管、六〇〇ミリ上水道管、関西電力高圧線ダクト、電々公社電話線ダクト、一五〇ミリ水道管、五〇〇ミリ下水道管等の埋設位置、深度が確認されるとともに、中圧、低圧両ガス導管について阪急ビル前、国分寺町交差点以西の吉山町付近(道路脇建物の立退未了のため道路未拡幅の部分)及び横断部でその埋設深度が非常に浅くなつていることが判明した。そこで鉄建建設は、右三か所について路面覆工に支障があると考え、被告人田中らが、二建の被告人矢萩らを通じ、また第一回埋設物会議(昭和四四年一〇月二二日開催)で問題点として提出するなどして、大阪ガスに対し右三か所のガス導管の移設ないし切下げを申し入れたが、昭和四五年一月ころ、結局吉山町付近約六六メートル及び阪急ビル前約五二メートルだけを移設する(但し吉山町付近は万博後に移設、覆工する)ことに決まり、横断部については、同所の移設を行うとなると三月の万博前にその部分の路面覆工を終えるのが不可能になり工事の進行が非常に遅れると考えられたことや、横断部は覆工桁をガス導管と平行に入れるので嵩上げすることによつても覆工が可能と判断されたことなどから、移設を行わないことになつた。

二 杭打設

鉄建建設では昭和四四年一一月ころ被告人田中が二建宛に鋼杭、鋼支柱建込施工計画承認願を作成提出してその承認を受け、同月二三日ころから五工区境より杭打設を開始し、昭和四五年三月一二日ころに前記吉山町付近を除き完了した。杭は長さ約二二メートル、幅約三〇センチメートルのH型鋼で、掘坑の両側に土留め及び桁架設のため打設する土留杭と掘坑の中央に桁架設のため打設する中間支柱とがあり、土留杭は約一・二メートル間隔に、また中間支柱は約二・五ないし三・五メートル間隔に打設した。その方法は、まず布掘り又は壺掘りをして埋設物の位置を確認し、埋設物のないところを選んで、アースオーガーで縦穴を深く掘り(埋設物の輻輳している箇所ではケーシングと称する直径五、六〇センチメートル、高さ約一メートルの鉄管を埋め込んでそこをアースオーガーで掘る。)、その穴にH鋼を挿入し、最後にバイブロハンマーで押し込むというもので、夜間作業で行われ、被告人三上が班長の三上班(班員鳥野武司、西端久禧雄)と田口千尋が班長の田口班(班員吉川邦博、橋本謙二)とが一週間交替で監督に当つた。なお横断部の中圧管と低圧管の間にも昭和四五年一月一三日ころ中間支柱を一本打設したが、これは二建に提出承認を受けていた建込計画では三本打設する予定になつていたところ、いざ杭を打設する段階になつて両ガス導管の間隔が狭く一本しか打設できないということになつたもので、同日杭を建込む際は、田口班が作業の監督に当り、一月一〇日にケーシングの埋込みをしておいた(このときガス管の位置を確めるため、南北約一メートル、東西約二メートルにわたつて掘削し、いつたん埋め戻してターロックで簡易舗装をした。)ところを、アースオーガーで掘り、そこにバイブロハンマーで打ち込んだ。

三 路面覆工

路面覆工は、土留杭及び中間支柱にチャンネルを取付け、それに覆工桁及び懸吊桁を架設してコンクリート舗板(覆工板)を敷くもので、被告人田中は、昭和四四年一二月下旬ころ、覆工桁(高さ六〇センチメートル又は四五センチメートル)を二メートルピッチ、懸吊桁(高さ三〇センチメートル)を一メートルピッチで架設することとして、路面覆工桁及び懸吊桁架設計画承認願(覆工桁及び懸吊桁は二建から貸与されるためその必要数量を記載した貸与材料表も添付した)を作成し、それを二建宛提出していたが、被告人矢萩や被告人正木から二度にわたつて懸吊桁のピッチを変更するように指示を受けたため、その都度書き直しをして再提出し、結局どの埋設物についても二メートルピッチで懸吊桁を架設するということで、覆工にかかる直前ころに二建の承認がなされた。また路面覆工の施工計画も昭和四五年一月五日ころから企画にかかり、その承認願を作成提出していたところ、これについても右覆工桁及び懸吊桁架設計画の承認と同時に承認がされた。作業はまず一月一一日ころからチャンネル取付が始まつたが、この作業では、土留杭と中間支柱に沿つて幅五〇センチメートル、深さ一メートルくらいに掘削し、次にこの土留杭及び中間支柱にチャンネルを取付けると、埋戻して仮舗装した。さらに一月二五日ころからは、右チャンネル取付に併行して覆工作業も行なわれるようになり、路面を手掘り又はユンボで深さ一ないし一・二メートルに掘つた後、既に取付の終わつているチャンネルに覆工桁、懸吊桁を架設し、そのうえに覆工板を敷いていつた。このころには覆工のほかチャンネル取付、下水管切替など各種の作業が何か所かに分かれて行われており、三上班と田口班は一週間交替で夜勤してこれら作業の監督に当つていたが、東の五工区境から国分寺交差点付近までの間は三月六日ころまでに、工区西側の阪急ビル前付近は三月一二日ころまでにそれぞれ覆工を完了した。

ところで懸吊桁は、懸吊開始時までに架設すればよく、必ずしも覆工時に架設する必要のないものではあるが、覆工後に架設するとなると余分の手間がかかることから、覆工桁と同時に架設を行うものとされていた。そして前記のとおり二メートルピッチで架設する(二メートルピッチで架設した覆工桁の中間に一本ずつ架設する)ことに計画され、そのとおり二建から承認を受けていたところ、覆工開始後二日くらい(東の五工区境から一〇メートルくらい)は右計画のとおり二メートルピッチで架設されたが、そのころの打ち合わせ会のときに、被告人三上、田口千尋らの間でこのままで懸吊桁を架設していくと大きな資材を投入するのに不便であるということが話題になり、被告人藤井とも相談のうえ、一スパン(一ます)おきに二本ずつ懸吊桁を入れることが決まり、それ以後は右のようなピッチで懸吊桁を架設していつた。また懸吊桁は覆工桁と同様ボルト締めするなどしてチャンネルに固定するように計画されていたが、これも後に埋設物が懸吊される時期になればその集中荷重によつて桁が安定に保たれることになり固定までしなくとも危険はないものと判断されたことから、単にチャンネル上に載せるだけにとどめ、固定までは行わなかつた。

ガス管横断部については、前記のとおり埋設深度が非常に浅く、また移設をするには工期のうえで制約があつたことなどから路面を約一五センチメートルほど(結果的には約一二センチメートル)嵩上げして覆工することになり、横断部の手前(東方)から徐々に勾配をつけるようにしてチャンネルを取付けていつたが、一月二五日ころ田口班の監督でガス管横断部付近の中間支柱にチャンネルを取付けるにあたつては、本来チャンネルをわたす高さのところにガス管が位置していたことから中間支柱と中間支柱の間にチャンネルをわたすことができず、中圧、低圧両ガス管の間の中間支柱には、チャンネルの中央部を電気熔接してその両端を中圧管、低圧管のそれぞれ手前まで両端にはり出すような形(いわゆる「はね出し」)で取付け、また横断部の両側の中間支柱にはそれぞれチャンネルの一端を電気熔接して他端をガス管の手前まで差し出すような形(いわゆる「片もち」)で取付けた。二月七日には、右のとおり一月二五日に「はね出し」あるいは「片もち」で取付けたチャンネルの補強と中間支柱の北側で横断部のすぐ東側までの覆工とを三上班の監督のもとに行つたが、チャンネルの補強作業については、横断部と直角に幅一ないし一・五メートル、深さ一・八メートルくらいの帯状に六メートルくらい掘削をしたうえ、「片もち」あるいは「はね出し」で仮熔接されていたチャンネルの下部にさらに補強チャンネルの取付をし、また覆工作業については、中圧管の東側まで覆工を進めてきたところ、架設計画のとおり二メートルピッチで覆工桁を架設しようとすると覆工桁を架設すべき位置がちようど中圧管の位置に当りそこには架設することができなかつたので、被告人三上の判断で、中圧管、低圧管の中間に覆工桁を一本架設し、そこから二メートル手前(東方)の位置に覆工桁を架設することとし、先ずその桁を中圧管のすぐ東側に架設したところ、その桁とその東側の既設の桁との間が一・四五メートルとなり、その間は特別に木製舗板で覆工する必要を生じたが、当日はその準備ができなかつたことから、とりあえず規格品の二メートルの舗板で覆工した。この日は中圧管の西側まで掘削していた(なお錦城建設の土工中村浅吉らは中圧管の防護工を中間支柱の付近から北へ四メートルくらいにわたつて撤去し、その際被告人三上はガス管の上面が出たところで管の高さを中圧管につき二か所、低圧管につき一か所測定しておいた。)が、中圧管と低圧管の中間の覆工桁を架設するまでには至らなかつたので、その付近は埋戻しをしてターロックで簡易舗装し、舗板のはね出し部分の下には矢板を入れて舗板がガタつかないようにしておいた。次に二月一〇日田口班が作業の監督に当つたが、二月八日の三上班からの申し送りで、中圧管の東側の舗板が覆工桁より中圧管のほうへはみ出して置かれている旨連絡を受けていたことから、そこの舗板と取りかえるのに必要な木製舗板を当夜の作業までにあらかじめ準備しておいてはみ出している舗板と取りかえた。そして二月七日に埋戻しをしたところから西方へ向けて掘削を進め、中間支柱より北の部分において、まず中圧管と低圧管の中間に覆工桁を架設したが、そのとき低圧管横断部の防護工が現われたので上部の鉄板や両側のレンガ積を撤去し(防護工は中間支柱の南までその一部が撤去されたが、中間支柱より南はその日覆工しなかつたので埋戻しをしただけである。)、さらに低圧管の西側も掘削し、覆工桁二本を架設したうえ覆工した。翌二月一一日横断部中間支柱より南を覆工するに際しては、覆工桁を入れるのに低圧管南角の防護工がじやまになつたので、居合わせた二建監督員橋本の承認を得て、これを一部撤去したうえ覆工桁を架設した。

四 掘削、ガス導管の懸吊など

掘削に先立つて二月一〇日ころからホッパーの組立が始まり(ホッパーは構内の土砂を地上に取り出して土砂搬出用のトラックに積込むため覆工路面上に設けられる構造物で、土砂搬出の際はホッパー開口部からクラムバケットを降ろしてその下部に集められている土砂をつかみとり、それを捲揚機で引き上げ、さらに土砂ホッパー(その下にトラックの荷台が入れる構造になつている)へ移動投入して貯溜しておくものである。)、ホッパーの組立がほぼ終了した二月二三日ころ、ホッパー付近から掘削が開始され、まず東の五工区境までを掘削し、その後ホッパーから西方へ向かつて掘り進んだ。当初一週間か一〇日くらい(ホッパーをはさんで東西三、四〇メートル、南北三、四メートル)はベルトコンベアーを使用し、作業員が手掘りしていたが、三月中旬ころ機械掘りを行うことに決定し、二建の承認を得て、同月一五日まず野口重機工業株式会社のドーザーショベルBS三型(以下小型ブルという)(同月一六日被告人上田の運転で初稼働。翌一七日からは同被告人と秦和夫の両名が昼夜勤交替で運転)を、次いで三月末から同会社の下請である長谷川建設株式会社のドーザーショベルD三〇S型(以下中型ブルという。)を構内にいれた。小型ブルは、三月二〇日過ぎころまでは中間支柱の南側で東西にブル道を貫通させる作業等をし、中型ブルが投入された後は昼夜とも主に構内北側の掘削をし、また埋設物の下に入れるようになると、その下にも入つて土砂を取り、これを南側のブル道付近に出す作業をし、一方中型ブルは、主として昼間のみ小型ブルがブル道へ出した土砂をホッパー付近まで横押していく作業をしていた。このようにして本件ガス爆発事故発生当時には、五工区境から国分寺町交差点東詰までの間に本文記載のような掘坑が作られるに至つていた。

掘削が進むにつれて各種の地下埋設物が露出するようになり、それからの懸吊作業も進められていつた。標準施工参考図では、業者が具体的な懸吊防護の方法を検討する際の参考に供すべく、ガス管、水道管、下水道管に共通の標準的な施工方法として枕懸垂の方法(角材の受桁で埋設管の下を受け、受桁の両端に各一本の懸吊ボルトを通し、その先端を懸吊桁に固定して懸吊する方法)が示されていたが、二建は鉄建建設に埋設物懸吊承認願の提出を求め、鉄建建設では、ガス導管については昭和四五年二月末ころからその提出準備にかかり、被告人田中は被告人溝手、同藤井らと協議したうえ、耐久性を考慮し、右枕懸垂の方法とは異なるバンド懸吊の方法を採用することに決め、その点について被告人矢萩の内諾も得て、三月三日ころ被告人溝手名義のガス管懸吊計画承認願を他の埋設物についての承認願とともに二建所長宛作成提出した。これに対しては被告人矢萩、同岡本らから振止をつけること、阪急ビル前の部分について移設後の状態で表示すること、各埋設物について懸吊作業を行う全長を記入することなどを指摘して補正を求められたため、その趣旨に従つて施工図を書き直し、三月二三日ころ二建に再提出した。これを受理した被告人岡本は、順次被告人矢萩、同正木、二建所長らの決裁を得たうえ、同所長名義の承認書とし、同月二六日ころこれを鉄建建設企画係員の上中清丸に交付して承認手続をとつた。

こうして二建の承認が得られたガス管懸吊計画の施工図面(以下単に承認図という。)には縦断部の懸吊方法だけが示されており、横断部あるいは曲管部についてその懸吊方法を示した図面はなかつた。またこの承認図は、鉄建に対し承認書を交付した右三月二六日に、懸吊方法についての協議を求める趣旨で、「ガス管懸吊について(依頼)」との表書を付して二建所長名義で大阪ガス本管部管理課長宛に送付されたが、これに対しては、四月四日「300φ中圧管ベンド、T字部には抜止を施工する事」という条件がつけられて右管理課長から二建に回付された。

埋設物の懸吊作業は三月九日ころから始まり、三〇〇ミリ中圧、五〇〇ミリ低圧の両ガス導管については三月一四日ころホッパー付近から懸吊を開始した。従来は本件工事のときのような書面による厳格な承認手続を経由していなかつたこともあつて、実際の懸吊作業が書類上の承認手続に先行することになり、それが事実上黙認される形になつたが、先に一度承認願の提出があり、これに対し必要な補正が指示された後の懸吊作業開始であり、また施工参考図と異なるバンド懸垂の方法を採ることについては、三月五日、被告人岡本が、被告人矢萩の指示を受け、大阪ガス本管部管理課管理係の小森博人に対し電話で「ガス管懸吊はバンド方式で行う」旨申し入れ、その了解をとりつけてあつた。

ところでバンド懸吊は、U字型の鉄バンドの両端に各一本の懸吊ボルトを熔接したものを用い、鉄バンドをガス管の下にあてがい、懸吊ボルトの先端を懸吊桁にあけた穴に通し、ナットで締めつけて懸吊するものである。そして承認図では、①懸吊用鉄バンドは三〇〇ミリ管、五〇〇ミリ管とも幅一〇センチメートル、厚さ六ミリメートルのものとすること、②懸吊ボルトは太さ一三ミリメートルのものでターンバックルを使用すること、③懸吊間隔は二メートルとして懸吊桁に吊ること、④ガス管の横振れを防止するための振止めとして、直径一六ミリメートルの鉄筋を五メートル間隔で懸吊用鉄バンドと懸吊桁との間に斜めに取付けることなどが定められていたが、被告人藤井は二月中旬ころ、六号線一五工区の場合と同様本件四工区でも三〇〇ミリ管については幅五センチメートル、厚さ三・二ミリメートル、五〇〇ミリ管については幅六・五センチメートル、厚さ六ミリメートルの懸吊バンドを使用することにしても強度的にみて安全性が十分保たれると判断し、被告人三上に指示して資材係を通じ右のような規格のものを購入させていたことから、承認図のものより小さい懸吊バンドを使用してガス管懸吊が実施されることになり、またターンバックルについても、被告人藤井が、ターンバックルを使用するまでもなくナットの締め具合で十分調節が可能であるとの考えからこれを使用させなかつた。

懸吊間隔についても、懸吊桁が一スバンおきに二本ずつ架設されていたため、そのまま懸吊桁から直吊りしては二メートル間隔を保持しえない状態になつていたところ、鉄建建設側では間隔の不均衡な懸吊桁にそのまま直吊りして懸吊を開始し、これを知つた被告人矢萩は、三月一八日ころ、被告人藤井に二メートル間隔を保持するように指示したが、同被告人は、低圧管については懸吊桁に直角にチャンネルを取付けて二メートル間隔で懸吊するよう指示して実施させたものの、中圧管については間隔が不ぞろいのまま懸吊を続けた。その後も三月二五日と同月二七日に被告人矢萩、同岡本らが被告人藤井、同三上、田口千尋らに対し、中圧管についても懸吊を二メートル間隔にするよう指示したが、結局是正されないまま施工された。その結果、低圧管については、おおむね二メートルの懸吊間隔になつていたが、中圧管については五工区境から西方約二〇メートルの間はおおむね二メートル間隔となつていたものの、それより西方は懸吊間隔が不ぞろいで、最長三・九五メートル、最短八〇センチメートルの間隔になつていた(もつとも中圧管の懸吊間隔が不ぞろいであるからと言つて、懸吊防護としての安全度に難点を生ずるようなものではなかつた。)また振止めの間隔を五メートルとすることについては、承認図自体、振止めを懸吊ボルトに取付けることにしつつ懸吊間隔を二メートルとしていたことから、四メートル又は六メートルのピッチでしか取付けられなかつたものであるが、両側につけるべきものを千鳥に取付けているところがあつたうえ、振止め未施工の区間が鍛治工の一日分の仕事量に相当するくらいにたまつたところでまとめて三、四〇メートルの間を一度に取付けるようなことをしていたため、本件事故時においても、中圧管については、五工区境から水取器の東方約一七メートルまでの間に一三か所(うち両側は二か所のみ)、横断部南曲り角に一か所(片側)、その西方に二か所(いずれも片側)取付けたのみで、横断部北角から東方約二〇メートルの間には全く取付けられていなかつた。

なお、ガス導管の懸吊作業に当つては、その継手部等に曲げ、捩り等を加えて損傷したりすることがないよう埋設時と同じ状態に懸吊することが必要とされ、そのためにはガス管の上半分が露出するまで手掘りした後、ガス管の下部に懸吊バンドを通すのに必要最小限の穴を掘り、そこに懸吊するのが一般的な工法とされているところ、本件四工区工事に際してもおおむね右工法に従い懸吊作業を実施していたが、中圧管のように他の埋設管との間隔が狭すぎて、一メートル余もあるボルトのついた懸吊バンドを管と直角に穴に通すことが困難なところでは、管の下をやや広く掘つて懸吊ボルトを斜めに入れ、それを起こして懸吊桁に吊るような方法を採つたところもあり(ただし、バンドを管の下に通した後で懸吊ボルトを熔接した場合があり、そのような場合はあえて管下を広く掘る必要がなかつた。)、しかもそれが懸吊間隔の接近しているところであると、次に掘つた穴が既に掘つてあつた隣りの穴と接続したような状態になることがあつた。しかしこの程度管下を掘削しただけではガス導管へ悪影響を及ぼすようなことはなかつた。

以上のようにして掘削及びこれにともなう懸吊作業は進行し、前記のとおりホッパー付近から始まつた掘削はまず五工区境まで掘り進んだ後、今度は西方へ向かつて進められていたところ、西方へ掘り進むについては、南側にブル道を作り、また電気配線を行う必要があつたことなどから、とくに南側の掘削を先行させた。したがつて懸吊作業のほうもその影響を受けるところとなり、ガス導管の懸吊については、ホッパーから西方数メートルを懸吊したあと東方へ五工区境までの懸吊を終え、再び西方へ横断部の東方二、三〇メートルの地点まで懸吊を進め、その時点でいつたん横断部南角付近及びその西側の懸吊に移り、その後北側に戻つて、最後に横断部及び北角付近の懸吊を実施することになつたが、本件事故当日の四月八日には横断部の西方約一〇メートルまでの懸吊がすべて完了するところとなつた。また掘削もこの四月八日に横断部が全部露出するところまで進んでいた。

五 昭和四五年四月初めから四月八日までの作業状況等

はじめに

構内の掘削は二月二三日ころに始まり、三月九日ころからは埋設物の懸吊も開始され、それらがおおむね工区の東寄りから西方へ向け進行していつたことはすでに述べたとおりであるが、そうした中でも、とくに中間支柱より南側が、埋設物がなくブル掘削のはかどつたことや動力線の配線を行う必要があつたことなどにより掘削が先行し、南側のブル道は、三月中にも、ガス管横断部西方約一〇メートルの関電ダクト横断部付近まで貫通していた。一方北側の中、低圧ガス導管の付近については、三月末の時点で横断部から二、三〇メートル東まで懸吊、掘削作業が進んでおり、それ以西が未施工の状態にあつたが、次第に西へ西へと作業を進めている状況にあつた。このような進行状況のもとで四月初めから四月八日までの間は、ガス導管横断部付近を中心に埋設物の懸吊及び掘削作業が進められており、両ガス導管の横断部付近における懸吊作業の進捗状況は第四図に記載するとおりである。

この時期における鉄建建設側の現場監督員の配置については、三上班と田口班とが交替で夜勤する体制は夜間作業の多かつた覆工段階までで解消され、三月中旬ころからは夜勤者一名のことが多く、四月に入つてからもそれは同様であつた。すなわち、四月三日までは西端が単独で、四日は西端及び烏野の両名が、五日以降は烏野が単独でそれぞれ夜勤し、昼間は、夜勤者を除く全員すなわち被告人三上、同高橋、田口、吉川らのうち手のあいた者が構内に入つて監督業務に当るようにしていた。その中で被告人高橋は、四月一日から本件四工区を担当するようになつたが、とくに掘削作業について監督するよう被告人溝手から指示されていた。そして前記の打ち合わせ会がこの時期も開催されており、その席上被告人藤井らから懸吊箇所、作業方法等について指示がなされていた。下請の錦城建設からは専務の三上時夫、大世話役の金平秀雄、世話役の川建誠次、中村浅吉らがこの打ち合わせ会に出席し、このうち三上時夫と金平とはほとんど毎日出席し、川建、中村は二人のうち夜勤者に当る者が出席して、被告人藤井らが行う作業の指示や説明を受け、それに基づき金平らが中心になつて具体的な人員の配置や作業上の段取を土工らに指示していた。

(一) 四月二日夜間(同日夜から翌三日朝まで)の中圧管横断部南角の懸吊等

三月末までの懸吊、掘削作業の進行状態は前記のとおりで、六〇〇ミリ水道管や三〇〇ミリ中圧管の横断部南角付近が次第に露出しかけ、法面が崩壊する危険も考えられるような状態になつていたため、被告人藤井は、ガス導管横断部北角付近の懸吊、掘削を一時留保して南側を先に施工することに決め、四月一日夕方の打合わせ会において、世話役の金平、川建らに対し、翌二日から中圧管横断部南角の懸吊をするように指示した。このため、四月二日昼の作業では中圧管南角付近から西へ中圧管に平行してそのやや南側上方に懸吊用チャンネルの取付が行われ、また夜勤者の世話役中村浅吉に対しては同日夕方金平から、夜勤でも引続き中圧管南角付近の懸吊をするようにとの引つぎがなされた。その時点で中圧管南角付近の掘削状態は、管のすぐ東側のところまで掘削が進み、南側は管から約一・五メートルのところまで土があつてその先がブル道となつていた。中村は午後八時ころから他の土工とともに作業にかかり、まず昼の作業で取付けられていた懸吊用チャンネルの北側にそれと平行して中圧管のやや北側に当る位置に同様の懸吊用チャンネルを取付け、次いで中圧管南角の北側にあるスリーブ付近にも東西に平行して二本の懸吊用チャンネルを取付けたうえ、第四図の№36及びその北側スリーブの南側付近並びに№34、№37、№38の各位置で右懸吊用チャンネル又はさらにそれに差しわたしたチャンネルに懸吊した。なお№36に懸吊する際は狸掘りをして懸吊したが、その北側にさらに二か所懸吊するに際しては立上り部分より先がまだ土に埋もれており、№36は既に懸吊済みであつたところから、管の下の土を№34まで一気にすかし取つたうえ懸吊した。またチャンネル取付や懸吊作業のため、南角から北側へ土のはね出し作業を行つているときに、中圧管の立上り部分で両側にレンガ積して上部をモルタルコンクリートで覆つた防護壁が出たが、これは中村の指示によりバール等でとりこわして撤去した。

(二) 四月三日の状況

四月三日は、午前三時ころに国分寺交差点と天六交差点との中間辺りの道路北側(未施工部分)で六〇〇ミリ水道管が破損する事故があつたため、被告人三上、同高橋、吉川らは錦城の土工を使つてその復旧工事に当り、それが四日の早朝くらいまでかかつたことから、工区内での作業はほとんど行われなかつた。

(三) 四月四日夜間の作業とガス漏れ事故の発生

四月四日夜は、中村浅吉らが西端久禧雄らの監督を受けながらガス管懸吊作業等に当つたが、その作業開始前に低圧管横断部南側立上り部分に残つていた防護工の撤去をした。この部分は中圧管の場合と比べて土被りが非常に浅く下側から撤去することができなかつたので、クレーン車で舗板を開けて撤去作業をし、防護コンクリートはクレーンにワイヤで結んで吊り上げ、南側構内に落下させるなどして撤去した。このような作業をしていた同日午後九時ころ、横断部付近でガス漏れがあり、これを知つた西端は、直ちに大阪ガスへ連絡をとるとともに、ガス管に石けん水を塗布してガス漏れ箇所の調査をしたところ、いわゆる蟹泡程度ではあつたが、中圧管南角の北側に設置されたスリーブの北側継手部からガス漏れしていることが確認された。大阪ガスでは、午後九時二〇分ころ右ガス漏れの連絡を受け、管理課供給係工長田中行雄らが現場に急行して午後一〇時過ぎに到着したが、中圧管のためそのままでの作業は危険があつたので、圧力調整をしてガス圧を減じた後、押し輪をはずしハンマーで鉛を叩き込みゴムパッキングをとり換えるなどの修理作業をし、翌五日午前一時ころにその修理を完了した。その際西端は、大阪ガスの係員から、四月二日に№36のすぐ北側に設置した懸吊がスリーブ南側継手部からガス漏れが生じた場合に修理作業の邪魔になるので懸吊位置をかえてもらいたいとの申し出を受けたため、懸吊位置を第四図の№35の位置(スリーブの中央部)まで移動させた。こうして同スリーブ北側継手部のガス漏れは修理されたものの、五日の朝になつて今度は同スリーブ南側継手部からガス漏れが生じるに至つた。しかし臭が感じられる程度の極めて微妙な漏れで、そのときはとくに修理はされなかつた(このガス漏れについては、中村が大世話役金平にその旨引つぎをし、同人は矢板に「ガス漏れ注意」と記載し、水道管の懸吊のところにはさむなどして作業員に注意を促していたが、その後四月六日午前中同所を巡回した栗川末雄は、ガス漏れ箇所のボルトを締め直して修理した。)なお、四月四日のガス漏れ事故の発生について、西端は、同日夜天六作業所で被告人藤井、同田中に報告し、また翌五日朝は、被告人三上に対して、右ガス漏れの発生及びスリーブ南側継手からもガス漏れのしていることを報告し、かつ引継連絡帳にその旨を記載しておいた。

四月四日夜は右のようなガス漏れ事故があつたものの、中圧管については横断部南角の西方№39、№39の1の位置に、低圧管についてはその南角付近№40ないし№44の位置にそれぞれ懸吊を完了した。

(四) 四月六日昼間の懸吊作業

当日は薦田清夫らがガス導管水取器付近の懸吊をした。その際被告人高橋の指示により、低圧管水取器については、第四図の№30、№31に懸吊バンドをかけ水取器自体を懸吊し、また№32、№33の懸吊をしたが、中圧管については、その水取器自体には懸吊バンドをかけず、その両側№27と№28の位置で懸吊した。

(五) 四月七日昼間の作業と中間検査

四月七日の昼間作業開始の時点では、中圧管及び低圧管の水取器西方約一メートル付近から東側は、すでに管下の土砂が掘削、除去され、その深さは東方に向うに従つて深くなり、一方中圧管横断部の中央付近から南側の管下の土砂も掘削、除去されていた。

同日の昼間はガス導管の懸吊作業は行われず、中圧管の北側にそれと並行して埋設されていた下水管の取替え作業等が行われていた。当日は交通局の西村検査官らによつて中間検査(工事の出来高数量を検査し、施工上の誤りがあれば指摘して是正を命ずるなどするもの)があり、午前中二建事務所で書類検査の後、午後三時ころから一時間くらいにわたつて現場巡視が行われ、これには二建側から被告人正木、同矢萩、鉄建建設側から被告人溝手、同藤井、同田中らが同行し、中圧管横断部付近も見て回つた。

(六) 四月六日夜間及び四月七日夜間のガス導管横断部の懸吊作業

ガス導管横断部付近の懸吊作業は、前記のとおり四月二日から開始されたが、とくに第四図の中圧管№31ないし№33の三か所及び低圧管№37ないし№39の三か所についてはいわゆる枕懸吊の方法によつた。これは、被告人田中がガス導管懸吊計画承認願を二建に作成、提出するに当つて、直管部(縦断部)の懸吊方法に関する施工図のみを作成し、横断部では埋設深度が浅く、施工図のバンド懸吊の方法では懸吊することができないことにつき、その対策を検討していなかつたため、施工段階になつて被告人三上と田口千尋がその懸吊方法を話し合い、枕懸吊によることに決め、夕方の打合わせ会で現場監督の烏野武司や錦城の世話役にその旨指示して施工させたものであり、中圧管は四月六日夜に、低圧管は四月七日夜に実施された。いずれも、ガス導管の下側から枕木で受けたうえ、それにチャンネルを当て、チャンネルの両端に各二か所の穴をあけて懸吊ボルトを通し、その上端をガス導管の両側に南北に通した二本の懸吊桁に穴をあけて固定するという方法によつて行われた。

(七) 四月八日の懸吊作業等

以上述べてきたような経過でガス導管の懸吊作業は進行し、四月八日朝の昼間作業開始の時点では、第四図の中圧管№29、30の二か所と低圧管№34ないし36の三か所が未懸吊で、その付近のガス導管は管頂が露出するだけで土砂に埋まつた状態にあつたが、その他の部分は、西端の一部を除いてすでに懸吊され、管下の土砂も掘削除去されていた。当日は作業員の中村浅吉、笹義昭、三上幸雄らが朝から横断部北角付近の右未懸吊部分の懸吊作業に当り、同日午後二時四〇分ころ終了したが、その懸吊作業に際しては、笹義昭らが中圧管及び低圧管の管下の土砂をそれぞれの曲り角の部分まで一時に除去し、いわゆるすかし掘りを行つた。午前一一時ころには中、低圧管とも管下の土砂は完全に除去された状態になり、その時点で中圧管横断部北角付近は、№29、30が未懸吊で、横断部の№31ないし33及び水取器西側№28の懸吊並びに密着している低圧管だけでささえられていた。

別紙三

昭和三七年当時の本件中圧管等横断部付近のガス導管敷設工事の状況

本件四工区坑内の三〇〇ミリ中圧及び五〇〇ミリ低圧の両ガス導管は、もともとは、天六交差点から東方都島大橋方面へ通じる本件道路の中央部にあつた市電(昭和四四年四月一日廃止)軌道のすぐ北側付近を、中圧管が南側、低圧管が北側となり、そのままの状態で東西に伸びていたものであるが、国分寺町交差点東詰とその東方都島大橋西詰との間の在来道路が都市計画で北側に拡幅されたのにともない、昭和三七年ころ、同交差点東詰以東三〇〇メートル余りの部分が右拡幅部に新しい管で移設された(その際移設部分のさらに東側の配管との接続関係や将来の移設配管方針等を考慮して、中圧管を北側に、低圧管を南側に移設した。)。この移設の際に、各水取器以東の新設管と横断部南角西側の各スリーブ手前までの既設管(いずれも鋳鉄管)とを連結するため鋼管を用いて敷設されたのが本工区内にあつた横断部(及びその付近)である。

右移設工事は、道路中央部にそれら導管が敷設してあると道路や導管の管理上支障をきたすおそれがあるとの配慮から、大阪市区画整理局の要請により大阪ガスが計画したもので、ことに新設管と既設管との連結部については、当初大阪ガスは四五度の角度で横断し他の埋設物を下越しして配管するよう設計図面を作成し、そのとおり所管の大阪市土木局中央工営所梅田出張所の許可を得ていたが、他の埋設物を下越しするには市電軌道に悪影響を与えるおそれがあり、また工事にも日数がかかるなどの理由から上越しさせることになり、かつ、車両荷重の影響等を考えて横断部の距離をできるだけ短くするため、当初予定の四五度を九〇度の角度に変更し、それらの点については便宜口頭で右梅田出張所の了解を得たうえ、昭和三七年一月から同年六月にかけ、大阪ガス工事課の指揮監督のもとに、下請の中井組平田班が鋳鉄管の配管工事及び鉛コーキングによる継手の接合作業を担当し、横断部付近と他の二箇所だけは鋼管を使用し、溶接作業を伴うところから、東亜外業株式会社がその配管及び溶接作業を担当して施工された。

横断部付近における中圧管及び低圧管の配管工事は、同年五月二五日から同月三一日にかけ東亜外業の松葉瀬勉らによって施工され、いずれも午後八時ころから午前四時ころまでの夜間工事で行われたが、その工事経過は第九図に示すとおりである。すなわち、同月二五日は、まず低圧管について水取器西側継手部から北角を経て南へ約〇・六メートル付近までの部分を配管し、水取器とのコーキング接合を行い、埋戻した後、中圧管について水取器西側継手部から北角を経て低圧管を上越しさせたうえ北角から約一・五メートル付近までの部分を配管し、水取器西側継手とのコーキング接合を行つて埋戻し、その後は同月二六日に低圧管の横断部をさらに南へ約二・九メートル、同月二八日に中圧管の横断部をさらに南へ約五・三メートルそれぞれ配管、溶接し、同月三〇日は、低圧管南角付近を配管して西側の既設管とスリーブを用いコーキング接合で連結し、同月三一日は中圧管南角付近を配管して、西側の既設管とスリーブを用いコーキング接合で連結した(なお中圧管は南角北側でもスリーブによるコーキング接合を行つた。)。各施工日における配管作業は、その日の掘削の状態をみて寸法をとるいわゆる現場合わせの方法で、切断溶接により予め一体物として鋼管を製作し、これを掘削溝の中に設置して、前日までにすでに配管されていた部分と接合するというものであり、当日配管した分は接合後直ちに埋め戻されたが、次回の配管作業の際にはそれに必要な範囲で掘り返しが行われている。なお、中圧管が低圧管を上越しする交差部分は、同月二五日の配管作業の際、両管が一〇ないし一五センチメートル程度の間隔を保つよう枕木を置いて位置決めをしたが、同月二八日の前記作業に際し右枕木を抜去した。また、中圧管の横断部には、移設工事完了のころに防護工を設置したが、これは、管の両側に基礎コンクリートを打ち、その上にレンガを積んで側壁を設け、その上部に鉄筋コンクリート板を載せたもので、ガス導管と側壁及び上部コンクリート板との間には川砂を充填した構造になつていた。しかし埋設深度のきわめて浅い低圧管についてはそのような防護工のないまま長い間放置され、数年後に路面が本舗装される直前ころになつてようやく右と同様の(ただし、横断部の北側寄りでは鉄筋コンクリート板の代りに鉄板を載せた)構造の防護工が施工された。

次に、昭和三七年五月の前記横断部等の敷設配管工事に際し、掘削により管下の土砂がどの程度乱されたかを検討しておくこととする。証人福森(第一回)は、「ガス導管の埋設工事では特別の理由のない限り余分に掘るということはしない。掘削面はきれいな平面になるように掘る。したがつて枕木(高さ九センチメートル)を管の底に敷いて埋設するような方法をとるときは枕木の高さに相当する部分だけが土砂の乱された部分になる。溶接箇所はとくに溶接の必要上人が入れるだけの穴を掘ることになるが、それは局所的なものであつて、管全体は他の堅い地盤の部分で支えられるから問題はない。」などと証言する。しかし、証人松葉瀬勉が東亜外業株式会社の監督員として右工事の作業に従事した際の状況として証言するところによれば、右福森証言にはとうてい左袒することができない。すなわち同証人は、「(五月二五日に中圧管及び低圧管を水取器西側から北角を経て各立ち上がり部分まで配管するため行なつた掘削については)大きな穴だつたと思いますのでほとんど同じ掘方の中だと思うんですが。」、「(五月二八日に横断部を配管するため掘削したときには)電気のケーブルが出ておつたように記憶します。」、「(二五日に配管した部分と二八日に配管した部分とを溶接接合するに際しては)溶接するためには管の一番下を覗かなければなりませんので、管の下に人間がはいる穴を掘らなければならないわけです。(その際は)当然低圧管の周辺も取らなければいけないわけです。」、「(二八日の配管部分と三一日の配管部分との接合部(南角北側のスリーブ)付近も)作業できる範囲で、パイプの下五〇センチメートルくらい(掘つてあつた)。北に向かつても約五〇―六〇センチは(掘つて)あつたと思いますが。はつきりは断定できかねますが。」などと証言し、また、中圧管と低圧管との交差部の作業状況について、弁護人の「そうするとまず五〇〇のパイプを持つて来てコーキングしてある程度埋め戻しをしたうえですね、しかも五〇〇のパイプの上にさらに(埋め戻した)土が詰まつておつて、その上に枕木を敷いて三〇〇を置いたと。こうなるんですね。」との問いに対し、「そうですね。」と答え、さらに、掘削溝の深さと管を置く深さとの関係について、弁護人の「掘つてある土の深さだけで、掘つてあるとおりにやつたのか。」との問に対し、「土の深さだけではなくて、埋設物が確か出ていたと思いますが。その埋設物が出ておりましたんで土はかなり深くまで掘つてあつたと思いますが。」と答え、続いて同弁護人から「そうすると掘つてあつた土の深さに添つてずつと配管したわけではない。」と聞かれると「そうです。」と答えているのである。

現場の土砂は掘削にともなつて崩れやすい砂質土であるが、それは地表面からの深さ八〜九〇センチメートルくらいのところより下層のことである。したがつて、埋設深度の深い両管の各北角以東の部分及び各南角以西の部分については、砂質土であることが掘削の幅や深さに影響を与えたかもしれないが、横断部そのものについては右の点は直接の影響がなかつたと考えられる。しかし、右で検討した松葉瀬証言によれば、各作業日とも管下の土砂は掘削により、福森証言で述べられているような程度を超えて、かなり深く乱されたことがうかがわれるのである。また、中圧管に使用された枕木がどの時点で入れられたかについては証言に曖昧なところがあるが、一応、北側水取器から北角までの間の二個は五月二五日ガス管の位置決めのために入れられ、二八日の溶接部南側の枕木は接合後に入れられ、三一日の南角近くの各スリーブ下の枕木各一個も接合後に入れられたとされているところ、枕木の下の地盤が旧地盤と同程度に締め固められていたかどうかについても当然疑問の生じるところである。

別紙四

抜止め施工の実例

1 三号線八工区(北区梅田町三北消防署北辻)、大林組施工

(証拠 符43の写真集一八頁の写真(昭和三八年一二月二七日)四枚、一九及び二一頁の写真(同三九年一月七日)各三枚、中村弘、白神稔)

六〇〇ミリ中圧管が水平に九〇度にベンドし、また曲り角から二つ目の継手の外側から三〇〇ミリ管が上方に分岐したうえ九〇度にベンドして水平方向に延びている部分で、六〇〇ミリ管のベンドについては曲り角から両側に二つ目までの継手について抜止め措置がなされ、分岐した三〇〇ミリ管についても分岐した箇所から二つ目の継手までが抜止め措置がなされている。大阪ガスの中村弘が抜止め措置の施工を要請し、その施工方法も指導して実施させた。

もつとも、昭和三八年一二月二七日の時点ではガス管の下の土砂は完全に取り除かれてしまつているにもかかわらず抜止めが施工されておらず、写真の下に「抜止金具製作中」との記載がある。しかし中村弘は「懸吊ボルトに斜めにつけられている振止め用の鉄筋や継手をはさんで両側の懸吊ボルトを相互に連結している水平に取りつけられた鉄筋は、振止めとしての作用のみならず抜止めとしての作用を有している。とくに後者の鉄筋については、むしろ仮抜止めとしての効果をねらつたものである。」と証言しているところ、たしかに、これらの鉄筋は、たとえ完全ではなくても、仮抜止めとしての作用を有しないではないと考えられる。

2 二号線四工区(北区信保町二丁目一三及び天満橋北詰)、白石基礎施工

(証拠 符43の写真集五四頁(右下)及び五五頁の各写真(昭和三九年一二月二日)、中村弘)

三〇〇ミリ低圧管の曲管部二か所(二二・五度の縦方向及び二二・五度の水平方向)について、ガス管に巻いた鉄バンドを鉄筋で結ぶ方法により抜止め措置がなされている。

3 二号線三工区(東区天満橋交差点下)、間組施工

(証拠 符43の写真集六二頁上段の写真(昭和四〇年一月二〇日)三枚、中村弘)

縦方向に四五度でS字型に曲がつた四〇〇ミリ中圧管の曲管部について、ガス管に巻いた鉄バンドにアングルまたはチャンネルを溶接して抜止めがなされている。

4 二号線五工区(北区金屋町一丁目四〇番)、松村組施工

(証拠 符43の写真集六三頁上段の写真(昭和四〇年二月七日)二枚、二号線五工区工事写真№1及び№2(符48及び49)、神村幸秀、牧紘一)

七五〇ミリ中圧管の水平九〇度のベンド部二か所について、管に巻いた鉄バンドにアングルまたはチャンネルを溶接して抜止めがなされている。

現場(二号線五工区)は、南北に掘削を予定していた工区で、東側から工区内へ出てきた七五〇ミリ中圧管が九〇度で北方ヘベンドし、少し先でまた九〇度で西方ヘベンドして工区外へ出ていたものであるが、昭和三九年一二月二七、八日ころ南角付近を懸吊のため掘削していて管の上端が出るか出ないかのとき、すでに強いガスの臭気があつて、土も茶かつ色に変色していたことから、大阪ガスの修理班を呼んで減圧調整の後懸吊掘削をし、さらにその日のうちに同処理班によつてコーキングのし直し等ガス漏れの修理もされた。しかし昭和四〇年一月一〇日ころ再び微少なガス漏れがあり、再度大阪ガスによつてコーキングのやり直しがされ、そのとき中村弘が第三建設事務所と松村組に対して、南角及び北角にガス管の継手の補強をするように指示し(同人は具体的にこの箇所からこの箇所をやるようにと指示した。)、それによつて松村組がガス管補強の図面を作成して三建に提出し、三建の職員と松村組の社員とが右図面を大阪ガスに持参して承認を受け、それに基づいて曲管部の補強工事がなされた。南角は曲管部を構成しているジョイント、スリーブあわせて五か所の継手が補強されているが、そこに一番近いジョイントは補強されていない。北角は曲管部を構成している二か所のジョイントに補強されているが、それに一番近い南側あるいは西側のジョイントは補強されていない。その後この箇所は同年三月下旬には移設された。

5 二号線六工区(北区空心町二丁目)、前田建設施工

(証拠 二号線六工区工事写真(符100)の七頁の写真(昭和四〇年七月一〇日)、高橋正雄)

三〇〇ミリガス管(内圧不明)がT字部とこれに続く分岐管立上り部手前の曲管部を形成している部分で、鉄バンドを巻いて、鉄バンド相互を鉄材で連結する方法により施工されている。

大阪ガス・交通局いずれかの指示によるものかどうか、誰の設計によるものかは不明であるが、上司らの指示と指導のもとに前田建設の高橋正雄らが抜止めを施工することになつたものであり(被告人正木によれば、前田建設が自主的に施工したもののようである。)、懸吊作業と並行して抜止め作業を行ない、ガス管の管路(頂部)が出たところで、ガス管を吊る位置と鉄バンドを巻く位置との部分掘りをして、懸吊及び鉄バンドの取付けを行ない、それから必要に応じて鉄バンド相互を鉄材で連結した。鉄材による連結は懸吊と同時にやれる範囲でやつていつたが、懸吊よりも若干遅れて完了した。

6 二号線一〇工区、清水建設施工(証拠 二号線一〇工区写真帳(符102)一枚目裏右上、左下の各写真(昭和四〇年一〇月九日)、原一夫)

五〇〇ミリガス導管(内圧不詳)のベンド部二か所(九〇度水平方向及び二二・五度の縦方向S字型)に帯鉄及びアングルを使用して抜止めがなされている。清水建設が自主的に施工した。

7 五号線一一工区(玉川町停留場)、鉄建建設施工

(証拠 六〇〇ミリ鉄管立上り部分防護図(符74)、中村弘、被告人高橋、同三上)

昭和四一年四月ころ鉄建建設が請負施工していた五号線一一工区の工事現場において六〇〇ミリ低圧管の四五度立上がり部分の継手が二、三センチメートルくらい抜出す事故があつた。鉄建建設から大阪ガスに急報して、技能員中村弘の指示により、とりあえず、ワイヤロープを巻きつけて三か所くらいを抜けかけた方向と逆方向に中間支柱に引つ張りつけるようにして応急処理をし、その後大阪ガスは抜けかかつた管を切断撤去して新設管と取り換えたが、このとき鉄建建設は、大阪ガスの要請により、鉄バンドとアングルを用いて継手を補強するとともに、さらに鉄バンドと材木を用いてガス管を中間支柱に固定する措置を施工した。その際鉄建建設から交通局を介し大阪ガスに送付された六〇〇ミリ鉄管立上り部分保護図には、中間杭とガス管の間に径一五〇ミリの木材をかませてガス管を鉄製バンドで中間杭に引つ張りつけるようにして固定する方法が図示されているが、これをもつて単なる振止めに過ぎないとは考え難く、一種の固定装置とみることができる。

8 六号線二工区(東区伏見町二付近)、鹿島建設施工

(証拠 符44の写真集九頁上から一枚目及び二枚目の写真、栗川末雄、中島顕)

三〇〇ミリ低圧管の四五度立ち上り部分に抜止めを施工したもの。

工区を横断する形で敷設されていたガス管で、掘削坑外に出る直前に立上がり部分があつたが、ガス管の上端が出るくらいに掘つた時点で、鹿島建設、建設事務所、大阪ガスの三者が協議して懸吊時に右部分に防護をすることを申し合わせておき、鹿島建設が図面を書いて、仮懸吊の後、本懸吊とほぼ同時くらいに抜止めを施工した(もつとも材料の調達の関係で遅れる場合もあつた。)。その施工方法は、曲管部の二または三か所をアングルで三角形状に締めつけ、それらをボルトで連結する方法である。

9 四号線深江交差点、大成建設施工

(証拠 符44の写真集二五頁下の写真、栗川末雄)

五〇〇ミリ低圧管四五度立上り部分の継手の両側に鉄筋を巻き、それを鉄筋二本で結合してあるようで、そうだとすれば鉄筋と管との摩擦力に難点があるが、大成建設は自ら検討して継手の補強を施工した。

10 本件二号線延長工事第二工区、佐藤工業施工

(証拠 符44の写真集五八頁の写真、佐藤工業現場巡回写真六枚(符68)、栗川末雄、伊谷晃、前田育紀)

三〇〇ミリ中圧管の二二・五度の水平ベンド部に施工したもの。鉄バンドを巻き、ボルトで連結する方法によつている。

二号線二工区は本件四工区の一つおいて隣りの工区であるが、昭和四五年三月中旬ころに、大阪ガスの指示をまつことなく、自主的に施工している。

なお、証人伊谷晃は、短管が集まつたベンド部であつたので一体化して吊るためこのようなやり方を考案して施工したものである旨の証言をし、またガス内圧を考慮したかについてはあいまいにこれを否定しているが、このような施工方法は、単に懸吊上の便宜というだけではなく、抜止めとしての効用も併せ配慮して考案されたものと考えられる。

別紙五

請負契約書等の抜すい

一 工事請負契約書

注 甲―大阪市交通局長

乙―請負人鉄建建設

第一条 乙は、別冊仕様書及び図面に基づいて、工事を完成しなければならない。

2 仕様書及び図面に明示されていないもの又は仕様書と図面の交互符合しないものがあるときは、甲乙協議して定める。ただし、軽微なものについては甲又は第七条の規定による監督員の指示に従うものとする。

3 乙は、仕様書及び図面に基づく工事費内訳明細書及び工程表を作製し、契約締結後七日以内に甲に提出して、その承認を受けるものとする。

第五条 乙は、下請負者を決定したときは直ちに甲に通知しなければならない。

2 甲は、乙に対して工事の施工につき著しく不適当であると認めた下請負者の変更を請求することができる。

第七条 甲は、乙の工事施工について局職員又は局職員以外の者を監督員として選定する。

2 監督員は、この契約書、仕様書又は図面に定められた事項の範囲内において、次の各号の全部又は一部の職務を行なう。

(1) 乙の作成する工事費内訳明細書を調査し、その内容を工事施工に適合するよう調整すること

(2) 工事の施工に立ち合い又は必要な監督を行ない、もしくは第八条の規定による乙の現場代理人に対して指示を与えること

(3) 図面に基づいて監督に必要な細部設計図もしくは原寸図を作成し、又は乙の作成する細部設計図もしくは原寸図等を検査して承認を与えること

(4) 工事用材料又は工作物の検査又は試験を行なうこと

3 監督員は、乙の現場代理人、主任技術者、使用人又は労務者について、工事の施工又は管理につき著しく不適当と認められる者があるときは、その理由を明示して乙に対してその交換を求めることができる。

第八条 乙は、現場代理人及び工事現場における工事施工の技術上の管理をつかさどる主任技術者(建設業法第二六条による。)を定め、甲に通知する。

3 乙又は乙の現場代理人は、工事現場に常駐し監督員の監督又は指示に従い、工事現場の取締及び工事に関する一切の事項を処理しなければならない。

第九条 工事に使用する材料について品質又は品等が明らかでないものについては、それぞれその中等以上のもので甲の認めるものとする。

2 工事に使用する材料は、使用前に監督員の検査を受け合格したものでなければ、使用することができない。

第一〇条 乙は、使用する材料のうち調合を要するものについては、監督員の立ち会いを得て調合したものでなければ使用することができない。ただし、調合については、見本検査によることが適当と認められるものは、これによることができる。

2 乙は、水中又は地下に埋設する工事その他完成後外面から明視することのできない工事を施工するときは、特に監督員の立会の上、施工しなければならない。

第一二条 工事の施工が仕様書又は図面に適合しない場合において、監督員がその改造を請求したときは、乙はこれに従わなければならない。

第一三条 工事施工にあたり図面と工事現場の状態とが一致しないとき、仕様書又は図面に誤りもしくは脱漏があるときもしくは地盤、地下埋設物等につき予期することのできない状態が発見せられたときは、乙は直ちに書面をもつて監督員に通知し、その指示を受けなければならない。

第一七条 乙は、災害防止等のため特に必要と認めるときは、臨機の措置をとらなければならない。この場合において、乙はあらかじめ監督員の意見を求めなければならない。ただし、緊急やむを得ないときはこの限りでない。

2 前項の場合において、乙はそのとつた措置につき遅帯(ママ)なく監督員に通知しなければならない。

3 監督員は、災害防止のため緊急やむを得ないと認めたときは、乙に対して臨機の措置をとることを求めることができる。この場合、乙は直ちにこれに応じなければならない。

二 高速電気軌道地下工事標準仕様書(第一章総則)

注 甲―第二建設事務所長

乙―請負者鉄建建設

第三条 本工事は請負者の責任施行とする。施行の順序方法および工程は甲の指揮監督に従い、当局請負工事契約条項、建設用材料機器事務取扱要綱、地下工事標準施工参考図、建設工事提出書類様式一覧表、本仕様書、特記仕様書、工事内訳明細書および添付図面に準拠して遅滞なく正確に施行しなければならない。

第五条 この仕様書、図面によつて充分明示できない詳細な事項については、甲が指示するから施行に当つて当然必要な事項はすべて甲の承認を受けるものとする。

第六条 この仕様書、工事内訳明細書および添付図面その他につき不明または疑義ある箇所は工事着手前甲の指示を受けその判断決定はすべて当局の解釈に従うものとする。

乙が工事施行その他の都合により所定の設計に拠り難いときまたはより優秀な方法のあるときは甲に申し出てその承認を受けること。

第七条 乙は建設業法の規定により専任の主任技術者を置かねばならない。主任技術者の学歴および工事歴記載の書類を提出して甲の承認を受けること。

第八条 主任技術者は工事に使用する工事監督者の姓名を甲に届出てその承認を受けること。

第九条 甲は乙の使用する工事監督者または使用人が不適当あるいは不都合の行為ありと認めたときは直ちに交代または退場を要求することができる。

第一一条 乙は工事着手前および工事中毎月工事全般に亘り詳細な工事予定表を提出し甲の承認を受け、施行期間中は更に毎月二五日までに翌月分の工事予定表および当局材料機器の事務取扱要綱により支給貸与物品の使用予定数量表を提出すること。

乙は前項予定に変更を生じた場合甲に届出でその指示に従つて工事の進捗を計り、しゆん工期限に遅れることのないよう努力すること。

第一二条 乙は前月分の工事実施ならびに支給材料、貸与材料の使用月報および作業従事者の種別毎の就労月報、死傷月報をそれぞれ翌月五日までに提出すること。

第一三条 乙は甲と協議の上各工事の種別を定め各種別毎に労務者の就労状況を毎日甲に報告するものとする。翌日予定表もこれに準ずる。

第一四条 乙は安全管理者および安全指導員と現場の安全管理組織を届出て甲の承認を受けると共に労働安全衛生規則に準拠した法規上の手続ならびに諸設備を確実に行い作業の安全に努めなければならない。

第一五条 乙は工事開始に先立ち埋設物、架空線等について詳細な試掘調査を実施し報告書を作成して甲に提出すること。

また工事施行中はこれら架空線および埋設物ならびに道路付属物等を損傷しないよう注意し常に保護補修を怠つてはならない。

第一六条 道路占用ならびに掘さく、交通制限または禁止、地上、地下工作物の処理の関係先への必要な手続は当局において行うが事後の交渉は原則として乙が行うものとする。

第一九条 本工事区域は都心部で且つ交通量が大であるので夜間作業となる場合が多いが乙は甲の指示に従い昼夜の別なく作業を行うよう留意せねばならない。

第二〇条 工事に必要な請負人現場事務所、諸材料置場、機械器具据付箇所等については甲と協議の上定めること。

第二四条 乙は工事中、各工程にわたる写真(手札判)を撮影して整理し、写真台帳(スクラップブック二三×三〇cm)二部を作成して甲に提出すること。

別紙六

被告人溝手及び同藤井の両名が大阪ガスからの抜止め条件付承認文書の内容を知つていたか否かの検討

上中が二建事務所から持つて帰つた抜止め条件付承認文書の写しを天六作業所で被告人田中に渡したことについては問題がない。その後同被告人がこれを被告人溝手や同藤井に見せ、同被告人らがその内容を了知したか否かが問題になるのである。

一 本文の認定にそう直接証拠としては、被告人溝手、同藤井、同田中の検察官に対する各供述調書がある。

(一) 被告人溝手の検察官に対する供述調書中では次のとおり述べられている。

1 「四月三日の夕方ごろ天六作業所の所長室に戻り、伝票類の決裁か何かの仕事をやつているときだつたと思うが、田中が所長室に入つて来て『大阪ガスからこんな条件が付いて来ました』と言いながら持つて来たガス管懸吊承認願を私の机の上に差し出した。そこで私が自らこれを手に取つて見たかどうかその点の記憶はあいまいであるが、とにかく田中が差し出した承認願を見たことは間違いない。こうして田中が差し出した承認願の表紙に目を通すと、大阪ガスの本管部管理課長入江玉治の名前で、『三〇〇ミリ中圧ガス管のベンド、T字部に抜け止めを施工すること』という意味の条件が付いていた。その条件は鉛筆で書き写したものだつた。その点について田中に聞いたら、同人は、『これはうちの上中が二建で写してきたものです』と説明してくれた。私は抜止めを施工することという条件を付せられたのはこのときが初めてだつたが、大阪ガスがわざわざそのような抜止めを施工することという条件を付けたことから考えると、三〇〇ミリ中圧ガス管のベンドのジョイントには水道管と同じような抜止めを鉄建の責任と費用負担でやれという意味だろうと思つた。特に中圧管に限定してあるところからみると、中圧管はガス管の内圧が高く、それだけベンドに抜出しの力が大きく働いて抜け易いところからこういう条件を付けたのだろうと思つた。そこで私は田中に対して『ああそうかわかつた』と言つてそれ以上具体的な話しはせずに条件付承認書を返した。そのときは水道管破裂の復旧作業で一日中バタバタしていたし、また近く行なわれることになつていた中間検査の準備なんかで非常に忙しくしている時期だつたから抜止めの準備のことは後でゆつくり考えればそれでいいだろうという風に軽く考え、具体的につつこんだ話までせずにそのまま放つておいた。今すぐ抜止めをやらなければジョイントからガス管が抜け出したりするようなことはまずないだろうという安心感が多分にあつたので、問題のベンド部分のガス管が全部露出した時点でベンド部分の状況を良く確かめたうえで抜止めを考えればそれで十分だろうと思つて、すぐさま抜止めをやれという指示は何もしなかつた。」旨(昭和四六年七月四日付)

2 「四月八日に今回のガス爆発事故が発生し、爆発直後の夜八時ころと思うが、爆発現場に入つて問題のガス管ベンド部の近くまで行つたところ、三〇〇ミリ中圧ガス管の水取器西側のジョイントからガス管が抜け落ちており、宙ぶらりんになつている反対側のガス管からガスが火を噴いていた。私はその有様を見てまず第一に頭に浮かんだのはどうしてこんなに急にガス管が抜けたんだろうかということだつたが、その後はただぼう然と立ちすくんで何がなんだかわけがわからなくなつてしまつた。その時点で三〇〇中圧管水取器のところのジョイントからガス管が抜け落ちたため爆発事故になつたことはおおよそ見当がついていたが、問題の抜止め条件のことはすぐには頭に浮かばなかつた。ところが一夜明けた四月九日になると、私はやや心に落ち着きを取り戻し、あれやこれや考えているうちに問題の抜止めの条件のことが気になつてきた。条件のとおりすぐさま抜止めその他の曲管部の補強をやつておれば、あんな大きな事故にならずに済んだのではないかという気がしてきたのである。そう考えてくると抜止めをやつていなかつたことは私もよく判つていたので、もし抜止めの条件が付いていながらそれを私たち鉄建の者がやらなかつたため爆発事故になつたということになると、鉄建側特に現場代理人として工事現場の最高責任者である私の落度であることは間違いないので、なんとかして抜止めの条件がついていたことをごまかす方法はないものかと考えるようになつた。それで条件付承認願を人目につかないところに隠してやろうと考え、四月九日の夜九時ころだつたと記憶しているが、天六作業所の事務所北東角にあるスチールロッカーの引出しの中から問題の条件が書き写してあつた承認願を見つけ出し、これをその傍の衣裳缶の中に放り込んだ。四段重ねの一番下の衣裳缶には六号線一五工区関係の計算書類が入れてあつたが、その衣裳缶の中に放り込んだ。二号線四工区関係の承認願などがまとめて入れてあるロッカーの中に置いたままにしていると、それだけで私たち四工区担当の者が条件付承認願のことは何も知らなかつたというような弁解ができなくなるし、第一人目につき易いので四工区の承認関係書類とは無関係の、そしてまた人目につかないところがいいだろうと思つてその場所に隠した。条件付承認願そのものを焼却してしまえばそれでもよいが、あの当時の私の気持としては、そういう条件付で承認願が二建から来たことそれ自体は相手があることだし今さら私のほうでどうしようもなく、条件のことが問題になつたら、そういう条件が付けられたかも知れないが、条件の付いた承認願そのものは見ていないので知らなかつたというふうに弁解して何とか逃げようということしか頭になかつたので、四工区の承認関係書類とは別にしてあまり人目のつかないような場所に置いときさえすればそれで足りると考えたのである。条件付そのものを完全に消して証拠を後に残さないようにしようという考えはなかつた。ところがその後四月二二日になつて条件のことが読売新聞にスッパ抜かれ、私も新聞を見てこれは大変なことになつてきたと内心ギクリとした。大阪支店の金子部長も新聞の切抜きのコピーを持つて来てどうなつているんだと言われたが、条件のことを知つていたと正直に話すだけの勇気がなく、条件のことは知らなかつたなどと嘘をついて金子部長をごまかした。いずれにせよ条件のことが表沙汰になつた以上警察から条件付承認願を出せと言つてくるだろうし、抜止めの条件を守らなかつたことが事故の原因ではないかといつて私たちの責任追及が始まることはまず間違いないという気がしてきた。いつ警察から条件のことを言つてくるだろうかと内心ひやひやしていた。すると四月二五日の午前一一時ころ府警本部捜査四課から刑事が天六作業所へ『条件付承認願の書類があるはずだから出してくれ』と言つて来られ、そのとき私が直接応対に出たが、私が『そういう書類は見たことがないので知りません』というと、相手の刑事は『そんなはずはない。どこかにあるはずだから良く捜してくれ』と言われ、このやりとりを聞いていた辻第一土木部長がその場にいた者に命じて承認願を捜せと指示され、皆んなで手分けして捜していたが、結局衣裳缶の中にあるなどとは誰も気付かなかつたらしく、そのときは承認願が出てこなかつた。けれども刑事は諦めたような風はなく、ちよつと昼食をしてもう一度来るから良く捜しておけと言つて正午ころ事務所から出て行つた。それで私は内心いつ承認願がみつけられるかとひやひやしながら皆んなが捜している様子を見守つていたが、ここまで来た以上最後まで隠し通せるものではなく、あまり迷惑をかけてもいかんという気持になつたので、刑事が昼食に出た隙を見はからつて衣裳缶の中からそつと条件付承認願を取り出し、その場におられた辻部長に『実は私があそこに入れていたんです。すみませんがこれを刑事さんに出しといて下さい』と言つて渡した。辻部長は『しやあないな』と言つてこれを受け取つてくれたが、非常に迷惑そうな顔をしておられたのが今でも強く印象に残つている。その後私は曽根崎警察署で事情聴取を受け、午後五時ころ天六作業所へ戻つたところ、辻部長は『小谷の机にあつたということにして渡しといたぞ』と言われた。どうして小谷の机の中にあつたということにされたのかその真意は判りかねるが、辻部長にしてみれば、私がそれまで条件付承認願を別の場所に隠してまでそんなものは知らんと言つて頑張つていた点を一応汲みとつて、私のために気をつかつてくれたのだろうと思つた。以上のとおり昨日の調書で田中に指示して書類を隠したというのは嘘であつて、私自身の手で四月九日夜に衣裳缶の中に隠したというのが本当であるが、本当の話をすると、条件付承認願を警察に提出したいきさつからいつて、どうしても私の上司である辻部長の名を出さねばいけなくなるものだから、田中にその責任を押しつければそれでなんとかなるだろうと思い、田中にはまことに申訳ないと思つたが、でたらめなことを言つた。私は田中と藤井に条件付承認願は見ておらず何も知らなかつたと言うように口封じもしていた。それは四月二二日条件のことが読売新聞にスッパ抜かれた直後だつたと記憶しているが、天六作業所内の田中の机の所であつたか、私の所長室の出入口のつい立てのところで田中に対して問題の新聞記事を見せながら、『わしはこんな条件のことは知らんぞ。お前の机のところでなくなつたんだ。とにかくお前のところでどこへ行つたかわけがわからなくなつたのだから、お前やわしも皆んな見ていないのだぞ。』という意味の話をして、今後警察などから条件付承認願のことを聞かれても、見ていないし解らないというふうに嘘をついてごまかせと指示した。そのころ藤井は爆発事故で火傷して行岡病院に入院中だつたが、その藤井にも行岡病院へ見舞に行つたついでに同じ意味の話をして同じような口封じをしておいた。」旨(同年七月五日付)

3 「条件付承認願を田中企画主任から見せてもらつた日時の点であるが、これまでの取調べに際しては、吉山町における水道管破裂事故が発生した四月三日の夕方だつたと思うと述べてきたが、あるいは一日後の四月四日の夕方であつたかも知れず、そのいずれかの日時には間違いないが、三日だつたか四日だつたか必ずしも正確には記憶していない。いずれにせよ水道管破裂事故が発生し、その復旧作業で非常にバタバタしていたときであつたことは間違いない。」旨(同年七月一四日付)

(二) 被告人藤井の検察官に対する供述調書中では次のとおり述べられている。

1 「四月三日吉山町で水道管の破裂事故が発生し、その復旧で忙しくしていた夕方ころ、天六作業所の事務所で、田中がこんなものがかえつてきていると言つて見せたもので、見たところ、確かに鉛筆書きで『別図仕様で承認する。(三〇〇φ中圧管ベンド、T字部には抜止めを施工すること)』と書いてあつた。これは大阪ガスから二建に返り、二建から私の方に指示されたものと思つた。田中には所長にも相談するといつたと思うが結局忙しくて所長には相談しなかつた。事故後入院中の行岡病院に溝手所長が来られた時に、『抜止めの条件のことは問題になつているが、君は知つていたのか』と尋ねられた。知つていたが所長に報告していないので、『警察からもそのことを聞かれておりますが見ておらないと答えております。』と答えると、『そのようにいつたのであればそれでいい。』と言われていた。」旨(昭和四六年七月五日付)

2 「ガス管の承認書を見せられた日が四月三日であつたかどうか日にちの点についてははつきりしたことはいえない。その時は水道管の破裂による復旧作業か中間検査の準備のために忙しくしていた。あるいは四月四日であつたかもしれない。なお同日は土曜日で中間検査の準備のために午後九時半頃まで仕事をした。」旨(「昭和四六年七月一日付」と表記されている調書であるが、日付は誤記と認められる。)

(三) 被告人田中の検察官調書中では次のとおり述べられている。

1 「前回までの調べでガス会社がつけてきた条件、即ち、中圧三〇〇ミリベンドT字部に抜止めを施工することと書いたガス管懸吊の承認願について全く知らなかつたと答えてきたが、実際はこの条件がついてきたことは知つていた。四月三日水道が破裂して、その措置のためにバタバタしていたが、私が事務所の自分の席に帰つてみると、鉛筆で条件が書かれている承認願が置いてあつた。私はそれを藤井に見せると、藤井は所長に相談すると言つていたが、私自身もそういう条件がついているので直接所長に見せておこうと思い所長室に行つてそれを見せた。所長は『費用のこともあるので』とか言つていたが、どうしろという指示もなかつたので、その承認願を持つて帰つて、翌四月四日二号線四工区の書類を入れるロッカーの中に入れておいた。四月八日の事故後警察で鉄建の者はみんな調べられたが、調べが終つて帰ると、天六作業所に集つて調べられた内容のことについていろいろ話していた。そのとき溝手所長が、ガス会社がつけた条件のことは見ないということで頑張れと言つた。それで私はこれを言うと会社に不利なことになると痛感すると同時に所長らも、共に責任を取られることになると考えた。私は鉄建建設に勤めて一三年給料をもらつており、世話になつているので、これ以上会社に迷惑をかけたらいかんという気持ちになり、本当のことを言えなかつた。しかしここに至つては全て正直に申し上げなければ私の良心が許さないような感じになり、会社や所長には非常に迷惑がかかることだが事実を明らかにするために説明することにした。四月二二日警察の人が天六作業所に来てガス会社がつけた条件のついた承認願を出すようにと言われみんな探した。その時私はその条件のついた承認願をロッカーの中に入れていたので、それを探したが見当らなかつた。そこで全員の机を探している時に六号線一五工区担当の小谷の右の上段から二番目の引出しから出てきた。私は意外なところから出たので『あれ』と思つたが、これは私が入れたのではもちろんない。誰が入れたかみていないが、想像では溝手所長が入れたのではないかと思つていた。」旨(昭和四六年七月一日付)

2 「(上中が持ち帰った写しの内容を熟知し、その趣旨を理解したが、)このようなことが文書で示されてきたのはこの時が初めてだつたので、その措置をどうするかということについて、藤井主任や溝手所長にも一応相談しておこうと思い、藤井主任の机の所に行つてそれを見せた。藤井主任はそれを読んでいたが、『所長に相談するが、あんたからも所長にそれを見せておいてくれ。』と言つたので、すぐ所長に見せることにした。所長室に入つたか出入口だつたかよく憶えていないがそのあたりで、所長に『こんなものが返つております。』と言つて見せたところ、所長はそれを手に取つて見ながら、『こういうのは初めてやな』と言つていた。しかしどうせいともこうせいとも指示がなかつた。私は、条件付承認書を四月三日に溝手所長に見せてから、事務室内の二号線四工区の書類を入れるロッカーの中に入れていた。四月一〇日か一一日ころ、東山に承認書類を大阪支店へ持つていかせる時、二号線四工区の書類を入れるロッカーの中に大阪ガスが条件をつけた承認書が入つているのをちらつと見ており、この時は確かにロッカーの中にあつた。しかしその後その条件付承認書はそのロッカーから消えてなくなつた。どこへ行つたのか人に聞くわけにもいかず、事務所のあちこちを探すわけにもいかず本当に心配していた。警察の取調から帰つた時に、溝手所長に、抜止め条件のことは知らないと言つていると言つたら、所長は『それで通せ』と言うので、私は『それで押し通していきます』と返事しておいた。それが原因で抜止め条件のことは知らないと押し通してきたのである。四月二二日の読売新聞の朝刊に抜止めの条件がついていたという記事が掲載されたが、大阪支店の金子部長が読売新聞を持つて天六作業所にかけ込んできて、『大阪ガスから条件書きが来ておるんか』と言いながら所長室に入つていつた。私はこの条件のついていることを知つていたので金子部長の顔をまともに見ることができず、そのまま事務所を飛び出して二建に行き、矢萩主任や岡本に『新聞に大阪ガスからうちの会社に条件書が来ているように書いてありますが、それは本当ですか』ととぼけて聞いた。矢萩からは『お前のところにも行つているじやないか』と言われ、すぐ引き下がつて帰つた。四月二五日昼頃警察官が事務所に来て条件書きを出せと言われた。さらに岡本と上中を所長室で対決させたところ、上中は渋々条件を書き写して帰つたことを認めたため、辻部長が事務所を片端から探せと言われ、私はまずロッカーの中から探した。しかし、ここはいくら探してもすでに条件書きが消えてなくなつていることを知つていたので、小谷の机の引出しの中を開けていたところ、上から二番目の引出しの中の一番上にこの条件書きが入つているのを発見した。小谷は六号線一五工区の現場監督で、二号線四工区には全く関係していないのに、何故そこから出て来たんだろうと不思議に思つた。」旨(同年七月六日付)

二 昭和五四年四月二四日付で作成され、同日の準備手続で提出された同被告人らの弁護人の冒頭陳述書では、本文の認定にそう事実が記載されていたが、同被告人らは、昭和五六年二月ころ以降の被告人質問の段階で、被告人田中が被告人溝手、同藤井に条件付承認文書を見せた事実を否定する供述をするようになつた。被告人らは公判廷では次のように述べている。

(一) 被告人溝手

「抜止め条件付承認書については本件事故当時全く知らなかつた。四月二二日読売新聞のスッパ抜き記事を読んで田中、藤井に確めたが、同人らも知らないということだつた。四月二五日警察らが来て承認願を出すように言われ、さらに岡本と上中が対決して確かに上中が写して帰つてきて田中の机の上に置いたということが明らかになり、それで皆で捜した。警察官が昼食に出て行つてから、自分は事情聴取のため曽根崎署に出頭した。そこで事情聴取を受けていた際に天六作業所で条件付承認願が出たことを聞かされた。条件付承認願を最初に見たのは、昭和四六年の検察官の取調のときである。捜査段階で認めたのは、認めないなら逮捕している人間をいつまでも出すわけにはいかんと言われ、きつく取調べられたからである。私が条件付承認書を隠したと供述したのは、自分が全責任を負つてこの事件を処理することに決心してそのように供述したのである。」

「(四工区の担当者でない小谷の机から条件書が出て来たことについては、)別にそう不審に思わず、どさくさに紛れて入つたんかなとしか思つてないです。ただ現場が引つ繰り返つておつたもんですから、それほど深くは思わなかつたです。その後小谷の机から出て来た原因を調査したりしたことはなかつた。」

「冒陳が行なわれた時点では、検察の調書に沿つていかないかんと、自分では言い聞かせておつたんでございますけど、どうしても事実と違いますので、無理をお願いして、現在に至つております。」

(二) 被告人藤井

「本件当時条件付承認書を見たことはなかつた。行岡病院に入院中、溝手所長が来て、条件付承認書を上中が持つて帰つて来ているのを知つているかと尋ねられたが、知らないので知りませんと答えておいた。六月一〇日過ぎ退院してから田中に見たことがあつたか尋ねてみたが、知らないということだつた。そのほかにはその件についてとくに誰かに聞いたりしたことはなかつた。抜止め条件付承認書を見たことがあると認めたのは、捜査官からやかましく言われ、否定しても聞いてもらえず、おまえは七八人も人を殺しておいてまだそういうことをいうのか、いつまでたつても出られんぞ、言わんとほかの者も出さんなどと言われて、それでは大変だという気持ちになつたからである。」

「(冒陳の内容が前記のようになつていることについては、)調書が見たということで出来上つておりますので、それに従わざるをえないという気ではおりました。」

(三) 被告人田中

「四月四日ころの夕方、天六作業所で、上中が岡本に写していけと言われて写して帰つたと言つて、抜止め条件のついた承認書を差し出したので、受け取つてロッカーにしまつた。鉛筆書きのものであるし、上中に聞いても岡本からは別に何も言われなかつたと言うので、何だろうという程度にしか考えず、安易な気持からそのような処理をした。そしてそのままにし、藤井や溝手には話していない。捜査段階では、捜査官から、お前そんなことを言つて重要な書類をお前一人で責任取れるわけじやないだろう。一〇〇人近くも犠牲者を出してお前一人で処理できるわけないなどと言われて怖くなり、藤井や溝手にも見せたように供述してしまつた。また捜査段階で当初条件付承認書を見ていないと供述していたのは、条件付の承認書と言われても全く頭に浮かんでこず、何のことを言われているのかわからなかつたからである。四月二五日の小谷の机から条件付承認書が出た段階でも、これは鉛筆書きでもあるし、大したことではないと考えて自分の一存でロッカーに入れてしまつていたということを、溝手や藤井に報告したことはない。また一存でロッカーにしまい込んだことについての責任追及は受けていない。溝手や藤井にも見せていたら別な対応が取れていたのではないかというようなことが社内で問題になつたこともない。」

三 そこで検討するに、被告人らの前記検察官に対する各供述調書中の各供述及び公判廷における各供述の信用性に関しては、次の諸点を指摘することができる。

1 被告人田中が二号線四工区関係の書類入れのロッカーに入れておいたはずの条件付承認文書の写しが、四月二五日にはなくなつており、大勢で探したがなかなか見つからず、最後に同工区とは無関係の小谷の机の中から出てきたといういきさつについては、被告人溝手の検察官調書中の供述以外にこれを説明すべき証拠はない。

2 そして、少なくとも、四月二二日以降はその重要性が社内でも認識されるようになつた右文書につき、被告人溝手及び同田中の公判供述によれば、被告人田中がこれを受取つて処理したことやその後これが小谷の机の中に入つていた事情などが一切不詳のまま、なんらの調査もされることなく放置されていたということになるのであるが、こうしたことはいかにも不自然であつて理解しがたい。

3 被告人田中が、公判で述べるように、上中が二建監督員にわざわざ写させられて持ち帰つた右文書(大阪ガスの承認文書そのものは鉛筆書きで写されていたが、その余は二建が大阪ガスにあてた公文書の控えである。)の内容を見ながら、その重要性を考えず、工事主任の被告人藤井や所長である被告人溝手に見せることもなく、一人で処理してそのままロッカーにしまいこんでおいたというようなことは、企画主任である被告人田中の行動としてかなり不審なものであると考えられる。反面、もし本当に同被告人がそのようにしていたのであれば、そのことにつき同被告人が自己の事務処理の拙劣であつたことを痛切に反省するのが当然であると考えられるのに、同被告人にそのような反省の態度は見られない。

4 被告人田中の公判供述中、捜査官から条件付承認文書のことを尋ねられたとき、それが何を意味するのかわからなかつたので「見ていない」と答えてきたという部分は、少なくとも昭和四五年四月二二日以降においては同被告人においても右文書の重要性が取沙汰されていることをよくわかつていたはずであるから、明らかに虚偽であると考えられ、このようにいいかげんなその場逃れの供述態度をとる同被告人のこの点に関する公判供述は、全体としてそもそも信を措きがたいものといえる。

5 被告人田中が、右文書を藤井や溝手にも見せた旨捜査段階で供述するに至つた理由として公判で述べているような事情は、同僚の藤井や上司の溝手にあらぬ責任を転嫁してまであえて事実に反する供述をする根拠としてははなはだ薄弱である。

6 被告人溝手及び同藤井は、捜査官から「いつまでも出られないぞ。」などと言つて迫られたため事実に反する自供をした旨述べているが、同被告人らは昭和四六年六月一八日に逮捕された後、同月二〇日ころには弁護人を選任し、その後の身柄拘束中に、被告人溝手は同月二三日、同月二六日、同月二八日、七月二日、七月五日などと多数回にわたつて弁護人と接見し、また被告人藤井もこの間弁護人の接見を受けているばかりでなく、被告人両名とも、二〇日間の勾留を経て身柄を釈放された後においてすら検察官の取調べに際し本文の認定にそう従前の供述を維持している。

7 被告人溝手及び同藤井の各公判供述によれば、同被告人らはいずれも公訴提起後七年余を経た前記冒頭陳述の段階に至るまで、同被告人ら自身の刑責ばかりではなく、鉄建建設の会社としての責任の有無程度も大きく左右しかねない右文書の天六作業所内における取扱いに関し、捜査段階に引続き、弁護人に対しても事実に反する不利な供述を維持する態度に出ていたことになるのであるが、この点もまた理解するのに困難である。

8 以上のとおり被告人らの公判供述の信用性については種々の点から疑問が呈せられるのに反し、被告人溝手の前記検察官調書中の供述は、先に引用したところからも明らかなように、きわめて詳細かつ具体的であつて、前記文書を四月九日夜衣裳缶の中に隠し四月二五日にそれを取り出して辻部長に手渡した経緯など、検察官にとつてあらかじめ知りようのない事柄で、真相を知るものでなければ語れないような供述というべきであり、体験的事実の供述として非常に迫真性に富むものである。ことに前記文書を辻部長に事情を話して提出したとする供述部分は、それまで上司である同部長には累を及ぼさないように被告人田中に指示して隠させたと供述していたのを訂正したものであるだけに、信用性が高い供述であるというべきである。

9 また被告人田中の検察官調書中の供述も具体的かつ詳細であり、細部はともかく大筋において被告人溝手及び同藤井の供述とよく符合している。そして被告人田中は、右溝手及び藤井よりも先に、昭和四六年七月一日初めて前記文書を見ていたことを認める供述をするとともに、その時点ですでに同文書にまつわる事実関係の概要をほとんど全てにわたつて供述しているのであつて、そこに述べられている具体的なことは捜査官にとつて先入観もなく、またその後の溝手、藤井に対する取調べでどのように展開するかわからない事柄であるから、右供述時にそのような供述の誘導、押付けがなされたとは考え難いところである。また同被告人が上司である溝手や同僚の藤井の名前を出してまで供述している点も、真実であるからこそそのように供述したと考えさせるものがある。

10 被告人藤井の検察官調書中の供述についても、被告人溝手及び同田中の検察官調書における供述内容と大筋において符合しており、その信用性を否定すべき特段の事情は存在しない。

以上で指摘したところを総合して検討すれば、被告人ら三名の前記各検察官調書中の供述は十分に信用するに値するものと判断することができ、これに反する前記各公判供述は虚偽のものであると言つて差支えがない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例